氷と水の関係なのさ
ここ東京は、今日は雨が降りそうな肌寒い日です。
そんな中、息子は校外学習で多摩動物公園に行きました。
雨が降りませんように
寒さがひどくなりませんように
もっと厚着をさせれば良かったかな
お弁当多すぎないかな
お茶は温かいほうが良かったかしら
…などなどの思いが湧いてきます(苦笑)
親心というのは、本当にどうしようもないけれど、誠にあったかいものですね。
あまり心配しずぎてもしんどいけれど、こうやって思いやる気持ちが自然に出てくるってよく考えるとすごいことだと思います。
誰もが発展途上の人なので未熟です。
でも親は完璧だ!と子供は思ってしまうもの。
そしてそれを求めた結果得られなかったものがたくさんあり、それが痛みとして残っているわけですが、どれだけ未熟な親でもこうやって子供のことを思い、その人にできる精一杯のことをしてきたはずです。
でも子どもにとってそれは当たり前のことなので、記憶に残らず、ままならなかったことだけが未消化のまま意識に留まるのですね。
そして立場が変わって自分が親になったとき、理想としていたような親になれず自分を責めてしまうこともあると思います。
やってあげたことは「親だから当たり前」と思っているので記憶に残りにくく、やってあげられなかったことだけが大きく浮上し、自分を責めてしまうのです。
あなたもあなたのご両親も、本当はみんなみんな精一杯やってきました。
そこに愛があったのかなかったのかというと・・・
間違いなく愛しかなかったはずです!!
宇宙からのフォトンエネルギーが年々、日に日に強まってきています。
これは「こっちに来いや~」という光です(笑)
人間は、とてもハイブリットで他の宇宙の生命系で類をみないほど感情が入り組んでいて複雑です。
感情には喜怒哀楽がありますが、実際には際限なく精妙な部分まで数限りなくあり複雑化しています。
その中の喜と楽に代表されるものだけが良くて、怒と哀に代表されるものが悪い、というのは二元の考え方です。
二元的な考えとはネガティブ側を否定していることになるので、それをやめないかぎり陰陽の世界からは卒業できないとさえ言われています。
否定してなくすというやり方では、愛という一元性の世界に行きづらいのです。
スピリチュアルな考えを取り入れた人は、良い悪いはない、という考えを採用しながらも、「悪い」を自分の中からなくそうとして、なんだかよく分からなくなって迷路の中に入り込んでしまうのですね。
でもそのプロセスは、おそらく誰もが一度は体験するもので、そのプロセスを経るからこそ見えてくることがたくさんあります。
結局、浄化とは受容なのです。
元はみんな同じエネルギーです。
色の違い、音階の違いのような感じで喜怒哀楽になりました。
怒りは、パワーです。
その怒りは物事を成し遂げる力、行動力、創造力に変換させることができます。
哀しみや罪悪感は、人を思いやる心に変えていけます。
他者に対しての慈愛は、ここからしか出てきません。
哀しみを体験したことがない人に、誰の気持ちも理解できないのです。
批判的な思いや猜疑心は、物事の本質を見極める力に変えていけます。
なぁんだ、結局怒と哀を否定してるんじゃないか!(私はだまされないぞ!私は言いくるめられないぞ!)
はい、そう思った方は、物事を冷静に俯瞰する力があるので、限りなくニュートラルな見地から見極めていく力を持っています。
これは、ネガティブを否定しているのではないのですね。
ネガティブを肯定すると、不思議なことに性質が勝手に変化していくのです。
氷に水をあびせ続けると、それはやがて水に変わっていきます。
ネガティブな思い(氷)に受容の意識(水)を浴びせ続けても、それは受容の意識(つまり本質、普遍意識)に変わっていくのです。
形が違って見えるだけで、元は同じものだからです。
でも、嫌っているものを受容するって、それはあり得ないくらい難しい作業ではありませんか?
そういうときにはイメージワークが役立ちます。
イメージワークは右脳のお仕事です。
イメージワークで靄をとったら、更には、左脳で価値観の掘り下げをすることで、きっちり綺麗に受容し、価値観まで変換させることができるのです。
ここ地球は陰陽の世界です。
陰と陽、どちらも用いることではじめて腑に落とすことができます。
陰は右脳で、陽は左脳です。
そして、愛一元性の地球もすでに別のパラレルに存在しています。
両脳使って腑に落としていくことで、その新生・地球に意識を合わせいくことができます。
肉体を維持したまま、一元になることで限りなく地球というテーマパークを堪能することができます。
その力はあなたの中にあります。
氷を水に変えて、どこまでも流れ、広がり、大海へと合流していきましょう!