見出し画像

自然愛護の思想と限界


<自然愛護の思想と限界>

日本でクマが里山に降りてくるようになり、ついには都市部の中心にまでやってきては捕獲・殺処分となる事件が増えてきた。少し遡ればそれはイノシシでもあり、サルでもあった。その度に現代人は動物愛護の精神と現代社会の論理が衝突し、その狭間に立たされた日本人はそれなりの解決先を提示して、ここまでなんとか共存してきた。

動物愛護の思想のはじまりは西洋社会であり、インド=ヨーロッパ系の宗教によって生まれたとみて間違いないだろう。これらの宗教圏では動物はペットとしても家畜としても重要な生物だった。それは貧相な大地に生える食べられない植物を食糧に変えるばかりか、ウンチで持って野菜や穀物を生産するための養分を作り出し、労働し、そして副産物として毛皮などの衣服も提供してきたのだ。

そのため古来からずっと家畜は神聖な動物であり、食べることは滅多にない。また現代においてもその命を奪う行為は下等な仕事であり、飼育者が自身の手で行うこともなければ、食べる人たちが直接見ることもない。

だからこそ、これらの宗教では家畜は特に守られるべき存在であり、尊重されるべき存在であり、そして神様からのギフトであり続けた。そのため家畜にならない動物は常に狩猟とスポーツハンティングの対象であり、命を奪うことは決して悪いこととは考えなかったのだ。西洋の世界観ではモンスターはいつだって動物の姿に似ている。

そんな動物愛護の思想の中では動物は常に植物よりも高等な存在として扱われている。だからこそ、ベジタリアンやヴィーガンの思想家たちは植物の栽培方法よりも動物たちの住環境に強いこだわりを持ち、そして動物の命を奪うことはできないが、植物の命を奪うことに抵抗はないのである。

この辺りは動物愛護を訴える人々はその最前線で暮らしていないのとあまり変わりがないように思える。果たして自分の家の目の前にクマが出ても仕方がないと考えるのだろうか。また人間に慣れたクマを自分の家のすぐ裏山に離すことに賛成できるのだろうか。私には難しい。

実は古代仏教では動物(畜生)は輪廻転成する存在と考えるが、植物に対しては心がないため輪廻転成しないと考える。古代仏教がインド・ネパールからヒマラヤを越え、チベット、そして中国へと伝わる過程で少しずつ考え方が変わる。

そして東アジアで仏教が隆盛を極める過程で、ついに「草木皆国土皆成仏」となる。草木や国土のような心を持たないものでも成仏すると考えるようになったのは、世界にも稀に見る植物の楽園であり、何よりも道教やアニミズムの影響があったからだろう。

この地にて動物も植物も対等な命となり、人間とも同列と考えるようになった。そのため日本では家畜も野菜も自分と同じ命のように大切に育て、丁寧に扱う。そして最後は命をいただくのである。現代社会の消費者たちが使う「いただきます」と古来の百姓たちが使う「いただきます」の深さと重みは全く違う。「かわいいかわいい」と言いながら育て、自分の命の一部にすることを「生きる」ことだと考える。命と命の対話とは生死そのものである。命は命に変わる。

そのため肉食が禁止されていたと言われる江戸時代には実際にはイノシシを「ボタン」、ウマを「サクラ」、シカを「モミジ」と隠語で呼び、食べていた。また飢饉のときには積極的に狩猟に出かけていたし、里に降りてくるクマやイノシシは神様からの恵みモノ(ギフト)として、丁重に扱い、魂を山に還す儀式を行っていた。それは海辺のクジラやイルカを含め海の恵みモノも同様だった。

クマやイノシシなどが里に降りてくるようになった理由の一つとして「山に食べ物がない」という話がある。これは戦後の大量伐採とそれに続くスギやヒノキなどの拡大造林政策のせいだという。確かに山に食料がなければ、美味しい野菜と果実がある里に降りてくるし、中毒性のあるお菓子の味を覚えてしまえば、足しげく通うだろう。一度だけ、クマがお菓子を貪る様子を見たことがあるが、あの姿はスーパーで必死に泣きながらお菓子をせびる子供そっくりである。

しかしたとえ山に広葉樹の木を植えて、豊かな森に変えたとしても問題は無くならない。それは問題を先送りにしているだけに過ぎないことにどうして気がつかないのだろうか。

広葉樹の森が広がれば、彼らの食料は増えるから、人間圏にはやってこなくなるだろう。一時的には。食料が増えれば、当たり前だが個体数は増える。クマの増加は緩やかだがイノシシ、サル、シカはずっと早い。そうなれば、豊かな森で養える限界数に遅かれ早かれ必ず達してしまう。そうなればどうなるか。そう、人間圏に降りてくるのだ。ここで話は振り出しに戻る。

もう一つの理由として天敵がいない、つまりオオカミや野犬が居なくなったことがあげられる。これもまた問題だらけだ。現代人にとってオオカミと野犬の方が怖いのではないだろうか?どちらも自分の家の近くや裏山に居てほしいとは思えない。そしてもちろん、彼らも山の食料と生息数のバランスが崩れたとき、人間圏に姿を現すだろう。そう、これもまた話は振り出しに戻る。

広葉樹中心の森林にすれば、はじめはスギやヒノキの建築材が大量に市場に出てくるおかげで、木材市場は潤うだろう。しかし、そのあとはどうするのだろうか?広葉樹でも建材に向く木材は確かにあるが、それでも広葉樹の森を伐採すればまた彼らは人間圏に姿を現すだろう。しかし、現代人は良質で安価な木材を求め続ける。そうなれば、やはり常にスギやヒノキの人工林は必要となるのだ。

さらに自然遷移のスピードが早い日本の場合、放っておけば広葉樹の森はそのほぼすべてがドングリの森となる。そうなれば彼らの食料は秋にしかない。しかもドングリはよく知られているように不作と豊作の年の差が大きい。そのため豊作の年に一気に生息数を増やし、不作の年にどっと人間圏に姿を現わすだろう。その極相林からは山菜というパイオニアプランツも姿を消すため、人間圏の食糧も自ずと減ることになる。

このように世界にも稀に見る自然豊かな国日本では自然愛護の思想では、どうしても必ず衝突が起きるのである。それは自然遷移が遅い国々もいずれ起きることに変わりはない。それは人間がこの地球で生き続ける限り、避けることができない永遠の課題だと言えるだろう。

その証拠に人口2万人ほどしか居なかった縄文時代初期(約1万年前)にはマンモス、ナウマンゾウ、トナカイ、ヤベオオツノジカ、ハナイズミモリウシなどの大型哺乳類は狩猟によってほぼ絶滅してしまった。

もちろんこの絶滅の原因には当時の気候変動も関わっているが、その狩猟のおかげで生き残った縄文人は中期(約7000年前)には26万人まで一気に増加することになるのだ。つまり日本において、いやこの地球において人口の増加と野生動物の増加をどちらも右肩上がりに増やし続けることは不可能である。必ずどこかで衝突が起き、どちらかが増え、どちらかが減ることになる。

しかしそれは地球生命体という大きな枠から見れば、命の形が変わっただけに過ぎない。目の前の命があなたの命に変わる現場、つまり食卓で私たちが「いただきます」と告げる儀式はその生まれ変わりの現場なのである。

こうして今、日本で起きている野生動物との衝突はいずれ「人口問題」として科学者ばかりか政治家や私たち一般人の目の前に立ちはだかるだろう。「人口を増やすか自然を増やすか」は自ずと「人口を減らすか自然を減らすか」について議論することになる。この現代社会では誰もが語りたがらないタブーについて、いよいよ話し合わなければいけないのかもしれない。

宮沢賢治の名作「なめとこ山の熊」における主人公小十郎とクマのやりとりは現代社会においても本質的には変わらない。いったい現代人は何と戦っているのだろうか。人類と自然はいったいどう折り合いをつけるのだろうか。その「こたえ」はおそらく、私は見ることがないだろう。

一つだけ確かに分かっていることはいずれ人類は絶滅し、地球生命体の循環の輪に還り、新たな生命体が地球で生き続けることだ。それもまた地球が滅びる前までの話だが、とりあえず生命誕生38億年の歴史はその繰り返しだった。人類は果たしてどうやって絶滅することを選ぶのだろう。それはもちろんどうやって生きるのかという問いでもある。


いいなと思ったら応援しよう!