適地適作のススメ
<適地適作のススメ>
適地適作とは農業の世界では「どの気候と土壌質」が「どの作物や品種と合うか」という意味である。つまり風土にあった作物や品種を選ぶことが大切であり、農業の始め方でもある。しかし、大量生産を目指さない家庭菜園ではその選定はもちろん大切だが、それよりも風土を読み解き、育てたい野菜に環境を整えることも大切だ。
開墾や開拓をしてきた江戸時代ではもともと肥沃な土地を選ぶことが大切であり、土地改良によって知力を高めるという考え方は弱かった。日本の農書の先駆け的な存在である宮崎安貞著の「農業全書」ができたことで、日本の農業は発達するものの地域による違いによって農業は様々であり、農業全書に漏れたことを補い集めることを目的とした農書が各地域でたくさん出版された。つまり、鏡となる書を得たことで自ら農耕を営む地域性の違いが自覚されるようになったのだ。鏡の鏡たる所以である。
江戸時代の農書には全国に役立つ農法を編みだそうとするものと、地域の独自性を優先させようとするものが同時に現れたように、日本の複雑な地形から生み出される微気候に沿った農法を生み出すには教科書だけに頼るわけにはいかない。農書や教科書にはアイデアやヒントはあるが答えは載っていない。
病気や虫害を天災と考えた当時の農民たちでも「適地適作であれば病気は発生しにくい」と考えていたようだ。
身土不二(しんどふじ、食養生分野)とは自分の身体と土は一体であり、地元で採れた旬のものを食べれば健康に過ごせるという意味。人間も含め生物はその環境に合うように進化したのだから、四里四方の風土から食糧を得ることは自ずと健康につながるだろう。
「十土十色」と「十人十色」という言葉が自然農の世界ではよく言われる。それぞれの土や環境、状況、気候、家族史、文化的背景、そして人の好みやクセに応じた多様なシステムや解決方法を生み出していくことが自然農やパーマカルチャーの醍醐味である。
身土不二(しんどふに、仏教用語)とは今までの行い「身」は拠り所にしている環境「土」とは切り離せないという意味である。
「場」が持つエネルギーは科学では計り知れない。小林一茶が俳諧師として江戸で活動していたにも関わらず、故郷の長野へ帰ってから小林調と称えられるほどの名作を残せたのはその「場」と小林一茶が同調し、調和し、高みに引き上げられたからだろう。ヒトも野菜ももちろん他の生物もまた適地があり、最適な場の上で命輝く。
適切な栽培方法(適正技術)は必ずその環境(風土や生命)、育てる野菜やハーブなどの種類や品種、そして栽培者自身の性格や目的、畑に通える頻度などが調和することで完成する。決して教科書やyoutubeに答えは載っていない。だから教科書や師匠の教え通りにすれば必ずうまくいくというものではない。それは最先端だとか流行だとかに惑わされずに、目の前の畑を含めた自然、そして自分自身と対話していくことで完成していく。自然の摂理や風土、植物について知ることはもちろん自分自身のことを深く理解する必要がある。
農業界には「すべての真実は、すべてウソ」という言葉があるように、決して他の人の成功例が、必ず自分の畑と自分自身に合うわけではない。土の数だけ、畑の数だけ、栽培者の数だけ方法がある。経験はある特定の条件のもとで習得するものだから、それと同じ条件のもとでは、強力な知恵として役に立つ。しかし条件の違うところではあまり役に立たなくなる。残念なことに人間は自分の経験を絶対化したがるから、条件の違いを見落として、やたら押し付けてしまいがちだ。自分の絶対的な体験があるために、確信的な態度をとってしまう。
初心者はもちろん上級者も、もちろん私も常に自然をよく観察し畑と対話を重ね、その知恵を後世のために残した篤農家のように自分流の自然農を生み出すくらいの態度で関わる必要がある。江戸時代の百姓が大切にしていた謙虚さとはそういうことだろう。
現代の農業は科学的な研究開発によって生まれた成功で、それは「どんな地域で誰がやってもほぼ確実に収穫量が増える方法」を編み出したことである。土や気候条件、季節に最適でなくても一定量の作物を得ることができるのは慣行栽培の最大のメリットで、自然農に同じことを求めるのは難しい。農民が食べていけなくなったのは農産物価格を徹底的に抑えようとする圧力が原因だ。指示された通りに良質な作物をたくさん収穫しても、価格が安ければ、農民は生産コストすらほとんど回収できない事態に陥る。これは世界中の先進国のみならず発展途上国の課題だ。
現代農業は多様性を受け入れつつ、システム的に考えることがいかに難しいかを表す好例だろう。農業の現場には土がむき出しになった砂漠か野菜しかない。現代の科学的農業の成功の一端を担うのは、農学部の学生に現代的な手法を仕込む教育システムである。彼らは風土の特性を学ぶことなく肥料や農薬の使い方学ぶ。
江戸時代の農書を読むことなく、化学式が載った教科書を読む。長老の言葉に耳を傾けることなく、ノーベル賞受賞者の言葉を聞く。虫の声を聴くことなく、セールスマンの売り文句を聞く。これは現代の農家だけではなく、家庭菜園家も同じようなものだ。
現代の農民たちには政府や農学校、化学企業が情報を吹き込むことで、最先端の技術を常に追い求める。こうして自然に根ざした農業が、人間が管理する産業システム、経済に左右される産業システムになった。
~今後のスケジュール~
<自然農とパーマカルチャーデザイン 連続講座>
・沖縄県本部町 2月11日~12月1日
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・沖縄県豊見城市 2月10日~11月30日
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・京都府南丹市 3月16日~11月16日
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・京都会場 無料説明会 2月17日
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<自然農とパーマカルチャー1日講座>
・岐阜県岐阜市 4月21日
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