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学者の価値
僕は元々は学者になりたかったが、なれなかった挫折組だ。
教育は好きだが、研究が性に合わないと思った。
研究とは、今まで誰も証明していない「〇〇をすれば、〇〇になる」みたいな法則を新たに発見していき、学問の体系に加えていくことだと思うが、僕には果てしなく根気が必要な仕事に見えた。
ADHD気味で(気味ではないかもだが)せっかちな僕にはそんな仕事は無理だろうと諦めて、すぐ成果が見える実践側にまわって、いろいろな経験をして今にいたる。
結局、あまり後悔は無い(少しはある)。どうせ無理やり学問の道に進んでも、この性格では大した成果は残せなかっただろう。
これでいいのだ。
さて。今、日本採用力検定協会でも一緒に理事をやらせていただいているビジネスリサーチラボ伊達さんと一緒に本を作っていて、彼を通じて、学者の皆さんが構築している膨大な知識の宇宙を見せていただいている。
これを一気にまとめて、人事の方々の実践知と照らし合わせて、日本の人事を進化させたいという野心で、この本を作っている。
既に数十時間、いろいろなテーマについて理論を調べ(てもらい)、議論をしてきた。今も熱海で5名の制作チームで缶詰合宿中。昨日だけでも10時間やった。今日もこれからやる。かなり頭が疲れる・・・。
まとまるのか心配なぐらい、現場の人事の方にとって、「意外な真実(不都合な真実と言ってもよいぐらいのこともある)」がたくさんあることがわかった。「これ、早く伝えないとヤバイよね・・・」と思った。
実践家が経験から得て自分の中で一般化した「持論」もとても重要だが、やはりそれはある特定の制約条件の下でしか成り立たないこともある。それどころか、単なる錯覚や誤解、思い込み、偏見、バイアスのこともある。
特に、気の早い(判断の早い)経営者は、すぐ何でも「過度の一般化」をするから(という過度の一般化をしてすみません)、変な持論を持っている人を数多く見てきた。
学者はそういう気の早い人たちに「待った」をかけてくれる。「本当にそれは真実なのか」と前向きな猜疑心を持って、厳密に検証してくれる。そして、検証に耐えたものだけを、「これは使ってもいい『理論』ですよ」とお墨付きで我々の前に提供してくれる。
人事にとって、この価値は無限だ。
人事は人の命を扱う仕事。ちょっとしたミスでも人の人生に大きな影響を与える仕事。だから、厳密に検証された理論をベースに、ものを考えるというのは悪くない。いや、義務と言ってもよいかもしれない。
それなのに、人事は誰でもなれてしまう。
医者は膨大な医学体系を学んで、国家試験に合格しないと人の身体を扱うことを許されない。それだけヤバイことをしているということだ。
考え方によっては同じぐらいヤバイことをしている人事は、持論で仕事をしていても、なんとかなってしまう。心理学とか組織論とか勉強していなくても、標準偏差とかクラスター分析とかわからなくても、文句を言われない。
いやいや、やっぱりそれではダメだろうと思い、世界中の学者たちが人生をかけて構築していってくれている理論の体系を人事の世界に広める活動をするのが自分のミッションの一つであると考えている。
僕は一実践家であり、学者ではないので、理論自体を作ることには貢献できないが、宣伝係ぐらいはできるかもしれないと思って、日本採用力検定協会や日本ビジネス心理学会の理事をやらせてもらっている。本やいろいろな記事を書いているのも、そういう気持ちからでもある。
ともかく、今までの日本の人事は、学者の価値を生かしきれていない。彼らが日々命を削って生み出している結晶である理論を、鉄火場に早く届けなくては。
焦る。