クエッショニングな私が仕上がる過程の考察【LGBTQ】
前回の記事をすこーしだけ弄りました。
どうも、クエスチョニングって言いにくいし書きにくくない?と思っている葵井柳宇(あおいりゅう)です。
便宜上、ここではクエッショニングと書きます。
今回は、私が何故ゆらぎの中を歩み続けているのかの考察です。
私がクエッショニングを自称しだしたのはツイキャスというツールで知人のところに遊びに行ったり稀に放送したりとするようになってから。
それ用のTwitterアカウントを今見てきたら、開始が2017年11月となっていました。
ってことはそんぐらいから私はクエッショニングです!としています。
そのアカウントは今は鍵垢にしてネガティブ吐き出しとかに使ってますので、フォローはここか連携してあるアカウントにお願いします。
んで、私がクエッショニングなのはまぁ、ゆらぎっぱなしで何一つ胸張れるもんがないからってとこなんですが、じゃあ何故ゆらぎっぱなしかっつーお話です。
以前の記事で、戦隊モノの靴に憧れたよってお話をしました。
幼い頃から、お姉ちゃんなんだから・女の子なんだから、ということを頻繁に言われてきました。
食事=マナーの時間、でとても厳しく、幼い頃は食事の時間が嫌いでした。
貧乏ではありましたが、だからこその見栄みたいなものが強かったんだと思います。
そんな家族に、喜んで欲しかったし認められたかった。
姉らしく兄弟の面倒をみたり家事を手伝ったり、女の子らしく可愛いものを眺めていたりおままごとをしたりしていると、家族は喜ばずとも文句を言われることは減ったので、そうしてきました。
思春期になると男子は女子がいると話さない内容のものが出てきて、自然と女子といることになりました。
私としては、単純に『ハブられた』気分で毎度傷ついていた気がします。
いじめられっ子を経て、高校生になったときにはめでたくガッツリとメンヘラっておりましたねぇ(笑)
そんでコスプレをしてたんですね。
男性キャラクターの。
男装をしていると、足を開いて座っても「俺」と言っても気持ち悪がられなかった。
そんなことで欲求を満たしていたんだと思います。
そして、女性である利点をひたすら探しました。
レディースデーがあるとか、女子に触れても怒られないとか、BL(や、えっちな本)読んでても前かがみにならなくて済むとか。
そうして女性であることを受け入れようと努力してきたんだと思います。
そして、女性であることの楽しみも一生懸命探して、少しは見つけられたとも思います。
私なりに、受け入れられる範囲で受け入れられたんだと思うのです。
中学生でいじめを経験して、性がどうとかいう悩みよりも生きてていいのかな?みたいな悩みが多かったこと。
高校生でコスプレという逃げ口があって女性の利点探しをしたこと。
その後の人生を左右する思春期を、そうして過ごしてきたからこそ曖昧なままの私が出来上がったんじゃないかと思います。
ちなみに、Xジェンダーとも自称しないのは、私はやはり言いきれないからにつきます。
「どっちでもない!」「中性です!」
だなんて言いきれないもの。
こうして私とも言うし友達には俺と言うし、女装も男装もするし、どっちつかずである自信なんてのもないんです。
グラグラとゆらぐ性のことを、こうして今でも揺らいでて良いと自分を許せるのは、やっぱり「クエッショニングです!」って言うのが1番合ってる。
うん、そうだね、私は私を許したい。
だから私は、クエッショニングなんです。
↑最後にちょっぴり宣伝。
お友達が素敵な動画を作ってくれたので嬉しくて自慢です!(笑)
ね?ハンドメイドとか、すっごく女子っぽいこともするんですよ。(偏見かな?ごめんね)
私はこれでいい。
なんやねんお前!よぉわからんわ。
って言われたら、
正解!よぉわからんのが俺やで!
でいいんです。
今日もご飯が美味しいからいいんです。
そんじゃまたー。
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