ウォルト・ディズニーと東京大空襲
東京大空襲は東京大虐殺である
東京大空襲は非戦闘員を狙った、明らかな大量虐殺であり、陸戦条約に反する立派な戦争犯罪行為である。一般的に戦犯などというが、戦勝国にも敗戦国にも戦争犯罪行為(あるいは戦争犯罪者)はありうる。しかるに、敗戦国の戦争犯罪行為は裁かれ、戦勝国のそれは裁かれることはなかった、という一点をもってしても、極東軍事裁判は裁判の名に値しない、まったくの茶番劇だったと断じていい。
僕の母は東京浅草松葉町の生まれ。空襲時は、祖母の実家(下館市)に疎開して難を逃れたが、下町に住む祖父方の親戚のほとんどを失った。東京に帰って叔父一家を訪ねると、焼け落ちた家の跡に醤油のアルミ缶が置いてあり、中に一家の遺骨が入っていたという。近所の人が見かねて拾い集めてくれたそうだ。子供は骨も残らず焼け溶けてしまったらしい。
さて、米国によるこの世紀の大虐殺作戦の陰の功労者(?)として一人の映画人の名を挙げなくてはならない。ウォルト・ディズニーである。
『空軍力の勝利』とは
日米開戦以後、圧倒的な物量と軍事力をもちながら、アメリカは日本の存外の抵抗に苦慮していた。そんな折りの1942年(昭和17年)、アメリカで一冊の本が上梓された。タイトルは『空軍力の勝利』(Victory Through Air Power)。著者はロシア生まれのアメリカ陸軍元航空技術者でセヴァスキー航空会社のオーナー、アレクサンドル・セヴァスキー(セヴァルスキーとも)である。内容は、飛行機の発明とその発展を描きつつ、今世紀の戦争は航空戦力の大小が勝敗を決めるということに重きを置いたものだった。
これを読んで大いに感銘を受けたのが、航空機マニアでもあったディズニーである。さっそく映画化権を得て、同名の映画を製作する。作品は実写パートとアニメ・パートを合わせた構成で、中盤、セヴァスキー本人が登場、「南の島を取ったり取られたりしていても埒があきません。むしろ日本本土を空爆し、やつらを叩くべきです」と力説する。
アニメーションで描かれた東京空爆
クライマックスは、アニメーションによる架空の東京空襲のシーン。漢字(?)の看板だらけの街並みに大量の爆弾が投下、火焔に包まれ、基地や軍需工場が破壊される。最後は太平洋に触手を伸ばす大ダコ(devil fish。アメリカがしばしば、プロパガンダで大日本帝国やナチスドイツの比喩に使った)をアメリカの象徴であるイーグルが襲撃して終わり、という塩梅。
これを観たチャーチルは大絶賛、カナダ・ケベックで行われた米英首脳会談でルーズベルトにぜひ観るよう勧めたといわれる。一説によると、この映画に刺激され、ルーズベルトは東京空爆を立案したというが、それはいささか眉唾ものだ。ほぼ同時期、アメリカはユタ州ダグウェイ試験場に、日本の街並みが再現され、連日焼夷弾による実験が繰り返されていたからだ。しかし、世論喚起には、映画は充分な役割を果たしただろう。「生意気なジ●ップなど焼き払って、さっさと戦争を終わらしちまえ」と。
いくら合衆国大統領とはいえ、膨大な戦費を費やす作戦の遂行に関し、国民の声を無視することはできないのだ。
▲『空軍力の勝利』の東京空爆シーン。悔しいが、日本の当時の国策アニメなど足元に及ばないクオリティだ。
戦争協力と戦争犯罪
一神教教徒にとって異教徒など、虫けらと同じである。堕落腐敗し神の怒りを受け、硫黄の炎で焼かれたソドムとゴモラの例を出すまでもない。現に東京大空襲の最高責任者カーチス・ルメイは、「日本人を焼き殺すことに何の躊躇も良心の呵責もなかった」と言い放っている。彼はこんなことも言っているのだ。「もし、あの戦争でアメリカが負けていたら、私は間違いなく戦争犯罪人として裁かれていただろう。今、ここに自分がいるということは、まったくの神のご加護だ」。
藤田嗣治は戦時中『アッツ島玉砕』などの多くの戦争画を描いたために、戦後は一転、戦争協力をとがめられ、事実上画壇から追放の憂き目にあった。一方、ウォルト・ディズニーは戦争協力の実質的な褒賞として合衆国政府よりカルフォルニアの広大な土地を寄贈されている。その土地の上に建造されたのが、あの遊園地なのである。
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