一度きりのこの夏で
2024年の夏はもう二度とこない
今の年齢の私が体験する夏は今年の一度きり。
私の身体の細胞は、来年にはまた新しい細胞にリニューアルされている。
何もやらなくても日々は過ぎ去っていく一方で、頭の片隅には何かをやらなければならないような漠然とした焦燥感もある。
他にもやらなければと思うことが色々ある中で、やらなくても別に良いのに、花火は毎年見たくなるのだ。
今年もまた、そんな夏が来た。
花火をやりたい!
毎年やりたいなぁと思うことは、夏の旅行。夏の温泉に入ること。それから、花火を見ること。ここ2~3年はコロナ禍の中で気分が塞ぎ込みがちで、何故かまぁいいやと思っていたが、今年は打ち上げ花火を見たい欲求が戻ってきた。そしてさらに、自分で花火をしたいと思っていたところに、気が付いたらコンビニで買い求めていた。
そうなれば、やらねばならない。と思っているところだが、問題は一人で花火をすることに抵抗感があることだ。そして、どこで花火をやるかが問題である。
実は彼と一緒に花火をやりたいと思ったのが購入の一番の理由なのだが、ちょうど旅行に二人で行く予定を立てていたので、旅先で花火をすることになったものの、結局使えずに帰ってきてしまったのである。
また、調べてみると最近は花火ができる場所が子供時代より減ってきていて、近隣住民の生活に影響するとして海の浜辺でも22時~23時までとする場所が多い。住民が迷惑するほど騒ぐのがマナー違反なのは当たり前だが、いつの間にこんなに厳しくなったのかと驚いた。
実際に今年近場の海辺へ行くと、花火をしている友達同士の4、5人のグループがいて、いいな、夏だなぁと外野で見ていたところに、巡回パトロール中の警察官がやってきて何かを話しかけていたかと思うと、あっという間に片づけて去って行ってしまうということがあった。
できれば自宅の庭でするのが一番よいのだろうが、例えば賃貸に住んでいたり、大人数の部活や友人のグループ、またカップルなどで行ったりする場合にはそもそも花火ができる場所が少ないと感じる。
花火セット自体はコンビニなどで簡単に購入出来てしまうが、その割には使える場所が少ないと感じた。
私たちは仕方がないので来年また再チャレンジする予定だが、使う際には場所についてよく調べなければと考えている。
はなび、ひらく、ちる。
また、今年は打ち上げ花火も見たいと思っていた。
大渋滞と人混みに負けない元気がある年しか行けないが、毎年この時期は目の前で見てみたいという願望がやっぱりどこかにある。
その魅力は、打ち上げる会場にいないと分からない。だから見に行きたいのだ。
この記事のこの段落を書いている最中に、旅先で花火大会を見て帰ることが出来た。
美しく儚いのに、大迫力だった。
和太鼓の演技がイベントの雰囲気を盛り上げる中、音の感覚がだんだん短くなっていき、自分の心臓の鼓動なのか、太鼓の音なのか分からないくらいにあたりに鳴り響く。それを聴きながら夜空を見つめる人々の期待のまなざしが最高潮に達した時、真っ暗な夜を切り裂くように明るい稲妻が下から立ちのぼり、花火が開く。まるで満点の星空から華やかな大輪の花が咲くようだった。
来年、また。
今年の花火は今年だけのもの。きっとまた、来年も見たくなるだろう。
7月の初めに購入した花火がまだ玄関で待機中のまま置いてある。これから使われるのを待って。
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