あの頃の私を思い出す:古典への憧憬
高校生の頃の一番好きな科目は現代文と古典だった。
古典は、活用形を理解し暗記するまでは難敵だったが、なんとか文法を頭に入れ、また人柄が素敵で授業が面白い先生たちと学校や塾で出会って、一気に好きになった。
私は教科書が大好きだった。
特に古典の教科書には美しい挿絵や風景写真が多い。絵画も好きだが、絵そのものよりも、教科書の挿絵として載せられた絵画や写真に付随した文学イメージの方が、実は好きかもしれない。
今ふと頭に思い浮かぶのは、紀貫之や『宇治拾遺物語』、『論語』や漢詩。
王翰の「涼州詞」は、冒頭の “葡萄美酒夜光杯” が印象的で、よく覚えている。
漢詩の頁には中国の写真が載っていて、果てしない砂漠に建つ楼閣や霧の深い山林風景に、高校生の私の胸は焦がれるようだった。
教科書では飽き足らず、学校の図書館で漢詩集を借りて異国の詩への憧憬を募らせた。
切れ味の良い漢詩の言葉は涼やかで美しく、私は漢詩そのものになってみたいとまで思っていた気がする。
こんなにも憧れて好きだったのに、高校卒業後は漢詩を含めほとんど古典を読まなくなった。ものぐさな性格の私は、もっと楽な方へ楽な方へと進んできたんだな。簡単に読める漫画やスマホばかりに夢中になった。
久しぶりにnoteを開いたら、このタグを見つけて、なんとなく文章を書いてみようと思った。そうしたら、昔の自分のきらきらした心の中を思い出して、また大好きだった古典の世界に触れてみたくなった。
思い出させてくれて、ありがとう。
私はもうあの頃の高校生の自分ではないけれど、古典の世界は変わらずにそこにあるよね。
今からまた頁をめくってみよう。読み方を忘れているかもしれないけれど、ゆっくりいけばいいだろう。
何から読んでみようかな。
カーナ 2021/11/27