荀子 巻第二栄辱(栄誉と恥辱)篇第四 9
仁義徳行は常安の術なり。然れども必ずしも危うからずんばあらず。(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)
拙訳です。
『仁義徳行は常に安んずるための手段である。しかし、必ずしも危険に合わないというものではない。』
ややこしいのが「危うからずんばあらず」で、「危うからず」で危険ではない、その後の「ずんばあらず」でさらに否定しているので、危険ではないことはない、になるとしました。この部分、金谷先生の訳は「必ずしも危害にあわないとは限らない。」となっています。
汙まん(漢字は人偏に曼)突盗は常危の術なり。然れども未だ必ずしも安からずんばあらず。(同)
汙まん→汙まんという熟語は無いようです。汙は汚の別体なので汚と同じ意味です。まん(漢字は人偏に曼)は、「おかす。みだす。けがす。」という意味があり「漫」と同じだとありました。となると、「汚漫」という熟語は存在していて、けがす。けがれるという意味になります。
突盗→人の言うことをきかずに物を盗むこと。
拙訳です。
『勝手に物を盗み乱す行為は常に身を危険にさらすものである。しかし、絶対に安全ではないというものではない。』さらに進めると『悪行をしても安全でいられる場合もある。』ということです。
故に君子は其の常に道(由)るも小人は其の怪に道る。(同)
「其の常に道(由)る」が理解できなかったのですが、「常に道る」という所を最初の文を踏まえて持ってくると
『だから君子は、必ずしも安全ではないとは言え仁義徳行をもって安全度の高い道を行く』
となり意味が通じました。同様に「其の怪に道る」も前文を踏まえて
『小人は、ばれないかもしれないという一縷の望みにかけて汙まん突盗を行う。』
で意味が取れました。
荀子はホントに人を良く見ていますね~。
恥ずかしいかな『きっとうまくいくさ!』と根拠なしで一縷の望みにかけエイヤッとやってしまうことがあります(汚漫突盗ではありません、念のため…)。何であれキチンと仁義徳行の上に立ち判断・実行するようにしていかないといけないですね。今日もまた反省です。
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