目からビーム!22 キスと民主主義
GHQは日本の占領政策の一環として、封建主義に繋がるという理由で学校の体育教育のプログラムから柔剣道を外し、それだけに飽き足らず、チャンバラ映画の製作上映も禁止したのである。さらに、日本映画は殺伐としている、ラブ・シーンが少ない、キス・シーンを導入しろとまで“指導”してきた。かくて、各社から俳優陣が集められ、米国女優を教官にキス・シーンの講習が行われたという。
金髪女優がキスの手ほどきをしてくれるなんて羨ましい限り、などと思うのは僕のような日頃あまりもてない男だけのようで、当の俳優たちからは、「そんなものアメさんに教えてもらんでも」と不評だったらしい。いずれも祇園や先斗町で鳴らした剛の者たちだけに、そちらの道に関してはプライドもひとしおだろう。
稲田朋美議員の衆議院本会議での発言が一部でやり玉に挙がっている。確かに、十七条の憲法までさかのぼるのは、論の広げすぎだろうけども、「敗戦後、連合国から教えられる」以前に、未熟ながら日本流の民主主義は存在していた。とりわけ、エロ・グロ・ナンセンスといわれた大正デモクラシーの自由の空気には、タイムマシーンがあれば、僕もどっぷいと浸かってみたいと常々夢想している。
占領下、マスコミ用語としてのミンシュシュギが氾濫したけれど、内心、「そんなものアメさんに教えてもらんでも」とにがりきっていたインテリも少なくなかったかもしれない。そもそも映画というエンタメの世界にまで干渉してくる国の民主主義って何よ? ちなみにアメリカで公民権法が成立し黒人の参政権が保障されるのは1964年のことである。
民主主義は近代国家の根幹であり死守すべきものだが、それとて万能ではない。
提督ピラトはイエスを殺したくなかった。そこで民衆の多数決にゆだねたが、民衆の声は「イエス死すべし」が圧倒的だった。つまり、イエスを殺したのは民主主義なのである。
もしかして、300年後の未来人は「21世紀の人間は、民主主義なんて野蛮なものをありがたがっていたのか」と笑っているのかもしれない。
初出・八重山日報
(追記)アメリカの黒人参政権については、少し補足が必要だろう。アメリカでは、南北戦争後の1870年の憲法修正第15条によって黒人に形ばかりの選挙権が与えらた。しかし、それは完璧なものとは到底いえるもんではなかった。たとえば、南部諸州などは、財産や文字の読み書きによって投票に制限を与えたのである。財産で制限されるなら、綿畑で働く貧しい黒人労働者にはどだい縁のない話だったし、その上に投票税を徴収する自治体さえあったという。また、黒人労働者の多くは文盲でもあった。なによりも、あの悪名高いクー・クラックス・クラン(KKK)が脅しをかけるので、黒人は投票所にすら近寄ることができなかった。ついでにいえば、当時は全州で、投票権は男子に限られていた。
女性参政権に関しては、1920年代、欧州、とりわけ英国が先んじ、米国がこれに次いだ。英国の女性参政権に関しては、ごくごく間接的だが、日本の関わりもある。これについては、いずれの機会に書いてみたいと思う。