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背負った想い と 生きづらさの意味

この記事は 自己紹介だ
目的は ただ 一つ

僕と言う 人間が
どんな 過去を持つのか
なぜ 痛みに拘るのか

それを 知ってもらうため だ

苦しい 受験時代を終え
自分を 振り返る機会が増えた

合わせて 他者の話を
聞くことも 増えた

すると 大抵
大変だったねと 言われる

言われる回数が 増え
どうやら 他の人は
違うらしいと 気付く

すると 次の問いが
浮かんでくる

なぜ 辛かったのだろうか

確かに 両親の教育方針と言えば
それで 考えることは 終わる

けれど そこまで 想いを
子に 教育に 注ぎ込んだのは
なぜ なのだろうか

明確に 問いを
投げていたわけでは ない

ただ 頭の中に
いつの間にかいた 問いだった

親が語る 理由は 知っている
職探しに 不自由させたくないから

けれど それでは
納得が いかなかった

両親も 認識していない
何か もっと 核心的なものが
あるんじゃ ないか

そう 思っていた

答えへの出会いは 突然だった

宇多田ヒカルさんの 道 
という曲を 耳にした時だ

ワイドショーの 特集で
人を癒す曲 のようなテーマで
紹介されていた 曲だった

アナウンサーが 原稿を読み上げる
近親者を失った 痛みが
この曲を聴くと 癒されるらしい

たまたま聞いた その説明が
好奇心に火を つけて
Googleで 検索をした

わたしの心の中に あなたがいる
いつ 如何なる時も

一人で 歩いたつもりの道 でも
始まりは あなただった

宇多田ヒカル『道』

聴いたのは 会社に行く途中
あと 数分で 正門というタイミング

言葉が 耳を通り越して
胸の奥の 心の中に落ちてゆく

この歌詞を 聞いた時
両親が 僕の教育に想いを込めていた理由が
腹の底から 理解できた

僕は 兄が受け取るはずだった想いを
背負っているからこそ 重かったのだと

口を曲げ 涙を堪えながら
セキュリティカードを 出した

兄は 真也 という名前だった

生まれてから 一週間くらいで 
他界してしまった らしい

両親にとって はじめての子ども
当時の2人が受けた 衝撃は 
想像 できない

その彼に 送られるはずだった愛情は
きっと 行き場所を失っていた

翌年 僕が生を受けた

縁起の良い 名前をつけようと
候補をいくつか 出してもらったらしい

複数ある 候補の中から
両親は 哲也 という名前をつけた

 とは
うそ・いつわり・かざりけがない 本当のところ まこと

 とは
道理に明らか 才知がすぐれている さとい また その人

どことなく 言葉に
繋がりを 感じさせる

僕は 兄がいたからこそ
僕に なったのだろう

きっと僕は 他界した兄の分まで
両親の 愛を背負ったのだろう

苦しい 受験時代を過ごしたのは
二人分だったから なのだ

一人で 背負うには
その想いは 重すぎた

だからか 
だからだったのか

この 生きづらさは
二人分の 経験をしているからなのだと

そう思うと 
今ここにある生きづらさを 赦せるような
そんな 気持ちになった 

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