すべての農の根っこには愛がある
<畑の哲学>すべての農の根っこには愛がある
自然農に限らず、農は様々な方が実践し、人によって畑によって農法・栽培方法がある。
どれを学ぶのか、どれを実践するのかは好みや相性があるので
個人的には誰から教わっても良いと思っている。
様ざまな農法は木で例えるなら、枝葉。
そして、幹にあたる部分が自然の摂理。
自然の摂理に則っているから、枝葉には同じような果実が実る。
どれが正しいも悪いもない。すべてが自然で、すべてが恵み。
これから自然農を学びたいと思っている人、
これから自然農を実践していきたいと思っている人
に、ぜひ知っておいて欲しいことがある。
この木の根っこにあたるものは、「自然への愛」ということを。それには栽培方法はあまり関係ない。
私の師匠には有機栽培農家も慣行栽培農家もいる。私はその師匠たちから野菜を愛する姿勢をたっぷり学ばせてもらった。
自然農の野良仕事とは、シンプルにまとめると
「野菜のストレスをできるだけ、減らすこと」
「野菜が持っている才能を発揮できる環境を整えること」
の2つしかない。
表面的なテクニックをただ真似しただけでは決してうまくいかない。
ほんの些細で、細かい部分に自然への愛が隠れていて、
それを再現できる人だけが、上達していく。
自然の摂理で育てると、その些細で細かい部分が生育の決め手になるからだ。
野菜の管理ではまだ元気な葉を落としたり、摘果したり、根を切ったりする。
初心者にとってはそれは可哀想に見える。
でも、結局のところそれは人間目線の一方的な愛で、
野菜にとっては不都合な愛でしかない。
あれやこれや手をかけて、野菜を外部のストレスから完全に避けようとする。
初心者にとってはそれは優しさに見える。
これもまた同じ一方的で、不都合な愛でしかない。
このすれ違い、勘違いに気がつけるかどうかはあなたの観察にかかっている。
本や動画には載っていない。
その代わり、野菜たちは全身を使って表現する。
なのに、人々は農法が悪いだ、肥料が足りないだ、農薬が足りないだ、水が足りないだ、虫が悪いだ、土が悪いだ、タネが悪いだ
なんて誰かのせいにして、諦めてしまう。
これから誰かに教えてもらうならば、
職人さんたちの細かい自然への愛も観察しよう。
それを真似て、それを改良していこう。
そうすれば、あなただけの、あなたの畑だけの農法が出来上がる。
栽培に自分流を取り入れるときに、
それが本当に野菜への愛なのか、
それとも自分の都合なのか、
しっかり見極めよう。
自然に寄り添うとは、そういうことだ。
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