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♢3 対人トラブル

何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。
全体、おめえは何の花が好きだい?

ーモ、モ、ノ、ハ、ナ

チェッ、だからおめえは

このやり取りは文豪中原中也と太宰治が始めて交わした会話の内容である。「文豪悪口本」という本に掲載してあるため認知してる人も多いだろう。それにしても咄嗟に「青鯖が空に浮かぶ」なんて言葉が頭に浮かぶ中也さん只者じゃない。頭のネジも、普通の人と違う材質の物が嵌ってそう。
太宰は詩人である中也を尊敬しており、憧れの人が目の前にいることに言葉を失っていただけなのにこの言われようはあんまりだ。続けて好きな花を聞かれて頑張って答えたのに「チェッ」って言われたら帰って布団を被って泣きたくなるのも当然。
小栗旬が太宰役で出演した『人間失格』という映画があるのだが、飲み場で文豪達が上記のような烈しい言い合いと乱闘をするシーンがある。本来だったら警察沙汰の大騒ぎなのに、劇場で見ていた私はその光景が芸術作品のように写った。

太宰と中也以外にも個人的に好きな文豪のトラブルがある。萩原朔太郎と室生犀星である。
親のすねをかじって生活してた朔太郎と職に就いたり辞めたりを繰り返してフリーターのような生活をしていた犀星、似ているようでちょっと違う2人の友情譚。彼らは北原白秋の『朱欒』という詩紙がきっかけで文通するようになり、犀星が前橋に訪れてやっと出会う。今で言うオフ会だ。

「靑き魚を釣る人」などで想像した僕のイメーヂの室生君は、非常に繊細な神經をもつた靑白い魚のやうな美少年の姿であつた。然るに現實の室生君は、ガッチリした肩を四角に怒らし、太い櫻のステッキを振り廻した頑強な小男で、非常に粗野で荒々しい感じがした。(中略)彼はその頃、一種の妙な長髪にして、女の斷髪みたいに頸で一直線に毛を切つて居た。それが四角の水平の肩と對照して、丁度古代エヂプト人のやうな姿に見えた。
(萩原朔太郎「詩壇に出た頃」)

ちょっと朔太郎さん失礼じゃないですか。一方犀星視点だと

前橋の停車場に迎えに出た萩原はトルコ帽をかむり、半コートを着用に及び愛煙のタバコを口に咥えていた。第一印象は何て気障な虫酸の走る男だろうと私は身ブルイを感じたが、反対にこの寒いのにマントも着ずに、原稿紙とタオルと石鹸をつつんだ風呂敷包一つを抱え、犬殺しのようなステッキを携えた異様な私を、これはまた何という貧乏くさい瘠犬だろうと萩原は絶望の感慨で私を迎えた。
(室生犀星「我が愛する詩人の伝記 萩原朔太郎」)

室生犀星は普段通りの格好(犬殺しのステッキが気になる)で行って朔太郎は期待が向上しておめかしに力入れすぎていたんですね。想像したらちょっと可愛い(気障で虫酸が走るて言われてますけど)
ちなみにこの時の犀星は東京で下宿代が払えなくなったので、しばらく世話になるつもりで前橋を訪れ1ヶ月程滞在し、その期間の下宿代は萩原家が支払ったとか。……どっこいどっこいだ!
そんな無礼を働きつつも、彼らは互いを以下のように評価する。

私の恋人が二人できました。室生照道(犀星)と北原隆吉氏(白秋)です〉
萩原朔太郎/北原白秋への手紙より
君だけは知つてくれる
ほんとの私の愛と藝術を
求めて得られないシンセリテイを知つてくれる
君のいふように二魂一體だ
(室生犀星「萩原に與へたる詩」)

なんだかんだで互いをパーソナリティスペースの深いところに受け入れている。喧嘩しても互いの根底に「互いへの尊敬と敬愛」があったから美しいのだろう。文豪の人間関係は基本トラブルまみれだけど「生」を全うしてる雰囲気がいい。
「人間としては厭な奴だけど、作家としては尊敬する」ってメリハリがあって互いにそれを認知してたし、喧嘩をエンジンにして創作に熱量を注いで昇華したから聞いてる側も「あーあ、しょうがないな」って笑えるんでしょうね。
現代で乱闘したらえらいこっちゃだけど、正面からぶつかり合える相手がいるっていいなと思ったり。



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