ノイズを受け入れて人間として働いていく -映画『ラストマイル』を観て-
映画『ラストマイル』にあまりにシビれてしまったので感想を書き残しておく。限りなくネタバレを避けているため、かなりふわっとしていることを断っておこう。
世間的には大ヒットドラマ『アンナチュラル』と『MIU404』とつながる「シェアード・ユニバース・ムービー」と謳われており、実際に集客に多大な影響を及ぼしている。しかし、それはあくまでもファンサービスの要素が強く、映画単体としての強度は十二分だ。
鑑賞直後は打ちのめされたような気持ちになり胸が苦しく、何度もため息をつきながら帰路をたどった。働くつらさを改めて突きつけられたからだ。主人公・エレナのように外資系の企業(おそらくAmazonがモデル)に勤めているわけではないが、世界を巻き込んだ途方もなく巨大な資本主義社会で、感情を持つ生き物・人間として働くということの難しさは、社会人として10年近く過ごした生活で嫌になるほど感じてきた。不誠実さと冷酷さを手に入れて仕事に邁進すれば、私だってもっと楽に立ち回れるのに。こんなこと、業務中に何度思ってきたことだろう。私の心はそれらを受け入れなかったが、晴れやかに胸を張るような気持ちにもなれなかった。これは逃げや弱さなのではないかと、うっすら思っていたからだ。
エレナは劇中、私の心の中にあるモヤモヤの類などまるで縁がないように振る舞っていた。効率よく巨額の富を得ることが最優先。そうすることで自分のキャリアと立場を確立する。富の裏に周囲の人間の苦しみがあったとしても、「カスタマー・セントリック(すべてはお客様のため)」という会社の行動指針を盾にして。
彼女のこの態度を見ながら、私は三宅香帆・著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を思い出していた。労働と読書は両立し得ないのか?という問いを起点に、それらの歴史を紐解きながら労働の問題点を洗い出す斬新な新書である。文中、著者は「本は読めないのにインターネットはできる」という00年代以降の傾向に対し、知識と情報の違いを挙げながらこう説明している。
ここでいうノイズとは、文脈や歴史や社会の状況など、自分ではコントロールが効かない部分のことである。知識を得るために読書をすることは、偶然性を含むノイズを取り入れることによって、知りたいことの周辺情報を得つつ理解を深めていくことである。情報のみ得たい人はただ知りたいことを検索し、求める答えにたどり着く。
エレナは、勤める企業が常に最高の売上・利益を出すために、上記のようなあらゆるノイズを消している。取引先の運送会社の苦しみも、思い詰めた社員の訴えも、自分の気持ちさえも。ステークホルダーひとりひとりの感情や人生など、余計な文脈はすべて無視して、合理的に物事を進めていく。あまりにも感情がなさすぎて、恐ろしさすら覚えた。しかし、この作品はノイズを細かく丁寧に拾って描き伝えることで、やがて彼女の心を動かしていくのである。ノイズを排除することを受け入れるな、戦う方法も守る手段もあるだろうと。
結末については白黒はっきりしたものではなく、課題も多く残る。それは私たちの社会と同じだ。ただ、行動を起こせば少しでも未来は良い方向に動かせるのだという前向きなパワーを感じられた。ノイズを排除し働く人が成功している姿を身近に見て、楽そうでいいなと思ってきた。しかし、作品に思いをめぐらせ確信した。めんどくさくて非効率で遠回りだけれど、私はできうる限り、感情を持つ人間として健やかに幸せに仕事がしたい。この冷たい資本主義社会の片隅で。