ママの部屋
子供部屋で
物置部屋を整理して、
瞑想スペースをつくったと
前回のブログに書いたのですが
実際、何をしたかと言うと
自分好みの空間を作ったのでした。
これは、
わたしにとって、革命でした。
いらないもの処分して、
おもちゃを使いやすく
コンパクトに収納、配置し
少しだけ模様替えをして、
自分の好きなものを
飾ったり、置いただけですが
それでもわたしにとっては
自分の部屋ができたも同然✨
生まれて初めて
自分の居場所ができたようです
(大げさか)
わたしは
一人暮らしをしたことがありません。
実家暮らしの頃、初めての部屋は
兄と二人の小さな子供部屋でした
その後は、リビング横で
母と兼用の、畳の部屋で
兄が家を出てからは
父のとなりの部屋でした。
わたしはたぶん、
本当に小さな頃は放任で育ったようで
家の近所を、
一人でウロウロしていたのを覚えてます。
犬猫を追いかけて
よく迷子になっていたそうです。
年上のお姉ちゃんたちに
くっついて無邪気に悪さばかりしてました。
物心ついた時には、
父をとても恐れていました。
母は、心配性で
めちゃくちゃ、せっかち。
土日は父がいると
テレビは自由に見れません。
父の前でも見ることを
許されていたアニメがあって
「日本むかしばなし」や
「小公子セーラー」や、
「赤毛のアン」といった
道徳的に?問題のないもので
ちびまるこちゃんも
ある時、父から禁止令が出ました。
両親はテニスをしていたので、
ナイターに出かける日が大好きでした。
(夜のテニスをナイターと言う)
ナイターの日は、カレーか、中華ちまきが
作り置きされていて
両親が出かけ、兄と二人で、
「ダウンタウンのごっつええ感じ」
を見るのが、死ぬほど好きでした。
ひとつだけ問題は、
両親がいつも、8時45分あたりで
帰ってくることで
両親の帰宅の気配を感じると
爆笑の最中でも、泣く泣く…
でも、速やかにテレビを消しました。
余韻を押し殺し平静を装っていました。
(見てはいけないので)
土日は毎週、父の怒声が響きます。
毎週日曜には、反省会なるものがありました。
家に父がいて、お酒を飲み始めると
息を潜めるように過ごしました。
母には、何でも話せたけど、過干渉で
小学校、高学年あたりからは、
家が窮屈になっていました。
家に誰もいない時間が
最高に好きでした。
でも、いつも側に猫がいたので
本当に一人になってしまうのは
怖かったのかもしれません。
そんな感じで、今やっと、
自分の安らぐ場所ができたように
感じています。
理想は果てしなく
夢は無限に膨らむけれど
現在地というか
現時点での到達点があるように思います
インテリアも、洋服も、食べ物も
人それぞれのバランスや
落としどころがあって
人、それぞれだけど
それが、大事で…
自分を大切にする、と決めて
無駄遣いや、暴飲暴食がなくなりました。
結果、同じことを選ぶにせよ
我慢という、抑圧と
折り合いという、納得の選択では
向き合うエネルギーが違い
その後がまったく変わってきます。
ダイエットのリバウンドとかね
自分を観察していると
我慢や抑圧のあとの方が
針が振りきれてしまって危ないし
抑圧のあとには暴走が待っていました。
わたしはたぶん、男だったら
もう死んでる気がします…
今は、自分の心の内…
小さな声にも耳を傾けて
小さな欲のうちに
叶えて上げるようにしました。
適度にガス抜きができれば
暴走は食い止められます。
自分を大切にすると決めて
気づいたことはたくさんあるけど
その中で、嬉しい誤算というのか
家事など日常のあれこれで
やりたくないと思っていたことが
やりたいことや楽しいことに、
変わったことです。
では、なぜ今までは、
嫌だと思っていたのか…
答えは簡単です。
自分のペースやタイミングで
自分の自由に、好きなように
できなかったからです。
我慢というエネルギー
こうでなければいけないエネルギー
家事や育児は、というか
たぶん、ほとんどすべてのことは
普通は〇〇、という外の価値観を
取っ払うだけで、
ずいぶん楽しくなります。
その為には、他人に管理された
時間や枠からできるだけ外れることです
わたしの場合は、
特殊なケースが加わっていたけど
小さな子供がいると、
自分のタイミングを失います。
一つのことを終わらせることや
丁寧に向き合うことが
難しくなります。
他人軸に巻き込まれがちだし
毎日が同じことの繰り返しとか
自己犠牲に陥りやすい
例えば、洗濯物を干すという行為
ひとつとっても
急いで、いつまでに、などと気負わず
夜に干したっていいわけです。
洗濯が終わって、時間が経ってしまったら
もう一度、洗って脱水してもいいわけです。
朝のうちにサッと終わらせて、
次のアクションに
行ける時は、気持ちがいいけど
それができない時もあるわけで
そんな時に、ムダな罪悪感を感じたり
自分の心や体を
犠牲にすることを続ければ
小さな負の感情だって
積もりに積もれば、自分に呪われます。
結局は、無駄な消費に走ったり
食べすぎたり、
子供に怒りすぎたりしてしまいます。
もうこれは、確信してますが、
自分を大切にすることができれば、
人に本当に優しくなれるし、
エコの観点でもいいわけです。
世界は平和になれます!
わたしは、洗濯物は
色のグラデーションを
楽しむように干しています。
そうすると、
洗濯物が、アートに変わります
もちろん、いつもそのマインドで
いれなくてもいいんです。
でも、そうしていると、あらゆる場面で
丁寧に生きることが大切だと気付かされます。
好きなものに囲まれた暮らしというのは、
簡単なようで、簡単じゃないけど
自分を大切にすることや
好きなものに囲まれて暮らすことは
決して、
わがままではないとわかりました。
この部屋で、
ゆっくりした時間を
過ごすようになってから
心から安らぐ時間が少なかったのだと
改めて気づきました。
子供たちは、部屋に閉じこもったりする
年齢ではないので、
一部屋にじっとしてることは
ほとんどありません
そんな環境の方は試してほしいです。
わたしがそこで瞑想したり、
ゴロゴロしてると
長男は、横でくつろいだりもするし
次男が走ってきて、抱きついてきたり
ガチャガチャしたりするけど
長男には、今は瞑想したいからと
言うと、わたしを一人にしてくれます。
ほんの一間でも、
ほんのひと時でも
ボーッとし、頭を使わないで
自分軸というか、そこにいること
好きな音を聴く
好きなものに触れる
好きな香りに包まれたり
好きなものを目にして
本当に心が安らげば
本来の自分に戻れます
そうすると、
あ、あれをしてみよう!
こうしたらいいかも…と
アイデアやヒラメキが生まれます
散らかした部屋で
ゆっくりできるようにはなっても
そこへは、なかなか行けませんでした
休むことはできても、
あれもしなきゃ、これもしなきゃ、
と外側に意識が向いてしまう
どうしても物理的に難しければ、
部屋を暗くして
アロマを焚いたりするだけでも
全く異空間になります
お気に入りのカフェに行ってもいい
自分が心地よくなれればいい
仕事帰りに、まっすぐ家に帰らず
お母さんが、好きな時間を過ごして
帰る日があってもいいわけです
わたしの感覚では、
どんな人にとっても、
一人の時間は必要だと思っています。
それは、たまに、じゃなくて、
できることなら、毎日です。
わたしはずっと、
これが欲しかったのです。
そして、これからもっと、
理想に近づきたいと
物思いにふけるわけです。