万葉を訪ねて ―総論3 古代の歌の本質―
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今回扱う「総論の3 古代の歌の本質」は、万葉歌の性質について多面的に論じた箇所であり万葉集大考の中でも特に重要な1節である。(7~9頁)
理路の大枠としてはまず万葉歌の観賞法および学習法について述べ、次に古代の歌と後世の歌の性質についての比較を行い、最後に儒学からの批判(歌は趣味に過ぎず天下国家の役には立たないこと)に反論しつつ、万葉歌を学ぶことで得られる効用を論じたものである。
「いにしへ人の哥は設(もうけ)てよまず、事につきて思ふ心をいひ出しなれば、ひでたるあり、ととのほらぬあり、いまかたとてしまねばんには、心もことばもしらべも、ととのほれらむを撰みつべし(中略)かくしつつあらたまのとし月にこの哥を見ならへる人、後の哥をかへり見などして、はじめていにしへにおもむくこころだましひに成ぬといふ也、一たび二たびら見て、まだしき心もてことをかぎることなかれ」(7頁)
この冒頭の箇所で真淵は古代の歌の観賞法と学習法について注意喚起する。
いわく、古代の歌人は作為的な歌を詠まなかった。思う心をそのままに歌ったからには必然的に佳作もあれば不調和な調べを持つ駄作もある。現代にこれを学び真似ぶ際には調べの整った歌を選ぶことが肝要であるとは言えよう。
しかしこうした歌の優劣についての判断は長い時間をかけて万葉集や万葉以降の歌集に精通してから下すべきであり、1度や2度読んだくらいの段階で未熟な心を以て下すべきではないと言うのだ。
繰り返しになるが真淵にとって学問の本道は味わうことに尽きるということがこの言説にも現れている。歌を味わってもいない者が、簡便な理屈を駆使して批評する現状に、真淵は我慢がならないのである。
「いにしへの哥は、ふつつかなる如くして、よく見ればみやびたり、後の哥は寛なる如くして、よく見ればくるしげ也、古への哥ははかなき如くして、よくみれば真こと也、後の哥はことわり有如くして、よく見ればそら言也、古への哥はただことの如くして、よくみれば心高き也、後の哥は巧みある如くして、よくみればこころ浅ら也」(7~8頁)
「うたちふ物はさき(※ 狭いの意)がごとくしてとほしろく(※ 広大であるの意)、ものよわらに聞えて強し、かれよく知ときは此御國の古へにとほり、天の下の心をも思ひたらはされ、伝へきく他の國のふみらの、或はまこと或はそらごとをもわき難きをもはばからず、あやうきにもおそれぬ心すらそなはりてまし」(8頁)
この箇所で真淵は畳み掛けるように古代の歌と後世の歌の性質の違いを列挙し、歌の本来の姿を高らかに表現している。
いわく、歌は狭い事柄を扱っていると思われがちだが本来その射程は広大であり弱々しく見えて実は強い。
このことをよく理解すれば古代に精通し天下の心に思いが行き渡るだけではなく、真言(まこと)と空言、本物と偽物を嗅ぎ分けることが出来る感受性を養うことになるから、真贋の判別がむつかしい問題にぶつかっても心配のない安心の境地を得ることになる、と言うのである。
「哥はたはれこと(※ 趣味の意)ぞ、わはから國の大きなるまつろへごとを得つるよといふ人あり、それが本とせるふみどもはしも、かたへの人、かからば世の中治りなんとおしはかりに書しものにぞある、そを見知は何のかたきわざぞ」(8頁)
「天下は生物にて、かたくなに記しがたし」(8頁)
「ふみのあとをおひて(※ 書物に書いてあることに忠実に従うの意)いふものは、事と有時(※ 危急の時の意)かたくなにして、世に通らふ事なきものぞ」(8~9頁)
「天つちのままなる心のそこひをいひ出るわざを得てこそ、ちぢの事にもよろしくわたらめ」(8頁)
本節の文章は全体的に「怒り」すら感じさせる勢いが有る。
上に引用した本節の最後を飾る4つの文章は歌を単なる趣味と定義し儒学の優越性を説く者に対して反論したものだが、天下は生き物であり常に複雑に移ろうものだから理屈ごときでは通用せぬ、しかもその理屈を考えた者が実際にそれで世を治めたわけでもないとなればそんなものを学ぶだけ無駄だと言うのである。
そして私が有名な「ますらをぶり」よりも真淵の思想の核にあると考えるキーワード、「あめつちのままなる心の底ひを言い出るわざ」を得てこそ万事に通用するのだと宣言して、真淵は本節を閉じるのである。
さて、以上の説明で本節の理路自体は尽くされたわけだが、本節の文章は真淵30年の歌学を豊かな含蓄で極度に圧縮した文章であるから、理路を追っただけでは未だ真の理解になっていないように私には思われた。これを解きほぐすのは私たち読者の仕事である。
まず「古代の歌は作為的でない」とはどういう意味か?
実は冒頭からして難解なのである。思うことを思うままに述べることを指すと言っても同語反復に過ぎない。
作為のない歌の、心・言葉・調べが整っているとは如何なる事態なのか?
これはさらに難解であり一見すると矛盾した物言いのように思える。思うところを思うままに述べれば意識の流れを活字化する叙述方法を提唱した、ジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」のような惨憺たる顛末になるとは、私たち現代人には親しみやすい考え方だ。
行間を読まねばならない。見えにくい形ではあるが本節で真淵は言語表現における形式と内容の関係について論じていたと考えられる。
「万葉集は日本最古の歌集」とは誰もが言うものの、真淵より以前にそのことの「意味」を問うた者はひとりとして無かった。
真淵は言う、万葉集の中には心・言葉・調べが整わない歌があると。なぜだろうか?
万葉歌人たちは単に個々の歌を創作したのではなく、同時に歌の形式を発明したからである。
万葉集以前に歌集がないということは手本とすべき形式が皆無の地点から出発したということだ。だから必然的に整わない歌、即ち駄作も生まれたのである。
例えば、日本の歌は五七調と言われるが、最古層の万葉歌には三、四、六、十(あるいは五五)のリズムが頻出する。記念すべき1首目の雄略天皇による菜摘児の歌からしてそうなのだ。
このような形式の試行錯誤の痕跡が残されているのは万葉集だけであり、この点において古今和歌集以降の歌集と明確に区別される。
万葉歌人は愚直に歌うことで日本語という言語にふさわしい歌の形式、五七調のリズムや枕詞などを発見していった。それは文字どおり闇の中で手探りするがごとき悪戦苦闘であった。
形式に続いて内容についても述べよう。序の7で述べたように古代の歌は歌わざるを得ない時に歌われ、それを真淵は真心と呼んだ。歌わざるを得ない時とはどんな時かと言えば「ひとが強い感情に囚われた時」と言う以外にない。
親しい者の死に遭遇すればひとは強い悲しみに囚われる。まるで感情の人質となったかのように心身の自由が利かない。強い悲しみはひとに其処に縛り付けられて在ることを強要する。其処に言葉が存在できる場所はないし適切な言葉があるとも思われない。
いかんともし難い状況に際してひとは言葉にならない言葉で嘆くのだが、この「うめき声」こそ歌の原初的な形態、言語未満の内容だけが有ってカタチはまだない形態なのである。
こうした強い感情にふさわしい言語表現を与える営みを真淵は歌の本来の姿と考えている。すでに述べたように万葉集においては前例のない所で歌の営みを始めているので表現の形式と内容を同時に発明するという悪路をゆくしかなかった。
しかし一方で「この悪路の上にしか真心は発露しない」とは言えないだろうか?真淵は本当はそれを言いたかったのではないか?私にはそう思われてならない。
万葉歌に映し出されている歌の営みは、哲学的には意識の生成するありさまとも言える。意識を持つとは己と距離を取ることだと言っても過言ではないからだ。
強い感情に囚われている時ひとは己であることを辞められぬ、いわば即自存在であるが、その感情にふさわしい言語の形式と内容を発見し歌にすることができたならば、彼は対自的に存在することを始めるのである。己を囚えて離さなかった感情から脱け出して距離を取ることに成功するのである。
この意味で万葉歌人にとって歌を詠むことは己の感情を知り、広くは己を知る営みでもあった。
極論すれば、真淵にとって歌を詠むこと学ぶことは、己の歌の営みと他者の歌の営みとを味わい尽くし、それを以て人間を知る道、悟りであった。
このことを踏まえて再び古代の歌を後世の歌と比較した真淵の論述を見てみよう。真淵は古代の歌の性質を、不恰好・みやび・儚い・まこと・ありのまま・気高い心と規定している。一方の後世の歌の性質は、余裕げ・苦しげ・道理ありげ・空疎・技巧的・浅薄な心と規定している。
後世の歌はどうして「空疎」なのか?
それは今や明らかだ。短歌という形式がすでに有り枕詞や題詠といった数々の作法が有る中で、そこに言葉を合わせてゆくようになったからである。
五七五七七の中に、どれだけ風雅な内容を詰め込めるか。其処に狙いを定めて歌人の意識は集中する。風雅で気の利いた言葉を発明して、それを予め用意された形式に嵌め込む言語ゲーム。これこそが本節の冒頭に登場した「作為的な歌」の内実であった。
いまだ言葉にならない感情に形式を与えたい表現を与えたいという「儚い」願いが万葉歌を生んだ。その純粋さはもはや後世の歌に見られない。歌は意識を生む営みであって、意識的に取り組む営みではなかった。歌の営みが意識された途端、歌の本質は壊れたのである。
真淵はこの本質に帰ろうとした。「天つちのままなる心の底ひ」を言い表すわざ、表現の力を得ようとした。それこそが自己を知り、他者を愛し、社会を治める道と信じて。
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