比較資料の不足した美術館展示 ~森美術館「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」を観て~

※本文は授業レポートとして作成したものに加筆修正したものです。

作品展概略

本展は日本の建築が持つ特徴を9要素に分類し、それに沿った建築作品をそれぞれ設計資料・模型で展示を行ったものである。本展おいて提示された要素は、確かに展示資料と照らし合わせ納得しながら見ていけるものであった。展示資料にその要素は存在していたと言える。しかし、「建築の日本が持つ遺伝子である」と確信を持てる展示であったとは言えない。

文化比較をするということ

日本の建築、また日本人建築家の設計の特徴を論じるとき、ヨーロッパをはじめとする東アジア以外の地域とどう違うのかを踏まえた上で、更に「日本」と限定しているからには東アジアの他国ともどう違うのかを論じなくてはならない。
例えば、本展で示される最初の要素は「木造」である。しかし木造であることは日本建築の特徴であると共に、中国・朝鮮半島のような東アジアも歴史を共有するものである。その要素はどこから日本に伝達されてきてどのような変化を経たのか。どう日本特有のものとなったのか。歴史背景や比較背景が示されておらず、鑑賞者はそれが本当に日本独自の特徴なのかを裏付ける証拠を得ることができない。
セクション3で示される「屋根」という要素も疑問がある。西洋建築との比較で「日本建築の屋根は機能と象徴性がある」というのがセクションキャプションの記述の導入であり、その後日本人建築家の近代建築の特異な形の屋根を展示していた。では西洋建築の屋根は如何に機能性がなく没個性的だったのか。ザハ・ハディド建築の曲線的な屋根とどう異なるものなのか。

閉じこもった視点

近年、テレビを代表とするマスメディアで「日本の特徴を外国人に凄いと言わせる」バラエティ番組が多々ある。その他国からの承認を得なくてはならないメンタリティ批判を置いておくにして、その特徴は本当に日本独自のものか検証されていないこともある。例えば、厚切りジェイソン氏は日本の四季を褒めなくてはならないことを批判する。アメリカにもある四季を日本の誇りと捉えてしまうのは、他国と比較をしたときの日本を見詰め直せていないからであり、日本人の持つ日本像が閉じていることの表れだろう。森美術館の展示が全く裏付けをしていないとは思わない(思いたくない)が、裏付けの証拠が見えない展示を無批判に信用することは恐ろしいことであり、またその視点を提供する情報発信機関としての美術館として責任ある展示とは言い難い。

アートへの反映

私が専攻するアートにおいても他人事ではない。文化の中心地となっている欧米と比較して、東アジアという地域はどんな存在なのか。東アジアの他国と比較して、日本という国はどんな文化を持ってきたのか。そんな大きな枠組みを考えた上で「自分はどんな存在か」を問わなければアーティストは自己批判を経た作品制作に至れない。
「悪い場所」と称される日本アートシーンである。自身の視点に閉じ籠らない自己分析を通さなければ、日本のアートは(あるいはアートに限らず)ガラパゴスをやめられない(高説を垂れる自分も出来ていないことではあるのだが……)。

おまけ

全然関係ないが、投げ銭後のおまけ要素として、東京近郊にある自分の持つ広島流のおいしいお好み焼き屋情報を提供して行こうと思う。今回は第一回。

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