西洋美術史覚えて楽しく美術鑑賞しようよ③ エジプト美術(後編)
美術館に行ったはいいけどよく分からないまま「見た気分」になってしまっていた筆者が、「美術史を学ぶと、美術鑑賞が格段に楽しくなるのでは!?」と気付き、勉強がてらnoteにまとめていくシリーズの第3回。
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※知識ゼロからの素人が、限られた参考文献をもとに作成する記事です。個人の推測も含まれますのでその前提でお読みください。明らかな誤りがあった場合はご指摘頂けますと幸いです。
前回は古代エジプトの第2中間期(前1782年頃 - 前1570年頃)までの歴史と美術を辿った。第2中間期は、アジアやシリア、パレスチナなどからやってきた異民族が権力を握って、エジプトの統一が崩されていた。
新王国時代(第18〜20王朝)
しかし前1540年ごろ、上エジプトを支配していた第17王朝のファラオ(王)が異民族を追放し、再びエジプトの統一が達成された。これが新王国時代の幕開け。首都は上エジプトと下エジプトのちょうど境目にあるテーベ。
この時代はそれまでと違って、かなり積極的に外征を行ったことが特徴だ。異民族(ヒクソス)をエジプトから追い出すだけでは収まらず、そのまま追いかけてパレスチナに侵攻し、完全に滅ぼしている。恐ろし。それで味を占めたのか、続く代のファラオもグイグイ侵攻しちゃう。特にトトメス3世は「エジプトのナポレオン」とまで呼ばれる実力ある指導者だった。
それにしても、それまで戦争なんて大してこなかったはずなのに・・・よくそんな上手くいったなぁ。秘めたる力があったのか。いや、単に周りが弱かったのか。
さて、この時期の壁画を見てみます。トトメス4世の書記・天文官を務めていたナクトの墓より。
こちらがナクト夫妻。前回の記事で書いたカノン(人物のプロモーションを定めた規範)がしっかり適用されていて、個性は薄い。
一方の貴族でもなんでもない、奏楽の少女たちを描いたこちら。
ナクト夫妻と比べて身体の線が柔らかく、比較的自由に描かれているように見えないだろうか。一般的に位の高い人物ほどカノンが厳格に適用される、ということを分かりやすく表した例だ。
歴史の話に戻る。外征でぐんぐん国力を高めていくエジプト帝国。しかしある問題が起きてくる。テーベの守護神アメンを奉じる神官の権力が強くなりすぎて、度々王族と意見が衝突するようになってしまったのだ。
これはどういうことか。まず、神官というのは神に仕えて、神をまつる施設に奉職する人のこと。そして古代エジプトでは、非常に多くの神が信仰されていた。たぶん少なくとも100種類以上。ひとつひとつ紹介すると日が暮れるので、興味のある方はこちらのサイトなどを見て頂きたい。言ってはあれだが、結構シュールでかわいい神もいる。
そしてこれだけの神がいたので、神官もそれぞれの神ごとに役割分けがされていたのだ。嵐が5人いて「大野担」「二宮担」とかで分かれてるのと同じ。(違うか)
で、アメンというのは、首都テーベの守護神だった。戦争が一気に増えたこの時代。アメン神をまつる神殿には、戦に出る前には戦勝を祈る寄付が、そして勝利した暁には戦利品や征服地の租税が贈られ、必然的に莫大な財力を持つことになったのだ。こうなるとアメン担の神官は鼻高々。ファラオが何か政策を打ちだそうものなら、「それ、どないやねん?」といちいち口出ししてくるようになったというわけ。
アメン神
これを「シンプルにウザいわー」と思っていた第18王朝のファラオ、アメンホテプ4世は、かなり大胆な改革に出る。それがアマルナ宗教改革。なにかというと、「もう、アメンも含めて、複数の神を信仰するのやめるわ。我々が信じるのは太陽神のアテンだけ。首都もアマルナに遷すから。」と、多神崇拝を一神崇拝に改めることを市民に命じたのだ。
国の都合で崇拝の対象を変えるとか、なんか罰当たりじゃないか!?って思うけど。いいんですかね。アメンホテプ4世ってまず自分の名前に「アメン」って入っちゃってるから、わざわざ「アクエンアテン」に改名したらしい。本気ですな。
ともあれ、そこで花開いたのがアマルナ美術だった。アマルナ美術の特徴は、それまでの伝統的表現からは一線を画す、独特の写実主義・自然主義表現だ。
まずこちらがアメンホテプ4世の胸像。
おお!?人間らしい!!!確かに、古王国時代のトイストーリー的彫像とは、明らかに違う。
そしてさらに自然主義を感じられるのが、アメンホテプ4世の妻である王妃ネフェルティティの胸像。
わあ〜〜〜〜!なんか優しそう〜〜〜〜〜!
口をむっと紡いでいる感じとか、目元のシワ、鎖骨のラインが、血の通った人間を感じさせるよね。王族なのに、身近に感じる。ていうか美人さんだなあ、ネフェルティティ。
多神教のもとでは、神はいっぱい居ていいって考え方だったから、ファラオも現人神という考えがあったという。でも一神教になると、神はアテンだけ。だからファラオや、ましてやその妻ネフェルティティはただの人なんだ、っていう考え方になった。それがこの写実表現に繋がっているのではないかと。面白いね。
アマルナに遷都してからのファラオは国内の統治に重きを置き、戦闘を控えていた。ただね、それはそれで別の問題が起きてくるわけですよ。せっかく征服したシリア・パレスチナ地方の国家群が、ヒッタイトというインド・ヨーロッパ語族の民族に奪われてしまった。さらにアメンホテプ4世もころっと逝ってしまった。
ここで出てくるのが、前1333年に即位したツタンカーメン。彼は言います。
「アメン信仰復活させて、多神教に戻すわ。首都もテーベに戻すわ。」
結局、アマルナに首都があったのはたった30年ほどだった。アメンホテプ4世、無念。
ただ、ツタンカーメンってすごい短命で、20歳を迎えずに亡くなったと言われている。アメン信仰を復活させた時にはまだ9歳。国を統治できる年齢ではないから、裏に別の覇権者がいたのか・・この辺りは、未だミステリーになっている。
そんなツタンカーメンがなぜファラオの中でも一番有名かといえば、やっぱり1922年に発見されたこのマスクだよね。
はい、完全に神。「ファラオは現人神」って考え方に戻ってます。写実主義どっかいった。いいね、切り替え早くて。
ちなみにツタンカーメンっていうのは正式には「トゥク・アンク・アメン」で「アメン神の生き写し」っていう意味。だから実はアメン神信仰を復活させる前の名前は、「トゥク・アンク・アテン」だったんだよね。
ツタンカーメンの後の王たちも、アマルナ時代に失われた外征の姿勢を取り戻し、再び国を膨張させていく。ただラムセス3世というファラオの死を最後に国勢は下り坂へ。アメン神官団が再び権力を握って、好き勝手やりだしたことで、1080年ごろには再びエジプトが南北に分裂。実に450年続いた新王国時代は、終わりを迎えた。
エジプト第3中間期(第21〜26王朝)
さあ、3度目の混乱期。下エジプトに王が5人も同時に即位しちゃったりしてもうわけわからなくなってるうちに、メソポタミアの方からアッシリアの勢力がやってきて、あっさり征服されてしまった。世界で初めてのオリエント統一です。
末期王朝(第27〜31王朝)
ただ、アッシリアは恐怖政治のせいで100年ももたなかった。エジプトは第26王朝の時に再び国を取り戻す。エジプト、新バビロニア、リディア、メディアの4帝国時代です。
その後も懲りずにパレスチナ・シリア方面に進出しようとして負けたり、バビロニアと小競り合いを繰り返したり、そうこうしてる内に前525年ごろにイランの方からやってきたアケメネス朝ペルシアに征服される・・・という顛末。結局のところエジプトはそんなに戦争に強くなかったという結論になりそうだ。
マケドニア朝〜プトレマイオス朝
アケメネス朝ペルシアに服属していたエジプト。前330年ごろ、今度はギリシアの方からアレクサンドロス3世という大王が遠征してきてアケメネス朝ペルシアを征し、かわりにオリエント全域を支配。マケドニア王国を建国する。ペルシアさんの次はギリシアさんですかい。エジプト、翻弄されまくり。
しかしアレクサンドロス3世がそれから10年ほどで死去してしまい、国々は再び分裂。後継者たちは広いオリエントのどこからどこまでを誰が征服するのかという争いを起こし、エジプトはプトレマイオス1世に統治されることになった(プトレマイオス朝)。
もちろんプトレマイオスっていうのはギリシア(マケドニア)の方から来た人ですよ。だからここで、エジプト史上非常に稀な、支配民族の入れ替わりが起きたわけだ。
ギリシア風の文化のことをヘレニズム文化というが、美術的側面でもヘレニズム文化とエジプト文化の融合が図られたのがプトレマイオス朝の作品群からはよく分かる。
© Musée du Louvre/C. Décamps
この王が誰なのかは分かっていない。頭巾や腰衣は完全にエジプト風だが、典型的なエジプト美術にみられた幾何学性や抽象性は薄く、写実性を増している。
最終的にプトレマイオス朝エジプトは、ローマの支配下に入ることになる。プトレマイオス朝最後の女王として有名なのがクレオパトラ7世。ローマとの戦争に破れ、悲痛に耐えかねた彼女は自殺し、独立王朝としてのエジプトは終焉したのであった・・・。
次回はエーゲ美術・ギリシア美術を見ていきます!
▼年表で振り返り
*本シリーズで参考にさせて頂いている文献たち
・中村るい、黒岩三恵他『西洋美術史』(武蔵野美術大学出版局)
・堀内貞明、永井研治、重政啓治『絵画空間を考える』(武蔵野美術大学出版局)
・池上英洋 、 川口清香、荒井咲紀『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)
・池上英洋 、 青野尚子『美術でめぐる西洋史年表』(新星出版社)
・池上英洋『西洋美術史入門』(ちくまプリマー新書)
・早坂優子『鑑賞のための西洋美術史入門』(視覚デザイン研究所)
・木村泰司『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』(ダイヤモンド社)
・Wikipediaの関連ページ
・世界の歴史まっぷ
・世界史の窓
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