野球部時代の一番の思い出
私は中学、高校と野球部に所属していました。
ポジションは主にセカンド、高校の時は時々ショート
この6年間の野球人生の中でいいことも悪いこともたくさん経験しましたが、一番思い出に残っていることは何かと尋ねられたら、間違いなくこれだという試合があります。
それは、中学2年の時のKボール(軟式球と硬式球の間ぐらいの硬さのボール)で行われる大会でした。
この大会の関東大会で優勝したチームはヨーロッパの世界大会へ、準優勝したチームは中国(China)へ海外遠征することができます。
我々のチームは決して強豪チームではありませんでしたが、ピッチャー、ショート、サードに強豪少年野球チームのレギュラー陣がおり、彼らのおかげでなんと関東大会の準決勝までコマを進めることができました。
そして、私の野球人生で一番思い出に残っている試合がこの準決勝です。
勝てば
・海外遠征が決まる
・メダルが確定する
・関東大会優勝or準優勝の称号が得られる
こんな、プレッシャーのかかる大舞台はほとんどのメンバーが経験がなかったので、試合前からただならぬ緊張感が漂っていました。
そんな緊張感からか試合も行き詰まる投手戦となり、7回を終えて3-3の同点。
中学の試合は7回が最終回なので延長戦に突入しました。
大会の規定で、延長に入るとタイブレーク方式となり、ノーアウト満塁から試合が再開することになります。
後攻であった私たちのチームはなんとか8回の相手の攻撃を0で凌いで、私たちの攻撃に移りました。
8回ノーアウト満塁 打順は4番からの好打順
4番打者は強豪少年野球チーム出身の選手。
5番打者の私はネクストバッターサークルで、どうせ彼がサヨナラヒットを打って決めてくれるだろうと思っていた。
「バーーーーーーーン!!!!」
「ストライク! バッターアウト!!」
私「うそやん.....」
正直パニックになりながら、打席に向かう。
「自分が戦犯にだけはなりたくない」
正直、このチームの打線は1,3,4,5番が得点源であったため、私が凡退したらサヨナラ勝利の可能性は低くなる。だから絶対外野フライ以上は打たねばと思っていた。
そして予想通り、私はセンターフライを打った。
ところが、サードランナーが飛び出しいるではないか。
「タッチアップできていれば、サヨナラだったのに........」
自分の心の中で小さな苛立ちと、次の回、もう一度ノーアウト満塁を守らないといけないのかという落胆を覚えていた、その時だ!
「カーーーーーーーン」
ベンチで下を向いていた私は顔をあげた。
6番打者の彼がレフト前にクリーンヒットを打ったのだ! サヨナラだ!!!
みんなが6番打者の彼のところへ駆け寄っていき、歓喜の輪が広がっていく。
彼は泣いていた。
もともと彼はキャッチャーだったが、エースと馬が合わずに後輩に後を追われるようにしてファーストにポジション替えをしていた苦労人だった。
そういうことも相まっての涙だったかもしれない。
正直、その時、私の中には勝ったことへの喜びや海外遠征が決まったことへの達成感よりも恥ずかしさの方が強かった。
自分一人この回のサヨナラを諦め、勝手に落ち込んでいたのだ。
でも、サヨナラ打を打った彼は諦めなかった。目の前の1打席の1球1球に集中していた。
一方私は、
「犠牲フライを打とう」とか、「戦犯になりたくない」とか、「なんでタッチアップしなかったんだよ」とか、そんなことばかり考えていた。
自分の恥ずかしさとは対照的に、彼の涙は輝いていた。
この経験は、その後の野球人生だけでなく今の自分の人生においても、次のような点で生きています。
・みんなが諦めた時こそ頑張る
・1つのことに集中する
・他人のせいにせず、自分の行動に責任を持つ
(追伸)
結局私たちは決勝では6-0の完封負けを喫しましたが、中国遠征にいくことができ、その中国大会でも2位の成績を収めることができました。