街から「東京音頭」が消えた夏に思うこと
いつも7月下旬の週末の夜は、風にのってどこかの町から東京音頭が聞こえてきた。
8月の中旬は、毎年、帰省して東京音頭を踊っていた。
もう目をつむっても踊ることができる。
ところが去年、祭囃子が消えた。
今年もどこからも聞こえてこなかった。帰省もできなかった。
いつもは帰省準備をしていた時期に、東京五輪の閉会式を視聴した。そこにずっと住んでいた人を追い出して新しく建設した立派な競技場の中で繰り広げられる統一感のないこじんまりしたパフォーマンスは、五輪に向けた日本人のバラバラの心を象徴しているようだと感じた。
そして、東京音頭の場面になると、たまらなくなってテレビを消した。
日が傾いてヒグラシの声が聞こえる頃に身支度を始め、日が暮れてコオロギの声が聞こえてくるころに和太鼓の音に向かって暗い道を歩く高揚感を味わうことは、今年もないだろう。
キュウリの馬。ナスの牛。迎え火。墓参り。祭壇に備えた畑の収穫物。普段よりも上等な線香の香り。客が来るたびに積まれていく缶ビールの箱や乾麺ギフトの山。
2019年から、そんな風景を見ていない。
ハロウィンの盛り上がりにはついていけない。クリスマスにもワクワクしない。でも、おじさんもおばさんも、小学生も大学生もみんなみんなごちゃまぜでワイワイと踊る東京音頭は、大好きだ。
新しく作られたモダンな盆踊り曲がかかると踊りの輪から離脱する人が少なくないが、東京音頭は簡単だからみんな踊ることができる。踊りの輪を見ていると、踊り方を知らない人も飛び入り参加をしたくなる。
東京音頭は、「見る阿呆」を「踊る阿呆」にさせる不思議なパワーを持っている。
でも、今年も私たちには知らない人と袖をすり合わせて東京音頭を踊る機会は訪れない。
祭りの興奮はヒトの営みと密接につながっている。
この時期に東京音頭を見ることは「踊る阿呆」である私にとってひどく残酷なことだった。