コミュニケーションのスタイルはテクノロジーによって形をかえる!のか?
こんにちは。すぺくとらむです(ニコッ)
最近、ネット界隈に生息している民とリアル社会民との間にコミュニケーションの違和感を感じています。
どうやら世代ギャップというよりは、ネット上での人間関係の経験値によるところが大きいのではないか、と。
インターネットは他人との距離感を近くしました。
顔も名前も住んでる場所なども秘匿したままでよいし、姿かたちや行動そのものを見せなくてよいので、現実での人間関係に直接的な影響は少なく、体裁をとらなくてよい分、リアルで交流している人達よりも心の距離が近くなりやすいようです。
また、物理的な距離に関係なく交流できるので、多文化への対応が寛容です。良くも悪くもお互いのアイデンティティが曖昧なままでもOKなんですね。
その性質のせいか、心の内側をあらわす表現の種類が多彩だなと感心しています!
この発言をする背景について、「定時上がりで残業回避→ダッシュで帰宅→晩餐酒なし→風呂あがりでビール(今ここ)最高の一日でした!」
そのほかの細かい心情の移り変わりも全部文字にして伝えていかないといけないのです。「あー」とか「おお!」とかの感嘆の声や、雰囲気や空気で察したよということも文字にしますし、顔の表情も文字や絵文字で伝えます。
例えば(笑)の表現。笑→w→草 の進化はすごくないですか?!
ちょっと余談ですが、(笑)(苦笑)(恥)とか日本語の妙ですよね。一人称や語尾でキャラクターの性格が変わってくるし、同じワードでも漢字なのかカタカナなのかひらがななのかでその会話の温度感や場の印象が変わってきます。
「野菜を食べよう」
「やさいをたべよう」
「ヤサイヲタベヨウ」
うーん。。。
他の言語ではここまでの心理状態を描写する表現はないのでは?
ちなみに日本語を母国語としない人が日本語を話すときや、慣れない言語を話すときの表記をカタカナにするという発想は発明級のアイデアですよね。
(誰が始めたんだろう。。。)
他言語では大文字と小文字とか""で囲ったり工夫しているようです。
おっと。
アイデンティティが曖昧なままで会話が進むという話に戻りますが、ニックネームや性別や肩書は「役割」を示すためのものであり、もはや生物学的な女性脳、男性脳ではその本質を理解しきれないのではないかと思っています。
女性でも社会立場や経験で男性的なコミュニケーションを得意としますし、男性でも情報視野が広かったり、言語脳が発達していたりしてて今を大事にしたコミュニケーションのタイプも多いです。
なにせアイデンティティが曖昧な時代なのです。
女性と話すときはこう。男性ならこう。といったセオリーは生物学的機能の違い以外は考慮しないほうが理解しやすい時代なのかもしれませんね。
インターネットネイティブ世代は、これに慣れてしまっているので自然にこういう会話になってます。会話している時も文字に変換して、どんな空気感での会話なのかを読み取るスキルみたいなものがあるといいのかもしれませんね。
今日はこの辺で。ではまた。