日本の教育事情。自由、自由、得意なことだけ伸ばす、は間違いと私は考えます。
こんにちは😃
少しだけ、思考しますよ。
※この記事書いた時、多少ネガティヴだったかもですが、記録として残します。夜には気持ち切り替わってます。
私は、少しだけ、困難な家庭に育ちました。
しかし公立小学、中学を出て、私立高校、私立大学へ。そこから、11年は同じ業界でノーストップで働いています。不登校、中退、留年、浪人はありません。経済的にゆとりがなかったため。
また家庭が困難だからこそ、学校で活躍できる自分に誇りを持てた。
得意を活かして、出版業界の仕事には就きました。ただ、望む職には就けず、アルバイトに戻り、職を転々です。しかし自分の目標を目指しての移行であり、その時点では悔いはなかったですね。
しかしその得意は、初めは得意ではなかったのです。
得意ではないけど、子どもの頃から、職業に対して、夢がありました。
夢は途中、途中で変わりました。
だから、学校には行き続けたし、学び続けました。
全ての教科、体育、美術、家庭科。全部頑張りました。音楽はフツーにわりかし得意でした。わりかし、レベル。
生きるために大事だと思った、家庭科と運動は、特に向いてなかったのですが、やれる限り、頑張りました。厳しい目を持つ、女性の先生たちは認めてくれていました。五科目は当たり前です。
優しい小学校時代の男性の担任の先生は、気遣ってくれました。厳しい中学の数学の男性の先生は、部活に来て、ノックを打ってくれました。たぶん私達の部の苦境をご存知でした。
敏感な先生達のうちの何人かは、私に何か察するところはあった、と振り返ります。
小学では班長や学級委員は当たり前。
中学では運動部の学年キャプテンからの副部長。
高校は遠過ぎて、部活には入れず。だからあまり楽しめなかったのは否めません。本当は女子校の軽音部に入り、ギター🎸を弾く夢がありました。。。敗れ去りました😆
私は皆に無理して頑張れ!とか、負けるな!とか言いたいわけではありません。無理はせずに、でも疾病利得に逃げて欲しくないのですよ。特に脳に特性ある方達。
疾病利得に逃げずとも、まだまだ活躍できる持病持ちの方、たくさんいらっしゃると、私は長年見させてもらってきました。
生きるために、読み書き計算の基礎学力、体力、チームワーク力、コミュニケーション力、家庭科、マネープランニング、ライフプランニング、性教育、心身の健康を含めた危機管理能力。。。
これだけは、身につけさせてあげないといけないのですよ。特性の中で、発症しない範囲内で、ですが。
さもなければ、人生で躓いたとき、再起ができません。うまく適切な人にSOSを出す力も含めての、再起力のためには、得意を伸ばす、自由を尊重だけではダメなのです。
今、特に自分がメンタル疾患になったことがあるような方たちは、子どもに自由に、自由に、好きや得意を伸ばす、という方向性に行き過ぎているように思います。自分と同じ轍をふませたくないから、なわけですよね。
私は、メンタル疾患を持つ方の書く、教育に関しての意見のblog記事を読み、日本社会全体がリスキーシフトに移行しかかっているように考えています。
私は実は、日本社会全体のマジョリティ志向は信じないし、流されません。
しかし、もう中年を過ぎても、自ら学べない人は、一定数おり、もうどうにも変わらないのだな、と。
学びにも限界はありますしね。
そして、政府、公的機関。。。基本的には、わたしは信用していないのですよ。
楽しい流行りや遊びに関しては別です。
日本社会の教育事情は、リスキーシフトに向かっている気がしています。
無駄に闘う気は、私にはありません。
できることだけ、やらせてもらおうかと。
私にできることはちっぽけ。草の根運動にも、届かず、終わるでしょう。でもまだ、未来の大人たちのために、きっとできることはあるはず。
そんな決意の夕方でした。
お読みくださった方、ありがとうございました😊