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季節を知らせる花と日本人~冬~
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<季節を知らせる花と日本人~冬~>
・ツバキ
冬のはじまりに里山を彩る花といえばツバキだろう。
秋冬野菜の定植も一段落し、最初の霜が降りる頃にツバキは咲く。
赤や白、ピンクといった鮮やかな色とともに複数の花びらを持つ豪華な花は冬の寒い季節よりも常夏の南国の花のようでもある。
ツバキの漢字は木に春とか書く。
中国では椿という漢字は霊木の意味であり、
椿を意味する理由は日本原産のユキツバキが早春に花を咲かせることから生まれた日本独自の国訓と考えられている。
ツバキは日本を代表する花である。
その証拠に日本の歴史書である記紀にも記載がある。
記紀には他にもたくさんの植物が出てくるが基本的に実用度が高い植物である。
もちろん、ツバキも実用度が高い。
一般的に有名なのは椿油で現代では刃物や機械類によく使われるが、
新鮮で農薬の残留量が少ないものは古くから食用として用いられている。
しかし、昔からの使用例で一番多かったのは油と櫛で髪を梳くときだろう。
今でも女性の間でシャンプーの後のトリートメントとして、または頭皮などの皮膚のケアとして使われている。
また精製したものは育毛剤としても使われている。
ツバキは葉・花・果実、すべてが薬用として、花は天ぷらとして食べることができる。
そのために、ビワ同様古くからどの家にも植えられていた、と思ってしまうが実際は違うようだ。
日本を代表する花であるというのは、正しくいうと日本を代表する花卉である。
花卉とは主に観賞用として栽培される植物のことである。
実は日本は、世界でも有数の花卉の文化が発達した国である。
もちろん、中国やヨーロッパでも花卉栽培は古くから存在しているが、
日本は一般庶民まで花卉の文化が他の国よりも早く広まった国なのだ。
あらゆる文化同様、花卉文化もはじめは中国からの輸入だったにも関わらず、室町時代に中国へツバキが輸出されているのである。
日本文化が中国に輸出された例としてはツバキが第一号だという説がある。
(中国の文献では海榴という文字のため、これが本当にツバキなのかはまだはっきりしていない)
日本を代表する花といえばもう一つ桜が挙げられるが、
この桜とツバキが多く開発されるのが室町時代である。
桜は以前書いたように武家社会の鎌倉中心とした関東で新しい品種が誕生したが、
ツバキは公家社会の京都中心で発展した。
そして、その代表的な品種が「侘助」である。
その侘助の特徴は原種が高木に対して低木サイズであり、花が十分に開かない。
この侘助はその特徴ゆえに茶席で主に鑑賞用として使われたのだ。
しかし、この侘助は中国からの輸入であると考えられているが、現在の中国ではこのような品種は全く見られないのである。
つまり、この時代、中国と日本ではツバキの品種改良が盛んに行われていたが、
その後日本ではツバキは生き残ったが、中国では廃れてしまったのである。
ツバキは江戸時代にオランダ船を通じてヨーロッパに輸出されると一大ブームが起きる。
そのきっかけをつくったのが医者であり植物学者でもあったシーボルト。
彼は「日本の最も美しく、珍しい植物を種類にして485、数にして約1200」をも船に持ち込み、帰路につく。
そして、約半年もの航海の末に生きてたどり着いた植物はほとんどなく、枯死寸前でたどり着いたもののなかに「正義」という品種のツバキがあったのだ。
ここに常緑樹としての生命力の強さが垣間見える。
ヨーロッパでのツバキのブームは「椿姫」という名のオペラが生まれるほどで、現代につながる八重咲きなどの品種も生まれた。
そして、アメリカやオーストラリアなどにも導入され、現在ではツバキ同好会も多く存在する。
ところでその後の日本の花卉文化は江戸時代には一般庶民にも広がるほど浸透したにもしたにも関わらず、ツバキは明治時代に一気に忘れられてしまう。
理由は定かではないが、文明開化によって西洋から入ってきた珍しい花卉が流行したからだと言われている。
しかし、逆輸入のツバキが戦後に入ってきたことで多くのツバキが現在のように各家庭の庭や公園などに多数植えられるようになったのだ。
それが現在の田舎のどこの家にあるツバキの由来である。
桜はもともと短命樹ばかりのため、品種改良された桜で古いものはほとんど見ることができない。
しかし、ツバキは京都中心に長命樹がたくさん見られる。
これはおそらく死への儚さに美しさを感じた武家社会と、昔から色褪せない常緑樹の生命力を神道に活用してきた公卿社会の違いなのかもしれない。
・ビワ
日本人に馴染みが深い植物で、冬にひっそりと咲く花がある。
それがビワである。
この時期になれば空に向かって淡い色の花が咲き、
雪が降ろうが強い風が吹こうが倒れることもなくしおれることもなく咲いている。さらに花が咲いてから実をつけるまで長い植物は珍しい。植物にとって花を咲かすことと実をつけることは多くのエネルギーを使うため、できるだけ短いほうが良いと考えられるからだ。たいていの植物は花が咲いてから2ヶ月で種をつける。
さらにビワは今年花が咲いたところには、来年花は咲かない。春になると新しい新芽が出て、そこで花を咲かす。
ということは花から実に変換させている間に、これまたエネルギーを使う新芽を伸ばしていることになる。
しかも温暖な気候でしか生きられない照葉樹林にも関わらず、耐寒性を備えている。
こういった果樹のほとんどは多くのものを私たちに与えてくれる。
ビワは自然療法の世界では大変貴重かつ、使い勝手の良い植物だ。
初夏の実はもちろんのこと、タネも、葉も多くの活用法がある。
もちろん、栄養価も薬効も多い。ヨモギは薬草の女王だが、薬木の女王がビワなのだ。
民間療法のマザーツリーと呼んでも構わないくらい多くの人々を癒してきたことだろう。
ただし、ビワのタネには毒が含まれている。というよりも、植物のタネには必ず毒がある。それはタネが子孫を残すために備えているもの。だから私たち人間はタネを食べる時には必ず火を通すか、発酵などの微生物の力を借りるのだ。
ビワのタネは主に焼酎につけることが多い。これによってビワのタネに含まれている薬効成分を溶かすのだ。ニンニク醤油と同じ仕組み。
ビワの花は本当にひっそりと咲く。白くて小さな花が集まって咲くと言えば華やかなイメージをしてしまうが言われなければ、これが花だとは気がつかない。
木枯らしの風が吹く頃に花をつけるというのも不思議だ。なぜなら虫媒花は虫の活動が多い時に咲かせる方が受粉率を高められる、なのに、ビワは虫の活動が一番少ない時期に花を咲かす。
それを補うかのように実は小鳥たちも受粉の手助けをする。この時期には草木で花を咲かせる種は少ない。逆にビワは多くの生き物と共益関係を結んでいるとも言える。
また、ビワは都市部にも植栽されていることがよくある。公園ではなく道路横の街路樹の脇に。これはどうやら、この近くに住む人が勝手に植えたようだ。しかし、面白いことに他の街路樹同様ビワは環境汚染に非常に強いのである。
さらに照葉樹であるために日陰にも強く、都会は小鳥たちの冬の食料も少ない。アスファルトで固められた土地は昼間は暑くなる。
植えた人がそれを知っていたのかはわからないが、ビワにとってここは間違いなく最適なのだ。
それでもなお、ビワはひっそりと咲く。そして、多くの人々を全身で癒すのだ。まさにマザーツリーと呼ぶにふさわしい日本の薬木である。
・スイセン
スイセンはヨーロッパの地中海原産の植物である。
中国を経て日本には中世の頃に、海から漂流してきたとも、薬用として運ばれてきたとも言われている。
日本の特に日本海側や淡路島ではこの冬によく目につく植物なので、名前の通り水辺の近くで育つためだ。
中国でも水仙と書き、これを訓読みしたのだが和名の由来である。
それとは別に雪中花と呼ぶように雪が残る早春に咲く
スイセンが咲けば、もう春がすぐ近くに迫っている証しだ。
もう数回の冬将軍を迎えれば、今年最初の春一番が吹く。
中国では水仙の花を金盞銀台(きんさんぎんだい)と呼ぶという。
これは銀白色の花びらの上に、金の盃が載っている様子を表現している。
ヒガンバナ科であるスイセンはその見た目が似ていることもあり、ニラなどの野菜と間違えて食べてしまい食中毒の事故が起きやすい植物でもある。
毎年、そのような事故が報告されているので気をつけてほしい。畑の近くに植えてある場合は処分するか移動しておくことをオススメする。
スイセンが咲く頃には旧暦の正月を迎え、少しばかり春隣を感じるようになる。
冬の間、寂しかった樹木にも小さな春を見つけることがある。そう、梅の蕾が少しばかり大きく膨らんでいることに気がつくだろう。
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