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愛するということ


<愛するということ>

自然農の世界には様々な農法がある。最近では自然農に限らず、キャッチーな名前がつけられた農法もあるし、SNSで拡散されて有名になった農法もある。

そういった農法に飛びついて実践する人が多い。もちろん、「自然」農という名前に惹かれて、中身がどういったものなのかを確認することもなく、始める人も多いだろう。

私の自然農の講座では決して植物の栽培方法だけを学ぶわけではない。私たちと共に生きる生物たちを育むからだ。しかし勘違いしないでほしい。私たちには他の生き物を育てることはできない。できることは、彼らがのびのびと生きやすい環境を整えてあげることだけだ。

そのためには相手を知ること、尊重すること、信じることが必要だ。それは一言で言えば「愛する」ということ。

自然を愛するには、知ることからはじまる。土、植物、空気、水、天気、微生物、昆虫、里山の獣、森林、地球、宇宙、そしてあなた自身を。

哲学者マックス・シェーラーは「愛こそ、貧しい知識から豊かな知識への架け橋である」という言葉を残した。流行りの農法や表面的にテクニックばかり追いかけているうちは愛に出逢うことはない。

だからこそ学ぶとき、常にこう問いかけてほしい。
「きみはいったいこの地球に何しにやってきたの?」

植物の得意分野、個性、才能はすべて地球を豊かにするために備わっている。それらを理解し、尊重し、信じて配置してあげることが自然農法家であり、パーマカルチャーデザイナーの仕事だ。

知ることができれば、そこから尊重することが始まる。調べているうちに、自分が何も知らなかったことに気がつくだろうし、自分が愛だと思っていることを押し付けていることを痛感するだろう。

自分が基準の人はお節介であり、親切の押し売りをする。愛は自分基準だけではなく、受けて基準が必要である。相手がどんな才能を持っているのか、相手が何を求めているのかを知ることが関係性を育む。

「純粋に愛すること、それは隔たりを受け入れることである。自分自身と自分の愛するものとの距離をこよなく愛することである」とはシモーヌ・ヴェイユの言葉だが、それを実践できる人はほとんどいない。むしろ多くの人は愛とは隔たりのないことだと思いがちであるが、それは憎しみに歩み寄ることになる。愛はそれが課題になれば、かえって容易に憎しみに変容する。「可愛さ余って憎さ百倍」である。

彼らの才能を変えようとするのではなく、彼らの才能と自分の才能、つまり違いと距離を受け入れて、尊重するのだ。

科学的な知識はあくまでも現実の一部分であり、目の前で起きていることが真実。自然農ができない人の多くに見られることだが、眼の前で起きている現象を自分が習った農法や教科書と照らしわせてしまう。彼ら自身をありのままに見ることができていない。

子育ての話で例えてみよう。現代教育に嫌気がさして、さまざまな教育法が溢れかえっている。そのなかで現代教育とは違う教育法を子供達に受けさせる親は多い。しかし、子供を観察できているのかどうかといえば、誰もができているとは言い難いようだ。

たとえば、森のようちえんやシュタイナー教育、モンテソーリ教育など、それが最先端で最高の教育方法だとあなたが考えたとしても、それを受けている子供の眼が死んでいれば、それは子供にとって愛ではない。それは不都合な愛である。

そこで子供の感受性を変えようとしても、教育方法を批判しても何も始まらない。大切なことは私たちにできることは環境を整えることだけ、ということだ。

牧野富太郎はこう言う。

「草木に愛を持つことによって人間愛を養うことができる。思いやりの心、私はわが愛する草木でこれを培い、その栄枯盛衰を観て人生なるものをも解し得た。」

「あなたのためにあなたのために」と自分自身を犠牲にする親から子供は離れていく。共に幸せになることを考えてほしい。子育ては決して慈善活動でもないし、自己犠牲精神で行うものでもない。それは自然農も同じだ。「野菜のために」「地球のために」と言っている人に限って自然農ができていない。また自分の商人よ級を満たすために自然農をしている人も同様に。

私たちは生命を愛でて、生命に支えられている存在である。自然農は最初から最後まで、死ぬまで人づくりであることを忘れてはいけない。そしてそれは決して本を読んだり、動画を見てたどり着けるものでもない。愛は常に実践を求める。実践の中で育まれる。

エーリッヒ・フロムは名著「愛するということ」の中で断言する。「生きることと同様、愛は”技術”だ」と。私はその愛することの技術は「知ること・尊重すること・信じること」の3ステップからできていると考えている。

それはひどく時間のかかることであるし、試行錯誤の連続である。ときにめんどくさくなってやめたくなることもあるが、ついついやりたくなることでもある。そして時間が経てば、やってよかったと思うことばかりだ。

この話は決して自然農や教育だけではなく、チャリティ活動や政治活動、ビジネス活動まで幅広く通じる話だろう。


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