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不老長寿と彼岸


<季節行事の農的暮らしと文化 9月 不老長寿と彼岸>

あまり現代人には馴染みが薄いが9月9日は重陽の節句である。九という数字は陽の数字(奇数)でもっとも大きい数字であり、それが重なることから重陽という。

菊の節句であり長寿を祈る日。旧暦9月9日は新暦10月の前半なので、この時期はあまり菊が咲いていない。
菊はもともと薬草とし奈良時代に中国から伝わった。中国では昔から不老長寿が重要テーマでさまざまな薬草が利用され、現代の東洋医学が数千年前から続いている。

重陽の日に摘んだ菊の花びらを乾かして詰め物にし菊枕にすると、菊の香りに誘われて深い眠りにつき、恋する人が夢に現れると言う。よく女性から男性に贈られていた。漢方では解熱に用いる菊は邪気を払い、長寿を得るという。

古来中国では菊は仙人の住む山奥に咲く花とされていた。
前日の夜に菊の花に真綿をかぶせて、菊に降りた朝露と香りを染み込ませる。その真綿で身体をぬぐうことで身体を清めて邪気を払い、不老長寿を願った。その菊の花に似せた「着せ綿」という和菓子がこの重陽の節句の風習をもとになっている。

最近では重陽の節句に「ひやおろし」が解禁される傾向がある。
冬に仕込み春に出来上がった新酒を味が変わらないように火入れして蔵で貯蔵する。そのあと夏を蔵の中で過ごすことで熟成が進み、秋にはカドがとれたまろやかな飲み口になり旨味も多く感じるようになる。このお酒をひやおろしといい、日本酒好きにはたまらない秋の楽しみだそうだ。

秋分の日とその前後3日間、合わせて7日間が秋のお彼岸。
彼岸とは仏教用語で悟りを開いた境地といった意味合いで、現代では先祖供養の日のこと。

秋のお彼岸に供えるものといえば「おはぎ」だが、これは小豆の粒あんが秋の秋の七草である萩の花に見えることから。春の彼岸に食べるのは「ぼたもち」でこちらは小豆のこしあんを使い牡丹の花に見えることから。原材料は同じだが、見せ方で名前が変わり、その名前が季節の草花に由来するのが日本の伝統的な和菓子文化。

最近では彼岸蕎麦というのも広まっているという。本来の新そばはもう少し先だが、北海道などでは蕎麦の収穫を迎える。季節の変わり目となる彼岸に消化がよく胃腸に優しく、さらに栄養豊富で滋養効果の高い蕎麦を食べようというのが始まりだそう。

菊の花に、和菓子に、ひやおろしに、蕎麦と日本の季節の行事はいつだって匂い立つ文化だ。

秋分の日は古くから農事としての意味合いが強く豊作を祝い、感謝を捧げ、田んぼの神様を祀る儀式。太陽が真東から昇り、真西に沈む日。昼と夜の長さがほぼ同じで、この日から次第に夜が長くなる。国民の祝日である秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ」日として制定されている。夏祭りに負けず、秋祭りもこの頃から全国各地で盛んに行われる。

たいてい農家さんたちはイネの収穫前に畦の草刈りを済ませておいて、収穫作業がスムーズに行えるようにする。すると、どこからともなく顔を表すのが青い空に向かって咲く真っ赤な彼岸花。ちょうどお彼岸頃に咲くことや、墓の周りに植えられていたことから曼珠沙華など呼ばれている。曼珠沙華は仏教において天界に咲く花で、見たものの悪業を祓い、吉兆として空から降るという。地中に埋まる彼岸花のイモは毒抜きをすれば食べられるため、先祖が飢饉に備えて植えてくれたものだ。そのありがたみといざという時の安心が景色に溶け込む。
澄み切った高くて青い空に、黄金の稲穂、赤い彼岸花のセットは日本の里山の原風景とも言える。

中秋の名月と呼ばれる月見は旧暦8月15日の満月。
もともとは月見だんごではなくちょうど収穫が始まる里芋をお供えしていた。そのため、芋名月と呼び豊作への感謝を込めていた。縄文時代には里芋の栽培が始まっていたことを考えると、もともとはイモが食糧の中心だったのだろう。
京都の北野天満宮では10月1日~5日に欠けてズイキ祭りが行われる。ズイキとは里芋の茎のことで、芋茎と書く。野菜や乾物などで飾り付けたズイキ神輿を奉り、秋の収穫物に感謝を捧げる。1000年以上の歴史があることから、重要な作物だったことがわかる。

中秋の満月の前後の呼び名は十三夜、小望月、十五夜、十六夜、立待月、居待月、更待月と一夜一夜名前をつけるほど。雲で隠れてしまっても無月、雨が降れば雨月と雲の向こう側の月も愛でた。月の満ち欠けは決まった周期で起き、満ちては欠け、欠けては再び必ず満ちる様子が輪廻転生を想起させたようだ。

秋の夜長に、秋の実りを食しながら、ヒトのつながりと循環を味わいたい。


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