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“こうい”のお見積り

自尊心とか自己肯定感とか。「逃げるは恥だが役に立つ」を見るまでその言葉すらあんまりわかってなかったのに、最近やたらと耳にする。

「自尊心」が低いと何かにつけて不都合が生じる。褒められても相手を疑い、失敗すれば妙に自分の至らなさに納得し更に自己否定の経験値が上がる。誰しも辛い思いをして生きたくはないのに抜け出す方法を知らないのだから困る。

私は今でこそ改善に努め少し生きやすくなってきたが、30過ぎまで本当に苦しかった。幼い頃から友人と遊んでいても「この子は優しいから私を断れないだけで、本当は私のことが嫌いなのかもしれない」と常に思っていた。よく「あなたが人に嫌われてるかもと思うのはあなたがその人のことを嫌いだから」みたいな方程式を目にするけど、そんなことはなくて優しく仲良くしてくれる子達のことは大好きだった。恐らく、自分の想定通りにならなかった場合心が立ち直れなくなりそうで、予防線を張るために人を信じたくなかったのだろうと今になって気付く。幼稚園、小中学校は自分も周囲も幼いから子どもならではの意地悪や仲間はずれも多く、うまく言い返せない性格ゆえ一度餌食になるとしばらく続いた。幸か不幸か体は健康だったので体調を崩すこともなく、仮病を使う勇気もなかったので不登校は免れた。自分を守るために休むのも手だなと学んだのはCAになってたくさんの休職者を見た時だった。自分自身、病院にいく行動力さえあれば診断書を貰い休職できる程、十二分に精神は病んでいた。しかし意地を張って休みを取らず退職した。辞めてから、有限である時間を無駄にしなかったと強がりつつも「裕福とはいかずとも給料をもらいながら仕事を休み、人生を考える大切な機会なんてめったになかったし、飛行機も乗り放題だったのに。惜しいことしたな」と本音がにじむ。

そんなこんなでやっと我慢することと逃げることのバランスを少しだけ身につけ、良い人にも嫌な人にも出会い、どう生きたいかを自身と向き合う勇気が出てきたのが最近だ。窮屈な生き方だったけど、今では心を許せる友人が男女問わず出来た。私を肯定してくれる人たちの存在に気づけた。大人になる過程で身なりにも配慮してちょっとだけ自信がついて、「偽らないでも適当に楽しく過ごせる」術を学んで、過去にないほど人から好意的に声を掛けてもらえる機会も増えた。

そんなハピネスな人付き合いが増えた中で、未だに起こるのが「愛想がいい子だからイケると思った」的なアタック。多分私が少し前まで思いに焦がれまくってたあの子でさえ本当はその程度のきっかけだったんだと思う。それ自体は出会いのきっかけを増やすことに繋がるし、悪いことではない。ただ、NOというのが得意ではないので、結局思ったのと違う距離感で詰め寄られると今までの流れとか雰囲気を一切無視して引いてしまう。そもそも私が好きになるのは「愛想はいいけど本当は心の壁がめちゃくちゃ高くて熱くて、それでも共通の話題があったら思わず楽しく話してしまって“なんか仲良くなっちゃいましたね!”みたいな人」である。一時的だとしても温度差を感じた時点で私は相手を「合わない人」と判断する。「でもちゃんと話してみたらとても素敵な人かもしれない」と自身に言い聞かせ、経過観察をしたことは何度もあるが大半は相手に「うん、イケる」と思わせてしまい、私は余計に引き、最終的に「マジ勘違いすんなしほんと嫌い」で逃げるように連絡を絶ってきた。自身の非を認めるのはなかなか気乗りしないが、相手も私も良くない部分があるのだと思う。そして一周回って誰も悪く無い、ただ合わなかっただけなのも事実だと思う。

大好きだったA君(事実上のセフレ)に距離を置かれ、落ち込んでいるときBさん(勤務先のおっさん)の私に対する恋心が暴走し、職場を巻き込んで小さなトラブルになった。今では私を無視することでBさんは平静を保っている。その後大好きだったA君が正式に彼女を作り、どうしようもなく落ち込んでいた時に出会ったC君はアニメ好きで話が弾むも結局「若いし男だし彼女ほしい!エロいことしたい!」の欲にかまけて行動を起こされ、私もいい機会だし乗ってみるかと思ったけどやっぱり無理で最終的にC君の身勝手さに嫌気がさしてわざと嫌われる態度を取って事なきを得た。D君は酒の席で話す分には構わないけどなんか一つ一つの表現が気持ち悪くて、素面のときに来たLINEで感覚の不一致を覚え、直感を信じて切った。

逆に素敵な人にも出会った。何故か3人連続でハンサム男子が現れそれぞれ一度男女の関係になったが、その後見事に全員そっけなくなった。

私は誰よりもひねくれているし適切なコミュニケーションが不得手である。同時に人と争いを起こしたくないと思い、なるべく人には厚意を持って接するようにしている。すると、いわゆる「コミュ障」の人は私の態度を特別だと勘違いしてしまい「好意」に発展し、ちょっとやそっとの違いますアピールが通じない程盲目になってしまう。逆にモテる人には「(性)行為」のみの対象とみなされ、悲しいことに私は事実から目を背けて溺れてしまう。結果、どちらにしても温度感に落差が生じ、私を取り巻く恋愛事情はいつだって不毛なままだ。

魅力を感じてくれる人と出会いお互いの関係性が築ければ、好意も厚意も行為、買い叩かれたりふっかけられたりせずに自身を保ったまま素敵な恋愛が出来るのだろう。でもそのためにはまだ自分の足元はあまりにもおぼつかなさすぎる。逞しくなろうとするも方法を間違え只の横暴で性悪な女性になる。どうしようもなく不器用で自分がみじめになる。

相手の見積もりを気にする前に、まずは自分自身を冷静に理解し、自身を大切にし、背伸びも委縮もしないで等身大でのびのび楽しく生きることを学ばないと、恋愛も仕事もうまく運ばないんだろうな、と思う今日この頃。何はともあれ良いことも悪いことも経験はネタ、人との交流のエネルギー源として使われることで消化(昇華)されると思っている。ネタを蓄えて生きる日々です。

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