コモンズの価値と役割
<コモンズの価値と役割>
江戸時代の古地図を見ると村の周囲には入会地と呼ばれる地帯があり、村と村の境界でもあったことが分かる。村と山の境には広大な茅場と呼ばれるススキ野原が広がっていた。毎年刈り取っては田畑の肥料や牛馬の餌にした。茅葺き屋根の材料としても優秀で、乾燥したススキは雨にも強く、囲炉裏の火などで燻されてさらに丈夫になった。
また生活必需品の原材料としても優秀だった。ススキは神様が宿る依代であり、魔除けの縁起物として中秋の名月には欠かせない。
他にも入会地や茅場は山菜や野草の採取地でもあり、山の獣や魔物が村に降りてくるのを防ぐ緩衝地帯でもあった。そのためヒトと自然の共生システムを維持していくためには村人たちの緊密な協力が不可欠だった。
こういった中間地帯の草木は毎年刈り取ることで植生遷移が止まり、毎年同様の植生がつづく。自然遷移の流れが早い日本では里山を維持することはヒトの手が適度に入り続ける必要がある。
「次に来るヒトのために残しておきなさい」という山菜界の教え(合言葉)は、自然遷移のコントロールを意味している。一度に大量乱獲してしまえば、自然遷移のレジリエンスが発揮されなくなってしまい、植生が後退してしまう。しかし、すべて採り切らなければ来年までに回復して、また来年も豊かさを享受することができる。現在までに絶滅または絶滅危惧に及んだ生物には過去にヒトの乱獲の影響が多いのは有名だ。
逆に誰も採らなくなれば自然遷移が進み、植生が変わってしまい、山菜の恵みは失われる。近年、マツタケの収穫量が減ったのは「山に誰も入らなくなり、荒れてしまったからだ」と山とともに生きる百姓は答える。
マツタケはアカマツと共生関係を結ぶ菌根菌だが、アカマツが樹齢20年から60年ほどまだ若い時に活躍する。アカマツが全国に植樹されたのは戦後の間も無くで、戦争のために樹木が刈り出された山に植樹されたか表土が流されて荒れた山に自然と生えてきた。アカマツ林は荒廃した山の象徴とも言える。
アカマツはパイオのニアツリーで裸地になった乾燥した貧相な土地で自生する。ヒトによって下草を採取し、枯れ枝を持ち帰って利用することで日当たりが良くなり乾燥が進む。そのおかげでアカマツはどんどん成長し、マツタケも同様にたくさん実っていた。
ヒトがアカマツ林に入らなくなってしまったために、下草は茂り、枯れ枝は土に還ることで、自然遷移が進んだことでアカマツ林は次の植生へと切り替わっていく。広葉樹、特に常緑広葉樹が多くなって湿潤で豊かな森林になるとマツタケはアカマツとともに姿を消していく。そのためにマツタケもまた実りが悪くなっていったのだ。
そして、多くのアカマツ林は放置されるかスギやヒノキに置き換えられてしまったために、現代ではマツタケが希少なキノコとなった。逆にヒラタケのように日光が刺さない森林の広葉樹に寄生するキノコが増えている。
誰のでもない地帯ではルールよりも先代から守られてきた教えの方がずっと役に立ち、生物との関係構築には科学者の合意よりもその世界の合言葉のほうが役に立つ。
前近代的社会では入会地(コモンズ)があり、地域社会のメンバーには一定の利用権があり、管理やルールは地域住民の話し合いによって維持されていた。
西洋ではイギリスの1700年代から始まった囲い込み条例によって次々に解体され私有化され、資本主義の拡大と一緒に世界中にが広がった。日本では文明開化とともに多くの入会地は私有化されたが、一部は村や集落の共有地と名称がつけられて、入会地と同様の管理とルールのもと維持された。これは先進国では珍しいスタイルである。
国立公園や国有林、町の公園などはこの入会地のような役割は期待できない。現代社会ではそれらの運命は官僚や企業の管理に委ねられ、政策的な妥協によって定められるからだ。ルールを決める人と関わる人が遠く離れてしまっている。そのため現場の意見が無視されてしまい、誰も有効的に利用できない地帯が増えていってしまっている。
入会地は村人だけが使用できたが、掟やルールが存在した。それは限られた資源を永続的に利用するために必要だった。それは自然保護ではなく、生活に必要な資源を子孫たちも利用できるように末長く利用できるように目先の欲望を抑制したのだ。村人たちが争いと話し合いの試行錯誤を繰り返す中から生み出したものである。だから「郷に入れば郷に従え」というのは重要な教えだった。
文明開化以降、日本の多くのコモンズは分割されていった。次第に私有化され、村人の経済活動を刺激し発展に関与した。共有地もまた政治の都合によって人工林に置き換わっていった。次第に村と山は密接するようになり、そこから食材や生活必需品を受け取ることが少なくなっていった。
ヒトにとって恵みを享受できなくなると、それは無駄で無意味なものとして考えられてしまう。そのため残ったコモンズは時代が変われば高速道路や新興住宅地、工業団地へと姿を変え、さらに政治の都合が変わればソーラーパネルや大型風車が立ち並ぶようになった。
江戸時代には村を守るようにして囲んでいたコモンズはなくなったが、現代では村のあちこちに耕作放棄地が増えてきた。これもまた現代人には無駄で無意味で無価値な土地として考えられているが、実際はそうではない。
ヒトの手によってモノカルチャー化していた田畑は耕作放棄によって生物多様性が育まる場として機能している。はじめはいくつかの限られた種類の植物だけが繁殖するが、次第に雑草の種類は増えていく。それに合わせて虫も獣も変わっていく。
カヤネズミ、タヌキ、キツネなどの哺乳類、オオヨシキリ、キジ、モズなどの鳥類が住処や隠れ家、そして餌場として利用している。もちろんそこには昆虫類や小型の爬虫類なども生息している。江戸時代の入会地や茅場、湿地などを生息地としていた生き物たちが住処を追われたのちに、耕作放棄地を新たな住処として利用しているのだ。
また耕作放棄地は化成肥料や農薬などによって汚染された大地を生物多様性の力で浄化していく。耕作放棄歴が長い田畑の方が自然農に切り替えやすいのはそのためだ。なぜかといえば、人間が荒らしてしまったところに調和をもたらすために雑草はやってくるからだ。(自然農の職人たちにはそう見えている)
雑草一つ一つに才能があり、個性があり、生き方がある。そのすべてがこの地球に生物多様性をもたらすために備わっているとしたら???
雑草に、虫に、「きみは一体この地球に何をしにやってきたの?」そう問いかけることができる人は自然農ができるようになる。
また近くに耕作放棄地があるおかげで、田畑の害虫を食べてくれたり、草マルチの資源を得ることができるおかげで、自然農がしやすい。動物や鳥は外来種や雑草を広げる一方、それを食べることで成長を妨げる重要な役割も果たしている。
人間の視点で物事を見れば、耕作放棄地は悪いもので無価値で無意味なものとなる。しかし、生命の視点で見ればそこには問題など何一つなく、調和に向かっているだけなのだということがわかる。
自然農では雑草や虫、獣を敵としないのではなく、そもそも味方であることに気がつき、彼らの才能を愛し、彼らの生き様を見届ける。生物多様性の世界において雑草ほど強力な仲間はいない。そこに集まる虫も獣もたいせ物多様性の調和において重要な役割を担う。野菜と同様に彼らもオーケストラの一員として招き入れ、タクトを振るうのが自然農の職人である。耕作放棄地もまたデザインに組みむのがパーマカルチャーデザインのポイントである。
残念なことに現代人だけがその生物多様性のホットスポットを見ても無駄で無意味で無価値なものに見えている。耕作放棄地には調和がある。そこに駐車場やソーラーパネルを並べることが豊かさにつながると思っているようだ。そんな土地にタネを蒔いても食料にはなりえないのに。
「次に来るヒトのために残しておきなさい」というのは現代の里山においても変わらず重要な教えだ。むしろ、今こそ必要な教えだろう。
コモンズの価値とは「そこから得られる市場価値の足し算による合計」だけではない。むしろ内田樹の言うように『「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という心配りができる人を育てること、その思想を共有するコミュニティを維持すること』にある。
他の人が採れなくなってしまうことを配慮して土地の恵みをいただくこと、土地を利用することは共同防貧の思想であり、集落共有の思想である。私有ではなく共有こそ日本文化の根源であり、パーマカルチャーの「Fair Share」の精神でもある。
穀物の種子を守り、田畑を守ってきた法律が少しずつ改変されていき、ついには自家採種の権利まで制限がかかっている。本来誰にものでもないものに権利を主張し、私有しようとするのは資本主義の特徴だが、それによって豊かが独占されるのを防ぐのが法律の役割であり、政治の仕事だ。コモンズがなくなるにつれて共同防貧の思想が失われている。
その流れに対して呑み込まれることなく、豊かさを分かち合う風習もまた広がりつつある。都会にも地方都市には市民農園を始め、オーナー制度やシェア畑、田植えや稲刈りなどのイベント化などで田畑の分かち合いが広がっている。
九州の一部地域では先祖たちが長年かけて山々に築いた水路を共同出資と国の補助金で小型水力発電の売買事業を始め、その収益は公民館や町の施設の利用ようにあて、住民が格安でサービスを受けられるようにしている。
C.W.ニコルが私財を投じて国有林を買い取り、多様な森林に再生していったアファンの森のような活動は日本では数少ないが世界中で広がっている。また企業や財団、NPO法人によってそれぞれの思想に沿って荒れてしまった土地を購入・管理し、自然生態系を取り戻してく活動も多くなってきた。
こういったコモンズの再生と維持は世界中で様々な形で実験と実践が繰り返されている段階だ。世界の最新事例もまた学びが多いことは間違いないが、日本には江戸時代から続く入会地の教えがある。
ぜひとも自然からの恵みを頂くときは「次に来るヒトのために残しておきなさい」という言葉を添えてもらいたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?