その”ひとこと”は出番を待っている
「伝える」って作業の大切さについての話。
・16文字の告白文
・”目立ちづらい”ことによる感謝の水漏れ
・いくらあっても良いものはいくらでも伝える
16文字の告白文
「ただ”ひとこと”言ってほしかっただけ」
このフレーズに今回の内容の答えが入っています。たった16文字の中に埋め込まれてるその気持ちの重要さ、なかなかなサイズですよホント。
よく「褒めて伸ばす」教育方法が取り上げられていますよね?出来ない、苦手な部分には目を向けず、得意なことが出来たときに褒めて、その勢いで全体的な能力の向上を目指すやり方。
僕もこの方法をよく採用しています。何から何までパーフェクトにこなせる人なんていない、つまり「不得意」や「苦手」は必ず存在すると思っているのでなるべく本人の意向に沿った勤務方法をさせております。
(↑もちろんお店や僕の意向に従ってもらうことだって五万とありますけど)
この方法、画期的ですし、もともと尖った能力の持ち主を上手に生かすのには向いていますが、バランスよく出来たり、根本的に”出来の良い”タイプの人からすると「なんで?」「それで褒められるの?」って感じる箇所が生まれる諸刃の教育方法でもあります。
”目立ちづらい”ことによる感謝の水漏れ
「褒めて伸ばす」教育方法による被害者が俗にいう”バランスよく出来の良い”タイプの人。
このタイプに属している人の特徴は、”他人のカバーに入ることが出来る”こと。裏を返せば”他人の不具合に気付く高性能センサーを搭載している”ということ。
「何でもそつなくこなせる」のを僕はひとつの才能と位置付けています。その一方で”便利屋”扱いされる可能性も秘めています。
その”便利屋”扱いが始めるとですね、これがまた弊害が生まれたりするんですよね。
「そつなくこなす=目立ちづらい」
つまり、派手さに欠けるってことです。
家を建てる時、一番目立つのは家そのものだったり、デザイナーの方々です。でも、これらは”地盤の良い土地”の恩恵を受けて建てられるものですし、デザイナーの意向を汲んで作成したのは”大工さん”なんです。
木造だとしたら、その木を調達した人がいなければ家を建てるという行動さえ出来ないんです。なので某珈琲メーカーのキャッチフレーズはまさに的を射ていて僕は大好きです。
「世界は誰かの仕事で出来ている」
目立ちづらいだけであって、別に気付いてないわけじゃないんですよ、誰だって。火を見るより明らかなんですから。
いくらあっても良いものはいくらでも伝える
わかりますよね?バランサーがお店をいい意味で牛耳っていることくらい。ゲストだって誰だって見たらわかる。
「縁の下の力持ち」っていう素敵なフレーズがありますが、実は本当の「縁の下の力持ち」は縁の上に立てる能力に溢れていると思います。
周りをカバーできる人なんて希少価値でしかない。多くの人は自分中心に世界を回している気でいるから。
決して自分中心が悪だとは思いません。我を通す必要がある時だって人生には何度も訪れるフェーズですし、実際に我儘を言って誰かに負担をかけていることだって幾度となくあります。
ただ、「我を通す=周りは関係ない」という認識なのか「我を通す=周りに少しの負担をかける」という認識なのかによる差はあまりにも大きいし、その人の評価すべてに影響すると言っても過言ではないです。
後者の意見を抱えて生きている人は基本的に大人しい性格なので、上手に伝えることが出来なかったり、自分ですべて抱えてしまって精神的にパンクしてしまったりすることが多いです。
自分では「ある程度出来ている」「貢献できている」っていうほんの少しの、生意気な意見とは程遠い謙虚な気持ちの上での認識を持っていながらも、そこの部分じゃないところでしか評価されない、何なら一切の評価に繋がっていない人は勝手な予測ですが世の中に多々いるのではないかと思います。
この評価っていうのは単純な給料とか労働時間とかそういった条件的な価値に置き換えればいいわけじゃなくて、ホントに冒頭で書いた「ただ”ひとこと”言ってほしかっただけ」っていう16文字に凝縮されていると思います。
わかってほしいだけ。見ていることを「見ているよ」と教えてほしいだけ。
僕らはこれにただただ気付くだけでいい。楽なもんですよ。簡単なこと。てか、どうせ気付いてるんだからわざとらしいくらいに伝えてみても良いのではないかと思います。
沢山あっても困らないもの。
それは、お金と時間。そして、「ありがとう」ってひとこと。