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季節行事の農的暮らしと文化 1月 初もの


<季節行事の農的暮らしと文化 1月 初もの>

明けましておめでとうございます。
さぁ、いよいよ「お節」を食べる季節がやってきた。
お節の「節」は節目(ふしめ)とか折り目といった季節が次の季節へと移り変わっていくときを意味している。もともとは季節の節目に神様へ備える「節供」が「お節」となり、正月だけの行事のみを指すようになった。お年玉ももともとは年神様へのお供え物。一度お供えしたものを子供たちへと分け合える行為だ。
そして、大晦日から正月にかけて全国の家庭で食べられる御節料理もまた神仏に捧げる供え物のことであった。特別なものをこしらえて食べる恒例のハレの日であった。

代表的な正月の飾り物である三つはすべて神様の依り代だった。
門松は「祀る」や「待つ」に通じ、年神様に「おもてなしのじゅんびができている」というサインの役割がある。次に注連縄は神社の本殿や拝殿に示されているように、神聖な場所を意味し「神様を迎えるにふさわしい場である」というサイン。門戸は内なる世界と外なる世界を隔てる大切な境界で、そこから様々なものが入ってくるから、冬の陰気・悪鬼・凶禍を防ぎ、春の陽気・神々・吉福を招き入れた。

最後に鏡餅は神様の依り代として崇められてきた鏡を模したもので、お供え物だ。鏡開きは神様への供え物をみなで分かち合う儀式。

季節行事のほとんどは正月と盆に集まっている。そのどちらも祖霊神であり自然神であった。年神様とはつまり先祖のこと。仏教では死者の魂が帰ってくることはあれど、神様として祀ることはない。キリスト教や他の海外の宗教でもそういった例はない。つまり年神様を迎え、祭り、ともに祝い、帰ってもらうのは日本独自の信仰スタイルである。

餅をつくのも正月が多いのだが、もとは旧暦十二月の行事であった。旧暦十二月一日は関東周辺では川祭りであり、この日についた餅を食べると水難に合わぬという。

私たちはまず旧年を新しくしなければならなかった。そのために若水が汲まれた。若水は私たちを若返らせる水であった。雑煮をこれで炊いた
雑煮は正月を迎える主要行事ではなく、やはり神様に供えられたものを下ろして、煮込みにして食うもので、祭礼で言えば後宴、すなわち後の祭りに当たるものであった。これを直会という。

正月の二日とか四日とかに山へ行って形ばかりの木を切ってくることがある。タキギを取るということは農家でも重要な仕事でこうして年の初めに山の神に祈って山に入った。。

行も事ももともとは日本において祭りを意味する言葉だった。事始めとか事納めの事ももともとは祭りを意味する。年中行事という言葉が生まれたのは江戸時代だと考えられているが、当時の人々は普通でない日、神仏の祭祀に関係ある日とその行事つまり祭りを定義していたのだろう。
そのため、特別な日には神を祀り、謹んでその加護を待ち、またその日の持つ意義に従って行動した。民間歴はこのようにして毎年毎年繰り返した儀礼が凝って、節目となり折り目となったものだ。竹の節目が丈夫さと柔軟さを併せ持つ鍵となるように、人々は節目をとくに大切に扱った。

松飾りを飾っている期間を松の内といい、関東周辺では一月七日ごろまで、関西では十五日ごろまで。役目を終えた松飾りはどんと焼きによって神送りに使われる。また書き初めを一緒に燃やす地域もある。
正月十五日に行われるトンドにおいても東西二つに分かれてトンドを組み、その倒れ方によって組み内の豊凶を占った。
トンドは元来、大正月の神の神送りの行事で、神迎えとともに大切な行事となる。
旧暦では一日が新月で、十五日が満月だったので、一月一日が大正月、十五日が小正月として祝った。神様もまた月のリズムで暮らしていた。

神送りのトンドは道祖神祭りと結びついた。道祖神とは悪霊悪疫を見張りかつ防ぐ神であり、辻の神でり、塞の神だ。通常は村はずれにあり、村の入り口を守る意味が強い。境の神様の前で正月神を送ることに意義あった。

正月には各地で様々な年占いが行われた。
正月の若水の中に米粒を落としてみて占う方法があった。すっと沈めば晴れ、ゆっくり沈めば雨、ゆらゆら揺れて沈めば風などと決めたとこもあった。

埼玉県の藤宮神社では筒粥の神事を行い、一年中の作物の占いをする。大きな釜で小豆粥を炊いて、神主が太いケカキボウにて葦(よし)の管をその中に入れ、管に入ったコメの数と小豆の数で、天候およびコメ麦その他作物の出来を占うという。関西では牧岡神社の粥占いが有名である。

また旧暦一月十五日、つまり新暦2月15日に大分県の大原八幡宮では米占祭が、佐賀県の海童神社ではお粥占い神事がある。これは炊いたお粥に生えてくるカビの様子を見て1年を占う。日本の国菌に神様からのメッセージを伝えてもらうとは面白い。

ほかにも福島県の海岸では正月の一夜沖に乗り出して、闇夜静かに魚のはねる音を聞いて占った地もあるという
また各地で正月に行われる奉射(射的)もまたその一つである。弓のこと、弓祈祷などともいう。的に鬼と書く地域や鉄砲を撃つ地域もあったという。そのほかにも綱引きをする地域もある(盆や名月の夜にする地域もあった。)
青森県三戸郡では一月七日に烏の餅投げをした。餅投げは重要な行事で餅を投げてやるまでは山仕事に出てはならなかった。大怪我するという。西日本では鳥が少なく鳥が来るのを待つのが難しいということで、人が代わりに餅を取る行事があったそうだ。

占いはやはり全国各地で正月行事として大切なものであった。神様からのメッセージを伝える役割がさまざまな生き物である点も興味深い。

人日の節句である一月七日に七草粥に食される春の七草は
セリ、ナズナ、ゴギョウ(母子草)、ハコベラ(ハコベ)、ホトケノザ(こおにたびらこ)、すずな(カブ)、すずしろ(大根)はすべて田んぼ周辺に自生している野草たちばかり。
七草粥を作るときはまず前日に七草を包丁で叩いて柔らかくし、水に浸しておいて、翌日に粥に入れる。その粥を作る前にその水に爪をつけてから爪を切ることを七草爪といい、一年間風をひかないという験担ぎがある。
七草粥に使われる春の七草は旧暦の一月つまり新暦二月のほうが手に入りやすい。そのため無理に栽培されたり、暖かい地域から取り寄せてスーパーに並んでいるが、もともとは人日の節句の習わしで7種の若い菜を入れた吸い物が由来なので、自分の身近な野草や野菜を使うのも良いだあろう。
つまり人参葉(セリ科)、春菊やタンポポ(キク科)、水菜や小松菜など

「一年の計は元旦にあり」という言葉は日本人が「はじめ」を大切にしてきたことを表している。
「新玉(あらたま)の年」とよくいうがこの「あらたま」とは年・月・日にかから枕詞で「新しい」という意味だが、元々の意味は「掘り出したままで、まだ磨いていない玉」のこと。荒玉や粗玉とも書く。私たちがイメージする真っ白でピカピカなのではない。

節日には神ガミの降臨があったからこそ、神ガミの威力を借りて災厄を祓うこと、神言をいただくことは意義ある方法であった。

正月は特に晴れやかな気持ちであらねばならなかったようだ。予祝いされるときであったからこそで、正月中の晴れやかな気持ちはまた一年中を約束されるものと考え、泣いたり喚いたりすることが禁忌だったようだ。
始まり良ければ、終わりも良くなる。百姓が準備をことさら大切にしていたのは、季節の流れの早さに合わせることもそうだが、始まりを大切にすることこそ、日本人の信仰に深く根付いているからだろう。


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