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オーガニックの真実と闇


<オーガニックの真実と闇>

欧米のオーガニック市場の拡大に伴って、日本でもオーガニック食材や食品が並ぶようになり、オーガニック給食を求める声も大きくなってきた。もちろん、食の安全や健康・美意識の高まりから人気が出てきたのもあるだろう。ただし消費者の声や意識と生産現場の現実が大きくかけ離れているのはあまり知られていない。

通称JAS法(正式名称は日本農林規格等に関する法律)は日本での有機やオーガニックの表示について規制する唯一の法律。私たちが有機栽培と呼ぶ栽培方法はこの法律によって定義づけられている。

有機栽培とは、JAS認証団体が認証した肥料・農薬・資材のみを2年以上使用し栽培することを言い、さらに他の基準をクリアした場合「有機」「オーガニック」「JAS規格」という表示を生産物に対して示すことができる。また定期的に開催される有機JAS講習会に参加した者のみがその表示を使用することができる。というのが、ざっくりとしたJAS法の説明となる。

まず勘違いしてはいけないのは、JAS認証を得た農薬なら使い放題だということ。決して無農薬とは限らないということだ。実際に私はある有機栽培農家で働いた時に、全身防護服を着て、防毒マスクを着用して農薬を撒いていた。梅雨時の暑苦しい昼間だというのに。

私たちがスーパーや産直市場で手に取る野菜は化成肥料と農薬を使う栽培方法・慣行栽培で育てられるが、この慣行栽培に関して農薬を使用する際は規制がかかるし、出荷するときは一部残留農薬を検査をしなければならない(産直市場にはこの検査がない)。しかし、有機栽培にはその規制もなければ、残留農薬の検査義務もない。

日本の農業の現場では隣の畑で慣行栽培が行われていることも珍しくない。その場合の基準は「慣行栽培の畑から1メートル離れていること」となる。農家によってはその1メートル内の農産物を「特別栽培」として出荷するところもある。(特別栽培とは慣行栽培に対して半分以下の農薬を使用した栽培方法のこと)

また肥料に関しても基準は厳しくない。たとえば動物性の堆肥に使用される家畜の糞に抗生物質やホルモン剤、ワクチンの残留に関して規制がなく、家畜の餌が遺伝子組み換えのトウモロコシやダイズでも関係ない。慣行栽培で育てられた餌でも構わない。この堆肥の残留物が自然農への切り替えを難しくする。もちろん、家畜の飼育環境に関する規制もない。詳しいことは知らないがEUの有機基準はこの辺りについて厳しい基準があるという。

ここまで説明してみると、どうも「オーガニック」と言えども安心・安全とは言えないような気がしてくるのではないだろうか?オーガニック食品を求める消費者の声と乖離しているようにも思える。

私は一度だけ、JAS認証の審査の現場に立ち会ったことがある。有機JAS認証団体の職員が圃場や倉庫などに農家とともに訪れて周り、書類を受け取って持ち帰り、その後認証するという手順である。その中で一度も職員さんが土を触っていなかったことが私には印象的だった。

その訪れた職員さんに対していくつか質問している中で、これまた印象的な言葉を聞いた。それは「JAS認証というのは『安全基準』ではなくて『JASという表示の認証基準』に合っているかどうかを調べている」というものだった。

つまり、職員の仕事は安全な生産物かどうかを調べているわけではなく、JASという言葉を書いて販売して良いかどうかを審査しているに過ぎないというわけだ。この言葉を聞いて私は「あ、原発の基準と同じなんだ」と思った。JAS法は「消費者を守る法律」ではなく「生産者を守る法律」であるのだ。

その考えは決して職員さんの個人的な考えではない。JAS法の条文を読んでみるとそれがすぐに分かるだろう。とても長い条文の中で「安全」という文字は4回しか出てこず、農産物や食品に対してかかっていない。

ちなみにあくまでも法律で定められているのは利益目的のビジネスに限られているため、個人でなおかつ利益目的でない家庭菜園やタネの交換などで「有機」や「オーガニック」を掲げるのは個人の自由となる。違法でもなければ、罰則もない。そう、JAS法とはあくまでも「生産者の利益を守るための法律」ということだ。

さて、ここでそもそも「オーガニック」とは何か?ということを考えてみたい。というのも、たいていオーガニックを求める消費者に「オーガニックの定義を知っていますか?」と聞いても、不思議なことに誰も正確に答えられないからだ。法律の定義は自由を規制するための線引きであって、科学の定義とは関係ないことも多い。

オーガニック(有機)の化学的な定義は「炭素とつながっている」という意味になる。つまり炭素化合物(ただしCO2のように単純なものは含まれない)だ。この定義は高校の化学でも学ぶ内容であり、異論はほとんどない。(というかヒトが勝手に呼んでいるだけなのだが)

この定義から考えると、どうも農業の現場では当てはまらない、おかしなことが分かる。なぜなら、慣行栽培の農薬は石油由来なので、オーガニック(有機物)だからだ。石油を燃やせばCO2が排出されるように、石油もまたもちろんオーガニックである(有機成因論というが、これとは別に無機成因論もある)

石油がもともと恐竜時代のシダ植物やプランクトン由来なのだから当たり前なのだが。ということは、オーガニックを推奨する人々がビニールやプラスティックを否定しているのも矛盾である。むしろ喜んで使うはずなのだが・・・。

有機栽培で使用される堆肥は間違いなく動物・植物由来の有機物でオーガニックなのだが、慣行栽培で使用される化成肥料は無機物である。しかし、その原材料は元をたどれば数億年前の植物や動物由来のものである。

代わって有機栽培で使用される農薬は鉱物由来の無機物である。これはヒトで言うところの重金属であり、神経毒として働く点では慣行栽培で使用される農薬と違いはない。

ここにも一つ嫌な真実がある。日本で許可されている慣行栽培の農薬は一定期間内(数日から数ヶ月と短期間)で分解(加水分解・微生物分解・太陽光分解など)されることが条件となっている。つまり時間が経てば無毒化(ヒトにとって)することが農薬として認証される条件の一つとなっている。

これは農薬が有機物からできているおかげである。どんなに猛毒な物質でも分解されて違う物質になれば無毒となる。(逆にさらに有毒になることもあるだろうが)

50度洗いによって農薬が落ちるのも油だからであり、強アルカリ性のホタテ粉で洗うと落ちるのも有機物だからである。このように自然界の現象で分解されることで慣行栽培の畑は自然栽培や自然農への切り替えが容易なのである。

農薬取締法によって使用時期、使用回数、使用量が定められ、農薬散布から収穫まで決められた期間空けなくてはいけないことが決められている。農家はこれを守らないとチェック時に引っかかってしまい収入がなくなってしまうのだから、きっちりと守る。

しかし鉱物由来の農薬は無機物であるがゆえに微生物などによって分解されることはない。生物の体内に取り込まれてしまうことはあっても。やっかいなことに有機栽培の農薬は水溶性の性質を持っているために、雨が降るたびに畑から地下水へ、河川へ、そして海まで流れていってしまう。その過程で薄まっていくのだが、逆に生物濃縮によってマグロやクジラに重金属が溜まっている事実は妊婦なら誰でも教わることだ。

これは雨が多い日本で有機栽培が広がらない理由であり、広げてしまうことで起きる環境問題でもある。しかし、不思議なことに誰もその点を指摘しない。重金属の生物濃縮は半世紀以上前から指摘されているにも関わらずだ。水俣病の教訓を忘れてしまったのだろうか。

一つ救いなのが水溶性であるがために多くの生物はそれを体外に排出する仕組みを持っていることだろう。ヒトで言えば尿や汗によって排出される。しかし重金属の中には水俣病のように排出されにくいものや急性毒性を示すものがあることを忘れてはならない。

有機物の石油由来の農薬は脂溶性のためいったん体内に取り込まれてしまうと簡単に排出することができない。それが現代の社会毒の元となっている理由である。

こうしてみると、慣行栽培をやめて有機栽培を普及しても環境汚染は無くならないだろう。ヒトへの健康被害も同様に。

ここまではオーガニックの真実でもあり闇でもある。しかし、実際のところ日本では雨が多いため、有機栽培で農薬の使用量はそれほど多くない。使っても雨が降ってしまえば効果がなくなるからだ。そのため日本の有機栽培の多く(特に葉物類)はビニールハウス内で栽培されている。

有機栽培といってもピンキリであることは最後に付け加えたい。自然栽培や自然農のように無農薬栽培でも、じゃんじゃん農薬を使用する栽培でも同じ「有機栽培」となる。そのためJAS認証のマークがあっても、それがどれだけ農薬を使用しているのかは栽培者本人にしか分からない。(やろうと思えば認証団体の職員を騙すことも簡単な気がする)

現在ではさまざまな団体や企業が独自の基準によって認証制度を作るようになったため、有機栽培のなかでも無農薬のものを探し出すことも容易になったのも事実だ。今後そういった流れは増え続けるだろうが、それに伴って規制が増える可能性もある。変な法律ができなければ良いが。

現在のJAS法と有機認証システムでは残念ながらオーガニックと言えども安心・安全とは言えないだろう。本当に安心・安全なものを求めるなら、自分自身で作り出すか、国会議員に訴えて法律と仕組みを変えていくしかない。あなたの声は生産者ではなく、ぜひとも国会と御用学者に届けて欲しい。


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