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solo_andata
なぜ須賀敦子さんを辿りたいのだろうか(1)
遠まわりの、到達できなさそうな自分のライフワーク。
それでもずっとひとり考え続けてみたい。
須賀さんの文体と底にある思想を咀嚼して味わい、惹かれる理由を少しずつ考えていけたらと願う。
「自分のことばを、文体として練り上げたことがすごいんじゃないかしら。」
(『ある家族の会話』について須賀さんのことばより引用)
書くことが溢れるまでの時間、厳しくストイックに課した孤独。
日本語を美しく編み出した人の背景にあった、豊潤な翻訳・通訳を通したまなざし。
揺れたように見えるアイデンティティ。
全集から伺う読み込んだ文献の幅広さ、奥深さ。
須賀さんの知的好奇心を刺激し、影響を及ぼした人たちの個性。
誰かの文章に特にひかれ、愛読するとはどういうことか、なのかも。
考えるきっかけは、湯川豊著『須賀敦子を読む』から得ました。
編集者として親交深い著者。あえて、付き合いから離れ、著作の立ち姿を作品を10年かけて読み込む。すっくりと立ち姿を本書で紐とく。丸谷才一始め、文豪と対談して魅力を引き出した流石の論説。と同時に、何かもう少しありそうなもどかしさを。(生意気過ぎるコメントですね。)
〔不定期更新です。全集や論評を読み溜めております。巨人の肩にのり、先達の研究に敬意を表します。
『どんぐりのたわごと』等、論評が濃くない部分も再読できればと。
写真はイタリアミラノのトラムを拝借。須賀さんの作品にさりげなく登場。