変化のための方法論〜やりたいことを見つけるために

 この記事は、昨日の記事の続きですが、単独でも読めます。:『プレアデス 人類と惑星の物語』アモラ・クァン・イン著 読みながらおもうこと 

 先日友人とのLINEですごく興味深い会話があって、そこからいくつか考えることがあった。

 それは、やりたいことの見つけ方を見つけた?。みたいなはなし。(ややこしい笑)

当たり前のことを疑う:消去法的アプローチ

 ”ステイホーム”をうまく活用して、色々と新しい試みを始めている前職の同僚の友人がいる。それを見て、やりたいことを行動できるところまで落とし込めてトライできることはすごいことだと思ったので、彼女にそう言ったら、こんな答えが。

当たり前、フツー、一般的に、仕事だから、みんながやっているから、学生のためだから…
みたいな動機でやってることは、気づいたら「それ自分がやりたくてやってんの?私は楽しいの?」って、ことごとく疑うことにしています(笑)
すると、ほとんどが、自分がやりたくてやってる行動じゃないことがわかります。ビビります。
でもまだ、疑わずにやってることだらけで…毎日ビックリしてるしウケてます(笑)

 これにはすごく共感できて、なおかつ目から鱗だった。

 そう、考えてみれば、私も無意識にこういう消去法をやっているなと気がついたけど、こんなふうに意識的に整理するというのは。

 たくさん抱えきれないほどの荷物を持っていたら、本当に手に入れたいものがあっても、持つことができない。もはやそれを抱えていることさえ忘れてしまっているものを、まずは軽くすることから始めるということ。
 そういえば、彼女の得意なことの一つに掃除や整理があって、本当にその技術は高いのだけど、それと通ずるように思う。

 当たり前になってしまっている行動。それを支えている当たり前になってしまっている信念。何かに対する価値観もしくは定義といってもいいと思うけれど、その多くは外側からやってきたものだ。

 自分の持っている価値観がどこからきたのか、それが本当に自分が価値を置いているものなのか?なんて、考える暇なんて、大抵の人にはない。けれど、今回の社会的自粛の影響で、非日常となったいま、そういったことに目を向けるってことを余儀なくされている人も多いと思う。

 意識的に、その信念を見直すことができたら、やりたいことが見えてくるのかな。

 その話を聞いてふと思い出したのが、この本(『プレアデス 人類と惑星の物語』)に書かれていた詩だった。

私は無理やり合わせようという努力を始めた
学校で私が学んだこと
それは美は排他的で、
完璧な肉体と
完璧な容貌と
完璧な衣装と
完璧な髪を持つ
選ばれた数人だけが身につけるものだということ
(中略)
美よ、お前は
醜い言葉となり
自らの仲間を
狭い心の暗い片隅へと追いやって
恥じ入らせて
ひとりぼっちにするのだ

長年わたしは償うことや
より多くを与えることや
一生懸命働くことや
よく耳を傾けて思いやることや
もっと賢くなること、
そしてわたし自身の外側にある
全ての美しいものたちに感謝することを
教わってきた。

わたしは幸福になることを期待もせず
ただ奉仕するだけで
じゅうぶんだった
ある日、聴き慣れない刺激的な力強い声が
聞こえてくるまでは

「あなたはなれるだけ最高になる価値があります
あなたの存在そのものが美です
あなたこそ
あなた自身が探し求めているものなのです」
『プレアデス 人類と惑星の物語』p.90

見えていないものを見るために:別の視点から見る

 この本の引用を彼女に知らせたら、どうやってそんな本を見つけてくるの?というような話になった。(最近の、私なりの本の見つけ方については前の記事に書いた)

 私にとって本は・・・と考えたとき。彼女の方法は、当たり前の行動を疑うということだったけれど、そのために私の場合は、無意識的に別の視点から見る、ということをやっていることに気がついた。
 この三次元世界では、別の視点から見る方法は、時間的な隔たりか、空間的な隔たりの二つかな、と思う(他にもあるかもしれないけど)

 例えば、遥か昔の物語(本)を読む、遠い国の物語を読む、遠い未来の物語を読む、実際に遠くへ行く、知らない場所へ行く、住む場所を変える、環境を変えるなど。自分と全然違う世界に生きている人の話。全然違う価値観や社会を知ること。もちろん自分が実際どこかへ行くのが一番良いけど、動けない時、一番手っ取り早いのは本だと思う。

 そしてそれは歴史の一番面白い点でもある。(以前にも書いたけれど大学以前に習う「歴史」というのは単なる時系列の記憶なので全く別の学問だし私にはもっとも苦手で退屈だ。)
 常に、歴史(時間的隔たり)のなかに新しい”今の価値”を見つけようとすること。真っ暗なところに光を灯して今まで見えなかったものを見ようとして、無限の解釈を前に途方に暮れる。

 また、ここでランダムに過去の色々についていちいち思い出したりしていることもそれに当てはまる。過去の自分、過去の価値観、それがどういう結果になって今ここにいるのか・・・とか。

 なんだか言葉足らずで言い切った感があまりないけどいつもの通り殴り書き・・・

 不要になった荷物を下ろして、違う場所から自分を眺めて・・・それだけで、じゃあ、「明日から100%好きなことを生きる!」なんて単純には行かないかもしれない。けど、本当の自分を思い出すための大切な一歩だよね、とおもっている。



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