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雑記②

当店 SOYSAUCEMAN は 2月20日〜4月11日の日程で “マレーシア → バリ島 → スリランカ” への買付けのため、誠に勝手ながらしばらくの間営業を closed させていただきます。

拝読者様にはご不便をお掛けして申し訳ありませんが、引き続きご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

際して、この雑記②と題したわゆるアルバイト日記が直近最後の note となりますことをご報告いたします。

※筆者は店の経営はしておりません上、ただの妄想および比喩になりますことお詫び申し上げます。ただ、言ってみたかったシリーズなり。


先日、引越し業者でアルバイトをした。

募集の画面には、「運転免許がなくても働ける!配送アシスタント」と書かれていた。

僕はこの “配送アシスタント” というワードに対して妙に楽そうという認識を安易に抱き、あまり深く考えず応募したのだが、地図を頼りに現地に到着すると、有名な某引越し会社だったので愕然とした。(会社名は、なんとかかんとかロジだったし...)

愕然とした理由は、引越しバイトの過酷さを一度味わっているからである。

あれは、大学生に入学するまでの隙間期間でのこと。特にすることもなかった僕は、小遣い稼ぎを目論もくろみ、今回とは別の業者にお世話になった経験がある。

その当時、会社に到着するやいなや、恐ろしい速さで制服に着替えるよう命じられ、見知らぬおじさん達とラジオ体操させられ、すぐさま連れていかれたのは運悪くも大豪邸の一軒家。そこで見た事もない量の荷物に圧倒され、追討ちをかけるように激重荷物を階段の往復で運び出す。おまけに今よりも見た目が若かったせいか、かなり強めの口調で指示され、それはそれは全くと言っていいほど良い思い出がなかったのだった。

そのような嫌な記憶がフラッシュバックしつつ、恐る恐る事務所のインターホンを鳴らすと、いかにも理系風貌の事務員さんが愛想もほどほどに対応してくれ、まずは一安心だった。

その後、勤怠開始の QR コードを読み込み、制服に着替え、トラックの前に招集されると、僕と同年代くらいの兄ちゃんが荷物を積み込んでいた。どうやら、彼が僕の担当者のようだった。

というのも、他にも学生と思われる見た目のアルバイターが2名おり、彼らは隣のトラックに同乗するようだったからだ。

隣のトラックの担当者は、僕よりも少し上の世代のように見え、学生相手だったからなのか分からないが、開始早々にも関わらず指導に熱を帯びていた。完全に偏見にはなるが、その口調の悪さや態度、醸し出す雰囲気から立場の弱い者に対してマウントを取ることで気持ちよくなっている臆病な人のように見えた。

対して僕の担当者は、タメ口だが口数も少なく、基本最低限のことしか指示しない感じの人だった。これに関しては、僕との相性にも起因している雰囲気があり、普段仲が良い人とはよく話すのかもしれなかった。しかし、僕との会話は1日を通してほぼ皆無だった。

早速、指示を受けながら事前にカゴ台車に用意された荷物をトラックに積んでいく作業を手伝った。普段カゴ台車なんか手に触れる事もないので、どのように畳むのかさえ最初は分からず、近くでタバコ休憩中のスーツ姿の重役とおぼしきおじさんにやり方を教わった。どうやら台座の裏面に取っ手があり、それを引きながら台座を上に持ち上げると畳める仕組みだった。

そして、荷物も積み終わり、いよいよ出発の時を迎えた。
当初想定していた僕の予想は良い形で裏切られ、この日の引越しは1件のみと少なく、小さな事業所や工場、デイサービスへ1件あたり数点荷物を配送するのがメインの仕事だった。

デイサービスには洗濯機を運んだのだが、意図的に気温が高く設定された室内で、白髪の小さくなったお年寄り達が談笑している光景を横目に見ながらの作業だったので、少し怖さを覚えた。

その恐怖という感情は、おそらく風呂場にあった背もたれ式の座椅子が見えたこととお年寄りの人数に対するスタッフの数が少なかったこと、そしてスタッフの表情や雰囲気に起因している気がするのだが、これが近未来的に日本に訪れる日常茶飯事な状況かと思うと、他責的で恐縮だが少しゾッとせずにはいられなかった。

その後、コンビニにトラックを駐車し、昼休憩をとった。
僕は、京のお米老舗 八代用儀兵衛監修のおにぎり3つと野菜ジュースを買ったのだが、驚くことに兄ちゃんはカップラーメン1つという僕と比較しても明らかに栄養不足だった。

おにぎりは、テレビで紹介されていたので試しに買ってみたのだが、衝撃が走るような美味さではなく、まあまあだった。

一方、兄ちゃんは靴を脱ぎ座席に両足を密着させ、うんこ座りの体制で麺をずるずるとすすりながら、スマホで得体の知らないアニメを爆音で見始めた。

普段であれば「配慮がないな〜」と思ってしまう僕であるが、兄ちゃんのスマホのロック画面が幼い子どもの写真に設定されているのが見え、そのアニメの途中に入る広告が運転業界の転職のものだったことから、「兄ちゃんも色々大変なんだな〜」と色々妄想することでそれを回避した。

昼休憩後は、この日唯一の山場である引越し案件だった。

山場といっても届け先が3階というくらいで、荷物の重さと量は大したことはなかった。

また、カゴ台車をトラックに片付けるように指示を受けたのだが、トラックの後部に付属しているパワーゲートというものを操作して、なんということではないのだが、一人で対応できるようになった。

途中、依頼主以外のマンションの住人が往来した際に、オートロックの正面玄関が閉まってしまい、僕だけ中に入れないという場面があった。

その際、出て行ったマンションの住人であるカップルに声をかけて、ドアロックを解除してもらったのだが、彼らがちびまる子ちゃんに登場する野口さんの兄“富士男“と“柿絵“のような明らかにヤバめな雰囲気を醸し出しており、僕を引越し業者かどうか疑い、簡単に開けてもらえないという状況が発生した。

荷物の運搬も明らかで、制服も着ているのになんだったんだという感想と、世の中には本当に色々な人がいるという学びの瞬間だった。

当初、就業時間は7時30分〜18時の予定だったのだが、予定よりも早く運び終わり、16時過ぎには帰宅の途につくことができた。結局、労働時間は約7時間程度だったのだが、運転手の横で無言のまま鎮座し、窓から流れいく景色をぼうっと眺めるという移動の時間が大半を占めたバイトだった。

終業後に感じたことは、やはり働いている間は目の前のことに集中しているため、何事も考える時間が持てないということである。そのような余裕が持てないのは、少し雇われの身分だと尚厳しいのかもしれない。

そして、雇われの身分だからなのか理由は定かではないが、兄ちゃんの仕事に対する熱意も失われ、何か全てをすでに諦めてしまっているようにはたから見えてしまった。

それは、僕の勘違いかもしれないし、好きでなくても得意を活かせているのかもしれないし、本人の勝手なのだが、何か楽しそうではなく、生気を失っているように見えてしまったのだ。

そんな僕も他人のことをとやかく偉そうに言える立場ではなく、何かを模索しなければならないのだが、とにかく将棋のように一手一手を指し続けることしかないのではないかと最近は考えている。

そして、王手を目指すのではなく、その将棋自体を純粋に楽しめばいいのではないかと思うようにしている。


別の日は、皿洗いのアルバイトに行ってきた。

調べてみると、お店は昨年の11月頃にオープンしたばかりのアメリカンダイナー風のレストランだった。

このアルバイトに応募した理由は、隣町だったので自転車で通える距離にあるということ、そして単純にキッチン裏の皿洗いの仕事とはどんな様子なのか少し興味があったことになる。

店に到着すると、The アメリカ映画に出てくるようなダイナーのウエイトレス風の制服を着た若い女性がおり、バックヤードに連れて行ってくれた。

バックヤードに入ると、そこは完全に狭い事務所で、不審者を発見する監視カメラ用と従業員のシフトや在庫管理用のパソコンで埋められていた。

その隣にはさらに狭い扉があり、その奥に横幅2畳ほどの更衣室が広がっており、そこでエプロンを着用するように指示を受けた。そして、着替え終わると再び店先に戻った。

調理場から入場すると予想していた通り、従業員は僕よりかなり若い男女がほとんどだった。そこにアルバイトといえば学生という若い人間が来るはずが、30歳を過ぎたおっさんなのか兄ちゃんなのか正体不明の男がやってきたものだからか、言葉遣いや礼儀正しさは過去一番の職場だった。

調理場の裏に入ると、そこには一人黙々とこなせる洗い場があり、調理を終えた器具や下げられた皿やコップなどを洗うことができるようになっていた。

初めに業務用食洗機の使い方を教えてもらったのだが、ここで気づいたことがあった。

それは、僕がその場の空気や雰囲気を早くつかんで、何が重要なポイントか文脈を埋める力が比較的強いのではないかということである。

具体的には、業務用食洗機の使い方について指導を受ける際、指導者は洗い方の操作部分についてしか説明しなかったのだが、ここで重要なのは食洗機がどれくらい時間がかかるのかということと、食洗機を稼働させるタイミングである。

これについては、現場の状況を見ながら自分で考えさせるのも良いのかもしれないが、逆に僕が教えるという相手側の立場を想像して行動することも上手なのではないかという可能性に気づいた瞬間でもあった。(※そんなに大したことではないが...)

しかし、ここで述べたことようなことは全然重要ではなく、呆気にも食洗機は1分もかからず洗浄が終了するタイプだった...

その後、4時間にわたって皿洗いを続けたのだが、土曜日の晩にも関わらず客入りがあまり良くなく、結構暇な時間が多かった。

暇な時間が多かったこともあり、背後から従業員同士の話し声や笑い声が聞こえてくる。そのような温和な雰囲気というのは、かけがえのないものではあるのは確かだが、どこか必要であるはずの緊張感も全くなく、何かトラブルがあった時が心配だなというのが部外者である僕の感想だった。

一方、前述したように言葉遣いや礼儀はしっかりしている人が多く、リーダー的な存在の方は、水やフライドチキンを出してくれたりと配慮もしてくれ、気持ちの良い職場だったのも間違いなかった。

そのような一種の職業体験を振り返ると、僕の中に「いい歳なのに皿洗い」とか「誰でもできる皿洗い」などという何か世間的な仕事に対する固定観念やプライドはあまり高くないということは一つ発見かもしれない。

しかし、皿洗いの仕事自体には何か興味をそそられるエッセンスがなかったのも事実である。「黙々と」や「きっちり」という部分はひそかに楽しい部分ではあったのだが、何か全然物足りないという感じだった。

この足りない感じが何かというのは、まだ完全には分からないが、どこか予定調和ではないトラブルや事象が起こりうる可能性を内包していることではないかとぼんやりと思っている。

何に対してもクレイジーを求めてしまうたちなのかもしれない。

仮にそうであるならば、何に対してもそのクレイジーさは失いたくないものである。

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