西洋美術史覚えて楽しく美術鑑賞しようよ⑤ ギリシャ美術:幾何学様式期〜アルカイック期
美術館に行ったはいいけどよく分からないまま「見た気分」になってしまっていた筆者が、「美術史を学ぶと、美術鑑賞が格段に楽しくなるのでは!?」と気付き、勉強がてらnoteにまとめていくシリーズの第5回。
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※知識ゼロからの素人が、限られた参考文献をもとに作成する記事です。個人の推測も含まれますのでその前提でお読みください。明らかな誤りがあった場合はご指摘頂けますと幸いです。
今回からいよいよ「ギリシャ美術」について学んでいく。
前回、「海の民」の襲来によってミュケナイ文化が終焉を迎えたところまでまとめた。地理的な意味ではミュケナイもギリシャの一部なので、「ギリシャ美術」なんじゃないの??と言いたくなるが・・・
どうも、「西洋美術」というものの根幹を成している二つの原則というものがあって、それはミュケナイ文化が終焉を迎え、暗黒時代を経て社会の再編成が行われたのちの、「幾何学様式期」と言われる時期に形成された、と考えられているようだ。逆に言うと幾何学様式期以降はその原則が、その後のローマ、ルネサンス、バロック美術等にまで、多様に発展しながら脈々と受け継がれているのだ。
その二つの原則というのは、
1、形体の構成要素にせまる分析
2、普遍的な概念を探求する姿勢
であるという。(北澤洋子監修『西洋美術史』より)
ちょっとこの文字面だけ見てもピンとこないが、これから具体例とともに見ていこう。
ギリシャの民主制(都市国家「ポリス」の発展)
美術の話に入る前に、少しだけ歴史的背景について触れておきたい。
これまでメソポタミアやエジプトの古代の歴史については紹介してきたが、そのどちらにも共通したのは強力な王がいて、隙あらば領土の拡大に勤しんでいたということだろう。
ところがその点においてギリシャは様相が違う。統一国家というものはなく、「ポリス」と呼ばれる都市国家が平野や盆地ごとに点在しており、何より民主制を重んじていた。政体は選挙によって市民に選ばれた人たちが運営し、専制的な君主を出さないよう、様々な工夫を凝らしていたようだ。いまの日本に生きる私たちは民主主義が当たり前の時代に生まれてきたが、その起源はこんなに歴史の深いところにあったのだ。
エジプトやメソポタミアの王をモデルにした彫像などはいくつか紹介してきたが、そういうわけで、古代ギリシャにおいては明確に王の権威を示すような彫像は出てこない。そのモデルは、神あるいは市民ということになるだろう。
幾何学様式期(前900〜700年頃)
ミュケナイ文化の終焉後、200年ほどの暗黒時代を経て、前900〜前700年ごろまでの美術文化は「幾何学様式期」と呼ばれている。
幾何学様式という名の通り、この時代の陶器は、同心円、半円、市松模様、三角形、菱形などの単純な文様の装飾から始まった。その後、人物や動物も装飾のレパートリーに登場する。
この精緻な文様は、コンパスや定規を用いて描いていたようだ。ウサギや、フラミンゴのような動物が見られる。
前8世紀半ばには、全体をメアンダー文様(あるいはギリシャ雷文)や、黒色の地で覆い、その中央に死者への哀悼を示す表現が現れてくる。
※メアンダー文様はこういうやつ。
そして、これが死者哀悼の表現。
人物の描き方が非常に特徴的だ。上半身が三角形で、正面向き。下半身はお尻とふくらはぎのフォルムがやけに強調されていて、側面向き。そして漫画ONE PIECEのような腰の細さ。
ほぼ同時代に制作された馬の彫像も、同じような特徴を持っているのだ。
人物像にも馬の像にも、先の原則1と2があてはまる。別の見方をすると、表現要素を最小限(ミニマル)に切りつめた、一種のミニマル・アートとなっている。
(北澤洋子監修『西洋美術史』より)
原則1は「形体の構成要素にせまる分析」、原則2は「普遍的な概念を探求する姿勢」だった。この人や動物の身体のフォルムは極端に単純化されているから、実際に目で見る形とは明らかに違うのだが、しっかりと人であることは分かるし、馬であることも分かる。つまり「どういう構成要素を持っていればそれは人/馬に見えるのか」、逆に「どこか崩れてしまうと人/馬に見えなくなるのか」、その境界線を当時の人たちは探求し、またそれが単なる個人の試みではなく後世に残る社会全体の流れとなることも意識しながら、制作していたということだろうか。
うーん、まさに”美術の始まり”とでも言いたくなるような、ロマンを感じる。
アルカイック期(前700頃〜480年)
さて、ギリシャは前7世紀ごろから、エジプト、アッシリア、シリアなどオリエント地方との交易が行われていた。
ここでいつもの年表。
①の記事で紹介したが、メソポタミア北部から始まったアッシリア帝国がエジプトやシリアも含め四方へ勢力を急拡大していき、オリエント世界が統一されたころである。
交易を通じて、ギリシャにはオリエントから新しい装飾文様が次々と伝わってきていた。グリフィンやスフィンクスなどの動物文様もここで導入されるのである。
これがグリフィン。鷲の頭と翼、ライオンの胴体、蛇の尻尾を持った空想上の生き物だ。
その起源はインドともいわれている。なぜ3つの動物を掛け合わせようと思ったのかは解明されていないが、「崇高な生き物同士を合わせてより崇高な生き物を作りたい」という願望からきたのではないかという見方がある。
※お気づきだと思うが、ハリー・ポッターの「グリフィンドール」もここからきている。
スフィンクスは知っている人が多いと思うので画像は割愛するが、ライオンの胴体に、顔だけ人間というやつだ。発祥はエジプトで、いやむしろエジプトのイメージしか無かったが、かなり古くからギリシャにも渡ってきていたのだと知った。
●絵画 - 黒像式と赤像式
絵画については、文献上では建築を装飾した絵画もあったことが分かっているが、現存しているのは陶器画が中心である。
アルカイック期に確立した壺絵の技法として、「黒像式」と「赤像式」がある。
黒像式の方が先に発展した手法で、陶器の全面に「黒釉薬(こくゆうやく)」といわれる黒い薬品を塗って焼いた後に、人物を黒で残して、背景や線を削り取るというやり方だ。エグゼキアスという画家の作品が有名。
対する赤像式はその逆。焼いた後に、黒釉薬を筆につけて絵柄を描くというやり方だ。エグゼキアスの弟子であるアンドキデス・・・の、作った陶器に絵を施した人が発明したと言われているが、肝心の本人の名前が不詳なので「アンドキデスの画家」と語り継がれている。
当時の壺絵は人物画がメインだったので、赤像式が発明してから20年もしたころには、ほぼ赤像式が採用されていたようである。こちらの方が人体の色に近しいから、ということかな。
●立像 - クーロス像とコレー像
さて、彫刻の分野では、初めて大型の石像が登場する。それまでは青銅製あるいは木製がほとんどだったのだが、エジプト彫刻の影響によって変化したと考えられている。
男性像はクーロス像、女性像はコレー像と呼ばれた。名前が区別されているくらいなので、特徴が違うということだ。別々に見てみよう。
<クーロス像(男性像)>
エジプト美術のときに出てきた「カノン」を覚えているだろうか。人体の理想的なプロポーションを定めた規範のことだ。エジプトでは中王国時代(前2000年頃〜)にはカノンが適用されていたが、ギリシャの彫像でカノンが用いられ始めたのが、このアルカイック期のクーロス像だった。
うーん。。確かに、この像たちにモデルがいたのかどうか分からないが、いなくても成り立つ瓜二つ具合。(ちなみに、当時の人たちは「神と人間は同じ姿をしている」と考えていたため、多くのクーロス像は神と人間のどちらなのかも分かっていないらしい。)
また、片足を前に出しているのも、エジプトの男性像と共通の特徴である。ただし、エジプトの男性像は腰布をつけていて、両足の間や背中は削られていない(補強のため)に対し、ギリシャのクーロス像は全裸で、足の間や背中も削られている、という違いは見られる。ギリシャではエジプトよりも、「脚が人間の体をどう支えているのか」を造形の過程において確かめたいという好奇心が見てとれ、やはり冒頭に述べた二つの原則が当てはまっているとも言えるだろう。
<コレー像(女性像)>
男性像=クーロス像との対比も踏まえて、女性像であるコレー像を見てみよう。
(アルカイック期を代表する「ペプロスのコレー」像。ペプロスとはこの女性像が身につけている長衣のこと。)
まずクーロス像との大きな違いは着衣ということだ。ギリシャ彫刻というと真っ先に「ミロのヴィーナス」のような全裸の女性像が浮かぶところだが、あれはもう少し先の「ヘレニズム期」の作品。アルカイック期のコレー像は必ず衣装と一体になって造形されていた。
この当時、男性は幼い頃から肉体を鍛錬し、宗教的な祭礼の一部として運動競技に裸体で参加していた(→オリンピックの起源である)のに対し、女性は公の場で裸体になることはタブーであったという。
衣文(=えもん、衣服の"ひだ"のこと)は「ドレーパリー」と呼ばれ、その後のギリシャ彫刻にも続く大事なキーワードだ。この時期のコレー像のドレーパリーはまだ控えめだが、ここからどんどん豊かな表現へと変わっていく。それはまた次の章以降で触れたい。
また、クーロス像とコレー像の共通点もある。それは口元の微笑。「アルカイック・スマイル」と呼称されている。
モデルが実際に笑っていたということではなく、彫像に生命感を与えたいという思いがこのような形となって現れたようだ。しかし、時には不自然すぎて怖さを覚えることも・・・
この作品は「瀕死の戦士像」ということだが、瀕死でもアルカイック・スマイル。なにか強迫観念めいたものを感じる。どのような状態であれアルカイック・スマイルを優先したという当時の芸術観に、盲目的ともいえるほど社会の伝統を重んじる姿勢を感じたのは私だけだろうか。
●建築、建築装飾
最後に、建築および装飾のことも少し触れておきたい。アルカイック期は立像だけではなく、神殿も木造から石造になっていった時期である。
古代ギリシャの聖地とされていたデルフィ(デルポイ)という地がある。ギリシャ神話のことは語り始めるときりがないのでここで多くは書けないが、「全知全能の神ゼウス」というフレーズは聞いたことがある人が多いだろう、そのゼウスの子アポロンが神託を始めた地とされている。
聖地という名の通り世界中から参拝者が巡礼に訪れる地だ。ギリシャに点在する都市国家は我先にと宝物庫の奉納に勤しんでいた。このなかでエーゲ海の小さな島シノフスの住民が建造した宝庫が、みごとなレリーフ(浮き彫り)で飾られていたことで名高い。
(「神々と巨人族の戦い」部分)
レリーフのことはこれまでの記事でも折に触れて紹介してきたが、確かにこれまで見てきたレリーフよりも明らかに奥行きが感じられたり、ドレーパリーの表現も見て取れる。世界の人々の目に触れる場というだけあって、彫刻家もひときわ腕をふるったようだ。
次回はアルカイック期の様式をさらに発展させた、クラシック期を学んでいく。
*本シリーズで参考にさせて頂いている文献たち
・中村るい、黒岩三恵他『西洋美術史』(武蔵野美術大学出版局)
・堀内貞明、永井研治、重政啓治『絵画空間を考える』(武蔵野美術大学出版局)
・池上英洋 、 川口清香、荒井咲紀『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)
・池上英洋 、 青野尚子『美術でめぐる西洋史年表』(新星出版社)
・池上英洋『西洋美術史入門』(ちくまプリマー新書)
・早坂優子『鑑賞のための西洋美術史入門』(視覚デザイン研究所)
・木村泰司『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』(ダイヤモンド社)
・Wikipediaの関連ページ
・世界の歴史まっぷ
・世界史の窓