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読書は実は高レベルの作業なのでは?

前回の読書関係に引き続き、今回も読書関係にします。
よろしくお付き合いください。

私の教育方針は、言葉を知ること。使えること。

ちなみに嫁さんも特別支援学級の担任をしているが、数学教師なのでまずは計算から、らしい。

言葉を知らないと自分の気持ちや考えを伝えられない。その苦しさは表現できないくらい。もっとも、言葉を知らないから表現できないのだけども。

例えば「赤い折り紙が8枚、青い折り紙が5枚、合わせて何枚でしょう」の計算ができない生徒がいる。正解は8+5=13枚だが、おそらく「合わせて」の意味がわからないのだろう。計算は問題なくできる。

日本語をきちんと理解していない、というか言葉を知らないと会話が成り立たないし、学習も進まない。日本人でいる以上やはり言葉は知ってもらいたいし、使えるようになってほしい。

ちなみに前述の文章問題が解けない生徒に口頭で、150円のジュース3本買ったらいくら?と訊くと「450円」と即答する。じゃ、式は?「うーん・・・」生きる力はあるのだ。

言葉のシャワーを浴びることが大切だと、聴覚特別支援学校の研修に参加したときに、人工内耳を装用されているそこで勤務されている先生が言われていた。なので、私はしつこいくらい訊く。「〇〇なのはなんで?」上手く答える必要はない、ただ、言葉を発する機会を増やす。続けていれば自然と話すことにストレスを感じなくなったり、慣れたりすると考えている。

また、文字に触れる機会もたくさん作る。ウチから絵本を持っていき、朗読させたり、図書室へ行って本を借りてきたりする。漫画や写真集もOK。とにかく文字を身近に感じてほしい。

しかし、生徒らは図書室で本を借りるのはどうやら苦手っぽい。観察してると、自ら本棚の本を手にとって中身を見ることはあまりしない。隣で誰かが見ている本を覗き見して、中身を確認するくらい。

本の探し方がわからないということもあるかもしれないが、なぜなのか考えてみた。もしかしたら、背表紙から中身を想像することが難しいのかも、ということだ。

それこそ言葉を知らないから、その本の内容を想像できないし、第一大雑把でもどんなジャンルの本なのかすらわからない。わからないもの、興味のないものをいちいち手に取って確認することは、誰もしない。

平積みだったり立てかけていたりなど、せめて表紙が確認できるもの、それに絵や写真があればさらにいいだろう。表紙を見てもわからないものもあったりするけど。

そもそも読書って知らないことを知る目的で行う作業。知らなかった!と言える気持ち良さが読書の醍醐味でもある。でも支援級の生徒ってそこに喜びを感じない生徒が多い。文字を追ってるだけで内容まで理解していない可能性もある。

そう考えると、私が当たり前のようにやってきた読書って結構高レベルの作業だったのかもしれない。そんな作業ができるオレって、やるやん!👍
・・・って話ではなくて。

一度、一緒に読みながら、ネズミくんはなんでこう思ったんだろう?って考えながら進めたことがある。それもありなのかもしれない。

本は友達。ボールも友達。漫画もいいけど、字を追うのもなかなか楽しいということに気づいてくれたらいいかな。

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