不安を煽るものから離れた方がいいな、と思った。
毎日、時々、異様に不安な気持ちが沸くときがある。以前は、そんなことなかったなあ・・・と思って最近なんでだろう?何が不安なんだろう?と考えていた。
以前と現在とでは全然生活も住んでいるところも違うけど、そのことが原因だとは思えず考えていてふと、思ったこと。
それは、以前に無かった習慣として、結構スマホやネットでニュースを読んだり、テレビがついていたりすることが増えたこと。テレビも、平日の午前中などにワイドショーなど、今までこれっぽっちも見たことのない番組がたまについていたりする。
もともとテレビが苦手なので無かったし、今もないけど、Macで見られるように設定してから、時々子供番組からの流れでチャンネルを変えるように。
特に今はコロ助の話題もあり、日々のニュースは悲惨なものばかり・・・SNSでは、政治や病気にまつわる都市伝説やら情報源の分からない裏情報みたいなものを信じている人や、その人の信念を毎日配信する人や(それは私もここでやっていることなのでその人の勝手だけど)、やたらポジティブ志向な人や・・・・。タイムラインなるものは恐ろしい。いつの間にか、やっぱり、影響を受けてしまう。
特に、テレビやネットニュースはかなりネガティブなもので溢れている。ニュースも、コメントなどが下に出てくるので自然と目を通すと、やたら炎上していたり、もうみんな言いたい放題だ。
ニュースばかり見ているとだんだん気が滅入ってくる。これって立派な洗脳ではないか。
note も、もちろん、自分の主義主張を書く場である。あるけど、それはタイムラインのように自然に(かつ強制的に)流れてくるものではなく、少なくともタイトルを見て自分で取捨選択できる。そこは少し従来のSNSとは違っているな、とも思う。インプットではなくてアウトプットの要素の方が大きい。
コロ助以降、世界にどんなことが起きているか、ニュースではほとんど追えていないと思う。毎日の数字や、ネガティブなニュースとインタビューだけでは実際世界がどう動いているか分からない。もちろん、移動が制限されているからというのもあるかもしれないけど、ニュースは本当に、恣意的か、もしくは、今起こっている世界の多様性に全然ついて行っていない気がする。それよりも、noteでいろんな人の記事をサラーっと読んだだけでも、本当にそれぞれの・・・いろんなものが垣間見える。リアリティ。
noteを絶賛するというより、他のブログサービスとかでも大抵同じようなことが言えるのかも。むしろ誰かの個人的でほとんど社会には影響ないように思える些細なことほど、リアリティをもって、社会を表しているというパラドクスなのか。
テレビはあまり見ないようにしよう。ニュースもさらっと、以前のように流すことにしよう・・・
あまり、自分にとって良い影響を及ぼすと思えない。
そんなことならもっと意味のある、好きなものを読むとか見るとか、例えばソーイングでもしてものを作るとかした方がよほどいいな・・・