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自信とか自己肯定感とか[INFJ男の悩み④]




自己肯定感低すぎでしょ」


「もっと自信を持ったらモテるのに」


これ、よく言われる言葉なんですが

この間久しぶりに会った方に言われたので

改めて考えてみることにしてみました。



その前に

"自己肯定感"ってなんだろう?



ネットの検索欄に入れてみると

ありのままの自分を肯定する感覚」を指す言葉らしい

ということがわかりました。




「ありのままの自分」
ですか…なんて難しいことを…。





めまいがしそうになるのを抑えつつ、

自分用にわかりやすく言葉を変えてみると

"自分自身のことを認めてあげられる人"は自己肯定感が高くて

"認めてあげられない人"は自己肯定感が低い

ということ…ですかね??



自分は物事をネガティブな方に考えてしまう傾向にあると思う。


仮に、容姿や性格を褒めてもらったとしても


(でも実際モテてないしな…)


("お世辞で言ってるだけ"か
 "自分の他の部分に問題があるって言いたい"って事…??)


などと、ぐるぐる考えてしまう。
(いつもの事だけど)

相手にそんな気持ちは一切ないのに。申し訳ない。


これは今まで書いてきた自分の気質的にも
仕方のないことなんですけど、本当に自分は考えすぎてしまうんです。

意味のないことをぐるぐる ぐるぐる。


気にすぎて 考えてしまう分、


髪型や服装、言葉遣いや所作など

自分のできる限り気を配っているつもりですが

自信なんて湧いてこない。

気を配っているから安心だ、なんて1ミリも思えたことがない。


役者でご飯を食べることを目指していた頃

オーディションで

「これなら誰にも負けない!と思う特技は?」という質問に答えるのに

どうしても時間がかかってしまっていた。


どれだけ稽古しても自信たっぷりに
「完璧に演じられたぞ!」
なんて思えた試しがない。


いつも心配で、不安になる。


なんでこうなってしまったんだろう。



こんな事を書くのは親不孝っぽくて気が進まないんですが
心当たりがひとつだけ。



ぼくは親に"まっすぐな言葉で褒められた記憶"がありません。


親と不仲とか、そういう事は全くありません。

むしろ友人のように話したり、出かけたりしてます。
反抗期もありませんでした。仲良しです。


考えられる原因としては、
姉が2人とも割となんでもできるタイプだったからで

運動をしても勉強をしても可もなく不可もなく平均レベルなぼくは

どれだけ結果を出しても
家族の中でそれが当たり前のようになっていたんだと思います。

リレーの選抜に選ばれても

テストで高得点を取っても

市のバスケ大会でキャプテンの番号をもらっても

合唱コンクールの指揮者を任されても

褒めてもらえた記憶はありませんでした。


愚痴っぽくなってしまいましたが、
とにかくこういった環境で育ったぼくは
どれだけ根拠があっても 自信なんて持てませんでした。



こういう話でよく聞く
「努力が足りないから自信がつかない」なんてウソだと思う。


努力で自信がつくのは、心のどこかに自信の種がある人だけだ。



そんな思いを抱えて生きているから、

たまにいる「根拠はないけど自信がある人」に憧れがある。


"根拠のない自信"ほど最強なものってないと思う。


多分、手にしただけで見える世界の形が変わってしまう伝説の武器だ。


どこにあるんだその武器。教えてほしい。



ぼくもいつか手に入れられるんだろうか。



でも、まずは地道に自信の種を見つけるところからだな〜。


…何十年後になるかな。笑


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と、自信と自己肯定について考えてみましたが
思ってた以上に不時着しました。

まだ何も解決できてないからですね…。
大目に見てください。笑

長いのに読んでいただいてありがとうございました!
解決法あるよ!って方コメントで教えてほしいです。

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