見出し画像

「この作者の意図がよく読み取れない私の読解力が試されている?~『また、同じ夢を見ていた』~」

『また、同じ夢を見ていた』 住野 よる 著 (双葉社)                                                                                                       2016.3読了
 
私が作者の前作『君の膵臓をたべたい』を読んだということで、同僚から「これ、読まないんですか?」と言われ「あ、じゃあ、はい、読みます」と消極的気持ちで読み始めたのが本作です。
 
今度は前回のことを学習して、余計な帯のコメントはいっさい目に入れないようにしました。


小学生の女の子が主人公。
読書が好きで、自分以外のクラスメートは一部を除いて「みんなバカだ、自分はずっとかしこい」と思っている、クラスでかなり浮いている子です。
当然友だちもほとんどいないに等しいのです。
 
除いた一部というのは、本好きという共通項でとりあえず言葉を交わすことが出来る男の子・荻原君と、席がとなりで絵がうまいのにそれをなぜか隠そうとする男の子・桐生君。
 
その他に数少ない中の友だちと言える人で、クリーム色の外壁のアパートに住む女性“アバズレさん”と、丘の上の木の家に住む“おばあちゃん”、そしてしっぽが短い猫。
この猫は、アバズレさんとおばあちゃんの家に遊びに行く時はいつもいっしょにくっついてくるのです。
そしてまた、普段は行かない方の道をたまたま行くと、誰もいない建物の屋上にいつも夕方いるのを見つけた、女子高生の南さん。
 
ある日担任のひとみ先生から国語の宿題で、幸せについて考えるということが出され、途中、授業参観で発表することも決まってしまいました。
 
様々なことが起こる中で、彼女は幸せとは何かを一生懸命に考えますが、なかなか一番いい答えが見つかりません。年上の友だち3人にも相談してみます。
 
しかし、クラスメートたちとのある事件を堺に、友だちとの関係がかなりまずい状態になっていくのですが…。



とあるレビューでも書かれているのを見かけましたが、物語の途中で流れというか、結末というか、“仕掛け”がわかってしまうのですね。
それに、女の子がよく使う「人生とは…◯◯のようなもの」という表現が、どこかで聞いたことがある感じ。
物語の中でも実際書かれていることですが、スヌーピーが出てくるアメリカンコミックの『ピーナッツ』でも使われているようですし、他でもどこかで使われていました。
(あ~…映画『フォレスト・ガンプ』でもそういう表現、ありましたよね)
 
小学生の女の子が自分は賢いと言いつつも、ちょっとした言葉には「自分は大人ではないからよくわからないけど」と言うし、でも変に大人ぶっていて冷めているところが、彼女のクラスメートに感じるものと同じくあまり共感できないのです。
 
確かに他人の心の中などわかるわけではないので、何を考えているのか、大人ぶっていても実際はか弱い子どもなのは百も承知です。
だれともクラスメートと心を通わせようという努力をしないのも、案外逃げることが得意な私の中にも潜んでいる性質なのかもしれないとは思うのですが、やはりそれを差し引いても、激情しやすいタイプでもありあまり主人公に共鳴できませんでした。
 
ファンタジー要素が入っているので、お話としてはまあまあおもしろいのですけど、ちょっとわからない、なんだか謎めいたままで終わっている部分もあります。
あまりスッキリしないので「なんとなくわかるでしょ?」って試されているようで、そのへんもこの作品を心に残る良作として読み終われなかった気がします。
あくまでも私独自の見解ですから、わざと貶めようとは思っておりませんのでご了承ください。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?