美しいものを残しておきたい
私は芸術、特に文章に対して最大限の評価を付けるときにこの言葉を使いがちです。それは「美しい」という表現です。元々は絵画などビジュアル面に対して使われがちな言葉ではありますが、私はこれを音楽や文章に対しても使っています。
数年前に米津玄師さんを知ったときに、彼も同じようにいろんなものを「美しいと思っていて」と表現することが多いと知りました。そのこともあって一気に親近感を抱きました。
美しい旋律、美しく終わる物語など「美しい」との言葉を使った賛辞はよく目にします。特別変わった表現ではないのかもしれませんが、この共通点は私にとってとても嬉しいものだったのです。
その結果私はいつからか米津玄師さんみたいになりたいと憧れるようになり、彼のような普遍的でいて美しい作品を作っていたいと思うようになっていきました。
自分にとって満足できる作品
私はかつて小説を自分で書いていたころ、自分が美しいと思う場面を書きたいと考えることでモチベーションを保っていました。そしてそれがうまく書けたことで、例え人気が出なくても自分の中で大切なお話のひとつになります。それは場面に限らず、たった一文だったりもします。
なんとなく、自分にとってのそのときの感情のひとかけらを真空パックしてずっと取っておけるような気持ちになります。それが例え安物であっても、宝箱にそっとしまっておくことと似ているように感じます。
それはまぎれもなく私にとっての宝物であり、できるだけたくさん集めておきたいものだということです。実際に私は幼少期の宝箱というものを持っていて、遊んでいたおもちゃなどを取っておいています。そういう習性があるようです。
半年くらいずっと、いろんな文章の書き方を模索してきました。元々の自分の得意な文章だけでなく苦手なタイプの文章にも挑戦して、少しは表現の幅が広がったのではと感じています。
だからこれからは、自分にとってずっと残したいと思うような美しい作品を書いていきたいと思うようになりました。何故ならそれこそが私の生きた証そのものになると考えたからです。
好きなものを大切にしていく
テレビなどで「自分の好きなものだけを集めたお店を開きたい」という夢を叶えている方を目にします。時々noteでもお見掛けします。好きなものとはきっと、その人の心にとって美しい存在ということです。
猫グッズ専門店であるとか、オーナーの好きな音楽を流してコレクションを飾った喫茶店、鉄道模型を飾ったバーなど見たことがあります。まさに自分の生きた証を形にしているのです。
それくらいに「好きなものに囲まれたい」という気持ちは人を動かすということでしょう。また、これは自己肯定感を強めるという点でもとてもいい方法だそうです。
私もあんなに好きだったのに最近ずっと忘れていた曲や、映画などに少しずつ触れて自分だけの世界観というものを取り戻すことを始めました。どうして離れていたんだろうと涙を流したものもあります。
きっと離れている間にいろんな体験を積んだことで、見える景色が変わっていたこともあるのでしょう。それでもやはり基本的に美しいと思うものは変わっていませんでした。
無意識下に宿っている美意識
あなたは美しいものと聞いてまず何を思い浮かべますか?
もちろん人によってたくさんの価値観がありますし、審美眼というものもあるでしょう。誰にとっても美しいと感じる風景などを好きな方もいれば、少し好みの分かれるものを好きな方もいます。
ちなみにうちの家族で映画のジャンルに固定して言いますと、母は「人間の本質が明らかになる場面」が好きです。弟は「綺麗なだけじゃない人間の側面」を見るのが好きなようです。
そして私はというと困難に立ち向かったりする「自分自身に打ち勝つ瞬間」を見るのが好きです。また「誰かとの別れの場面」を見ることでも胸を打たれます。
その匙加減は一体どこにあるのだろうとつい考えてしまいますが、これはおそらく潜在意識の中に隠されているのではないかと思います。今まで自分が生きてきた経験や元々の好み、あるいはトラウマなども関係あるのではないでしょうか。
いろんな要素がないまぜになって、その人にとっての黄金比を作り出しています。それにこだわればこだわるほど、見つかったときに手放したくないと願ってしまうものなのかもしれません。
ここまで読んで下さってありがとうございました。