アダルトチルドレンの自己否定と左脳の暴走からの気づき

夫と話していると、わたしが言うことのほとんどを否定してくる。いつも同意してくれない。

でも夫は嘘をつけない人だから仕方ないよねと割り切って慣れてはきていたが、長年のモヤモヤ感は取れなかった。

身近な人ほど肯定されないのは、自分で自分を肯定できるようになるためのレッスンなんだろな〜とずっと思っていた。

そこで先日、夫に恐々その部分を問い詰めてみたら、なんと「スピカを否定したことなんて一度もないんやけど」との返事!

えええ、どういうこと?



翌日、とあるXのポストが目に飛び込んできたのだけどタイムリーすぎて驚いた。

これもアダルトチルドレンが原因…
愕然とした。

https://x.com/shippko/status/1780705005009572179?s=46&t=z-UQFRyxlm3GI7oUYy5t1A


自分に対して悪口を言われてるのではないにもかかわらず、自分に言われてる気がして落ち込んだり。

仲のいい人であっても、わたしへのただのアドバイスなのに、全否定されたように感じてしまって失望して大嫌いになってしまうパターン。

毎回人間関係が裏切られて破綻してしまうのはなぜなのか理由がわからなかったけど、裏切られたんではなくて、わたしが人格を全否定されたと思い込んでしまったからなんだと。


もしかして、生きにくさのすべてにつながる原因って「自己否定からの自己存在価値を失う恐怖」なのでは…?となった。


そして、自分のこれまでの自己否定ができてゆく思考パターンを書き出してみると…

怒りからスタートして、恐れや不安や悲しみに変わって増幅して身体に影響まで出てきてしまった。

途中からハイヤーセルフと繋がれるようになったが、全肯定してくれる安心感に悲しみは癒やされてたけど、隠されてきた怒りは消えていなかった。



巡り巡って積み重ねられて顕になった「怒り」。

それは瞑想時に毎日のように浴びせられる、左脳からの言葉「死ね」。

重みはまったくない。枯れたような、力のない文字だけが、ふっふっ、と脳裏に浮かぶ。

日によって多かったり少なかったりしたが、ここ1ヶ月ほどは妙に気になり無視できなくなっていた。


これはきっと、左脳の逆襲。
逃避として長年自動思考に依存してきたくせに!と突然思考を止められて蔑ろにされ、すっかり拗ねてしまった左脳の暴走。

それは、愛を選択するといいながら、わたしはわたしにいつでも条件付きの選択肢しか与えず、それが出来ない自分を許せなかった。

できない自分を認めず、綺麗事ばかりで汚い部分を排除しようとした。

わたしの中ではタブーだった。
わたしは清く神聖であるべき。そんな言葉は絶品言ってはいけない。そんな呪いをかけていた。

「死ね」と言う罵倒言葉は、わたしの中でいちばんのタブーで、呪いの言葉だった。

形だけでしか自分を愛したり、なぐさめられなかったことに、左脳は気づかせてくれたのだ。


ご覧下さりありがとうございます。創作作品を通して、人生を愉しみながら自分らしく輝ける、どなたかの歓びに繋がるように還元したいと思います!