『斗起夫 -2031年、東京、都市についての物語-』 / 2022年12月、写真
年末に北千住BoUYで行った演劇。
ぺぺぺの会「斗起夫」。
愛する人にカメラを向けるのだ、とたくさん撮った。
フィルムの価格が嘘みたいに高騰していて、もういつまで撮れるか分からない。でも迷わず撮ることを選んでいたい。
誰かのまじめがいつか誰より愛されますように。
2023年の冬、東京。
私は人のことを憂いている余裕もないけれど、
だけどたくさんの、残したい、で溢れているので、決して見過ごしたくない。時間とともに少しずつ忘れていっても断片でいいから覚えておきたい。
2022年、暮れ。
共に写真を作り続けようとしていた相手に、会えなくなってしまいました。消えてしまった、みたいに、存在がなくなってしまいました。
どうか私のこと全てを嫌いになっていてほしい。
誰かに悪い話を聞いて、勝手に侮蔑して、赤の他人になっていてほしい。
どこかで元気に写真を撮り続けていてほしい。
2021年、暮れ。
大和さんと晴日さんとお話した池袋の喫茶店。
姿かたちすらはじめて見る私のことを拒絶せず、過剰に探らず。
私にとって斗起夫のはじまりの時間だった。
4人掛けの席に向かい合って座っていて。閉店間際の喫茶店、私達以外のお客さんは1人しかいなかった。
薄暗い店内。僅かに浮いた声の店員さん。
大和さんが遅れて到着するまでの間、私と晴日さんは、話すでもない話を ―私の趣味のカメラのことを聞いてくださっていた― していました。
大和さんが席について、少し空気が流れて、流れた風は穏やかでした。
10年なんてあっという間だ。
ナナ「恋愛っていうのは二人で生きる孤独のことを言うんですよね」 (斗起夫より)
この言葉を読むと、聞くと、発話すると、心が潰れそうになります。果てしなく共感できるのです。一人の俳優は、一匙の言葉に人生を支えられることがあります。
2031年、できれば晴れた日に。
やっほー、と会いに来てほしい。
かみさま。
世界は、狭く、小さくなってしまう。
斗起夫に人生を重ね合わせて。
書きたい。
書くためにコーヒーを淹れ、焼き菓子を用意した。
逃げ道としての煙草を吸っていなくてよかったと思う。
炬燵の上でスマホを点けては消してを繰り返している。来るはずのない返信を待っている。
みんな成功してた、わたしだけが失敗した。
口の内側を噛んでいたことにはっとして、わたしは手を止める。
「見て、しらたまが、ごはん食べてるよ。」
わたしは笑い皺を作り、ベランダの風が干したばかりの洗濯物を揺らしていった。
2023年1月21日
小池 舞
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