短編小説「過剰幸福性パラノイア」
「次の方どうぞ」精神科医がそう呼ぶと、若い男が入ってきた。男の見た目はキリッとした目にすっとした高い鼻、頬の血色も良く誰が見ても健康そのものに見える色男であった。
「今日はどうされました」
医者がそう聞くと男は深刻そうな顔で答えた。
「えっと…何と言えばいいのか…」
「いえ、大丈夫ですよ。自分の悩みがすぐ言語化できる位であれば、そもそも病院に来る必要も無いでしょう。そういえばあなたは今日が初診ですよね。精神科では初診の患者さんには今までの人生を振り返ってもらいながら診断していくのが慣例なので、色々質問させてもらいますね。そうですね、まず幼少期に何か自分の後の人格に影響を及ぼすような事件とかありましたか?」
「いえ、目立ったことは無いですね」
「例えば両親の仲があまりよろしくないとか」
「いや、今も昔もラブラブですね」
「幼少期に何か自分と近しい人が亡くなったりとかは?」
「うーん、無いですね」
「そうですか、では思春期に何かコンプレックスを抱えるような事はありませんでしたか?」
「いや中学高校ともに楽しく過ごしてましたよ」
「その辺の時期に挫折とか経験しましたか?」
「高校はいわゆる進学校に行ったので、まあ確かに自分より凄い人とたくさん出会いましたがそれはそういうものだろうと受け入れて自分は自分なりに頑張るだけだと思って日々過ごしてましたね。」
「立派じゃないですか。というか今のところ何もかも順調に行っているように見えるのですが…あっもしかして大学受験で失敗したとか…」
「いや、ギリギリですが現役で第一志望のT大に入学できました」
「私なんて3浪で医学部に滑り込んだのに…なんだか私の方が病んできましたよ…あ、もしかして勉強とかは得意でも恋愛関係とか苦手なタイプですか?大人向けの恋愛漫画にありがちですよね。イケメンで頭もいいけど恋愛は苦手な人」
「そんなにモテてはなかったですけど、付き合っていたのは、高校生の時の2人と大学院時代の同級生くらいですかね。3年前に大学院時代の同級生と結婚しました」
「はぁ…私なんて最近妻との仲が良くなく魔が差して友達の誘いで少しえっちな女の子がいるバーに行ったらついに、妻は離婚届をちらつかせて来ましたよ。」
「まあどちらともにも言い分がある訳ですし、あえて一旦距離を置くことも大事だと思いますよ。もし何かあれば私を頼って下さい。私の職業は弁護士なので少しはお役に立てるかと」
「何で医者の私が患者にカウンセリングされているんですか。というかあなた本当に悩みあるんですか?なんか新手の嫌がらせに見えてきましたよ。」医者は看護師に向かって「次の患者さん」と言うと、男は焦って
「いやちょっと待って下さいよ。そこが問題なのです。私の人生上手く行き過ぎなんです。上手く行き過ぎるとね、怖くなってくるんです。この世界は自分の為に造られたんじゃないかとか普通の人からしたら頭がおかしく思われる様なことが本当のことのように思えてくるんです。後、不幸になっている人を見ると自分だけこんな幸せで良いのかという罪悪感に苦しめられるのです。」
「なるほど、確かにきっかけは変ですがそれは強迫性障害というものでしょう。
あなたはそのせいで、仕事や私生活が回らなくなったりしましたか?」
「職場に迷惑をかけるわけにはいかないので仕事は休みませんし、休日には普通にデートに行ったりしますけど…」
「健康そのものじゃないですか。もういいです、世の中人生が上手くいかなくて、病んでしまった人がごまんといるのになんて贅沢な人なんだ。あなたは黙ってそのまま幸せな人生を過ごしといて下さい」
「本当に悩んでいるんですよ。本当に先生にしか相談できないんです。家族や友人にはこんなこと相談できないんです。お願いします」
「仕方のない人ですね。では科学の力を使いましょう。日頃あったいい事や感謝をしたいことを書き出すと脳がポジティブになり幸福度が上がるという研究データがあります。これを逆に応用してあなたは毎日、日頃あった悪い事や他人の悪口をひたすら書き出して下さい。そうすれば脳が悪い事をよく認識するようになり、あなたは晴れて不幸な人になれるはずです。」
「なるほどそれは合理的ですね。さっそく家に帰ってやってみましょう。」
そういうと男は颯爽と病院が去っていった。それから2週間後男はまた病院を訪ねてきた。
「どうでした?効果は」医者が尋ねると
「いやダメでした。心を鬼にして人の悪口や、ついてなかった事を書き出しましたが1つ悪い事を思い出すたびに5個は良かった事や感謝したい事が浮かんで来るんです。もう僕はこのまま幸福に生きていくしかないのかもしれません…」
「では僕があなたを不幸にしてあげましょう。あなたは『過剰幸福性パラノイア』という病気です。私が今勝手に名前をつけて診断しました。あなたはあなた以外にかかったことのない病気になったのですから不幸ですよね?」
「そうですね。確かに、自分しかかかったことのない病気になったのだから僕は不幸な人間なんだ!!ありがとう先生。自分も普通の人間なんだと感じられて、なんだが気が楽になりました。なんだか体も軽くなったような…やっぱり僕は運がいいな」そういうと男は医者に一礼して軽やかな足取りで去っていった。
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