「愉しむ」ことは「楽しむ」から見つけていく
今年のテーマは「楽(しむ)」
新年に今年の一文字として「楽」という漢字を設定しました。
「心を今ここに置いて”楽しい”をしっかり味わおう」という意味が込められています。
「楽しむ」と「愉しむ」の違い
「楽しむ」は「愉しむ」とも書きますよね。
ニュアンスがどう違うのか気になったので、どちらにするかを検討するにあたり調べてみました。
これを読むと「愉しむ」の方がより奥深い印象がありますが、この違いを知った上で、あえて「楽しむ」のほうを選びました。
「愉しみ」は「楽しみ」の中から見つかりそうな気がしたから。
過去の自己制限と「楽しむ」ことへの葛藤
前回の投稿にこんなことを書きました。
そこには、私の過去の「時間」と「お金」による自己制限が関係しています。
長年会社員だった時代は、忙殺される日々ゆえに「これ楽しそう」が一瞬沸き上がっても「でも時間の余裕ないし」「子どものことが優先」といった思考が、そこに覆いかぶさってきていました。
例えば、地元で興味深いイベントの開催告知を発見して「これ面白そう!」と思っても、「子ども預けて自分だけ楽しむのだめだよね」とか「一日家空けたら家事する時間なくなるし、子どもとの時間も減っちゃうしな」って考えちゃう。
(今思えば、ただの言い訳なんですけれどね)
ところが、会社員を卒業し、やっと時間を自由に使える環境になっても「新しい仕事(起業?)のために行動しなきゃ」とか「稼ぎがないから余暇にお金なんて使えない」などと、またしても言い訳の嵐で、自分が楽しむことを思いっきり制限してきました。
うん、「思いっきり」ね。
自分でも振り返ってみてそこを強調したくなる感じ(笑)
他にも会社を辞めてからの2年は紆余曲折ありすぎて(これについてはそのうち)自分を楽しませることを本当に制限してきたと思います。
転機と広島の旅
転機が訪れたのは2023年後半。
友人がライブのチケットを譲ってくれると連絡をくれたのです。
しかし、その公演会場は、なんと広島。
新潟在住の私からすると、広島はとんでもなく遠い場所のように思えました。
どう考えても日帰りは無理、いや、むしろがっつり2日間は必要、だから無理…と返信しかけたのですが。
この機会を逃したら私は後悔しないだろうか?
行ったら絶対楽しいよ?
自分の中にこういった質問が沸き上がったのです。
おそるおそる家族に相談したら…「行っちゃダメ」とは言われませんでした。
ということは、行っていいんだ、私?
そして数か月後、私は広島にいました。
ライブを楽しむと同時に、何十年ぶりかの「一人旅」を堪能していました。
路地裏を彷徨ったり、広島焼きのお店のカウンターに座っておひとり様をしたり、平和記念公園や厳島神社を一人で巡ったりしました。
私の中の「わたし」が「楽しい!楽しませてくれてありがとう」って喜んでいるのが分かりました。
※それをきっかけに、2024年は(泊りも含め)一人で出掛けるということを何度か実行することができました。
自分の「楽しみ」を再発見
これね、当たり前にできる人からすると「なんで?」って思うかもしれないけれど、見えない鎖でグルグル巻きにされている人は、その鎖から抜け出すことを自分から諦めちゃってるんです。
鎖、切れるわけないじゃんって。
だけど、無理やり切ろうとしなくても、ひと巻きずつほどけば、鎖から抜け出せる。
つまり、無理やり現状を押し切って強引に進もうとしなくても、今のコンディションでできるベストを考えたり、ダメもとで周囲に協力をお願いしたりすると、何かしら次の道が開ける可能性があるってこと。
「楽しむ」と「愉しむ」を行動で繋げる
これまで楽しむことに謎の罪悪感があって、自分の気持ちに蓋をして忘れそうになっていました。
だから、まずは自分にとっての「楽しみ」って何だろうと思い出すところから。
そして気付いたのですが、「楽しむ」ためには「行動すること」が必要なんですよね。
(楽しいことだから「ねばならぬ」思考ではなく勝手に体が動いてしまう、という感じかとは思いますが)
体より思考がすばやく動き始めてしまう内省優位な私としては、「なんかこれよさそう」と感じたらすぐに行動に繋げることを意識したかったので、今年は「楽しむ」をテーマにしてみました。
「楽しむ」ことができたら、その中から自分の深いところにある「喜びの源泉」に繋がるような「愉しみ」も出てくるんじゃないかなぁという気がしています。
昨年コーチングを学んだ時にはそう感じていたから。
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皆さんにとっての「楽しみ」そして「愉しみ」は何でしょうか?
”たのしんで”いる時、どんな気持ちが沸き上がっていますか?
教えていただけたら嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。