【読書感想文】カルト的スピリチュアルから身を守るために…プレ父母の必読書『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』
2010年代に死んだ母親がおばけになって子どもを見守る絵本などでベストセラーを連発していた男性絵本作家のSNSを見て、ぶったまげた。
赤ちゃんの胎内記憶を読み解く、預言者のようにふるまっていた。
育児の悩み相談も親の視点というより「神の視点」から語っているのが印象的。
妊娠・出産をめぐるスピリチュアルな言説は、枚挙にいとまがない。伝統や自然を礼賛する言説もある。
「赤ちゃんがママを選んで決めて、この世にやってきた」
「おまた力で女性はハッピー」
「昔の人は鍛えていたから子宮がふわふわでお産がラクだったし、経血コントロールもできた」
「生理用の布ナプキンをつけおきした水を植物にあげると栄養満点の肥料に……」
といった感じである。
中には、巧みに医学情報を交えながら、努力や開運の必要性を説くものものもある。
『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』(著:橋迫瑞穂/集英社新書)は、こうした「スピリチュアル」な価値観や情報が求められる背景に迫った力作だ。
子宮の聖性や胎内記憶など、妊娠・出産にまつわるスピリチュアルな言説を掘り下げ、そうした言説になぜニーズがあるのかを考察している。
著者は、「あくまでも傾向」と前置きしたうえで、妊娠・出産をめぐるスピリチュアルな言説には、母体・母子の外側の世界、つまり社会に対する視線が排除されているものが多いという。それを信じた母親が、家庭から父性を疎外し、自ら育児を囲い込むことにもつながっているという。
さらに、読んでいてちょっとゾッとしたのが、伝統的な育児メソッド(昔ながらのお産や、昔ながらの育て方など)の礼賛は、保守的な国家間と親和性が高いという点。
近年、複数の宗教団体を票田に持つ政党が「伝統的な家族」という言葉をよく使っていたのを連想して、背筋がヒヤッとする。
■「スピリチュアル」に限らず、家庭の中の妄信や支配が暴走しやすくなっている理由
これは私個人の考えだが、「自分の信じたやり方だけで子どもを育てたい」という親の固執は、スピリチュアリティだけでなく、さまざまな領域とつながっているように思う。
教育虐待、スポーツ虐待、排他的な自然派育児など「正解はこれしかない」を突き詰めて子どもの意志が置き去りになっている育児メソッドの片りんは、日常的に目に飛び込んでくる。
とはいえ、片りんは片りんでしかない。なぜなら、閉ざされた家庭の中で、依存や信心や支配のようなものがぐつぐつ煮込まれいていたとしても、外からはなかなか見ることができないからだ。
『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』の筆者は、独善的な価値観への固着・依存も予防するためには、現実の人間関係の多様性が欠かせないと語る。
だが、現実は厳しい。
上記を理想だとすると、現実を端的に示す言葉として、小児科医の熊谷信一郎氏の、この言葉がわかりやすい(以下は、『妄信』からの抜粋)
誰にも頼らないで自分で育てる「自立」を求められたら、親は育児を囲い込むしか術はない。誰にも不安を吐露できなかったら、絵本作家の眉唾情報にすがりたくもなるのかもしれない。
熊谷氏の名言に「自立とは依存先を多く持つこと」というものがあるが、母親の依存先は圧倒的に足りていない。
その背景には、日本の男女格差、孤立した育児、寛容でない世間の目、ジリジリと貧しくなる社会が横たわる。
『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』の著者は、こうした社会を「前向きにあきらめる」ためにスピリチュアルの世界のニーズが生まれていると推測している。
本著の「フェミニズムの落とし物」というキャッチコピーはじつに秀逸だと思う。「家庭、特に母親が育児を囲い込む」ことを防ぎ、親・子の濃の煮詰められた関係を薄めていくためには、さまざまな研究を活用して、地域づくり、職場づくり、政策などさまざまなアプローチをしていくことが必須だと思う。