歴史は繰り返す
「歴史に学べ」という言葉がある。また「歴史は繰り返す」とも言われる。
実際、これまで半世紀以上生きてきて、「なるほどそうだな」と思うような経験を何度かして来た。
そして、今、また大きな「繰り返し」に我々はさしかかりつつあるのかもしれないとも思っている。
先日、「映像の世紀バタフライ・エフェクト」の「ワイマール ヒトラーを生んだ自由の国」を見た。
「世界で最も民主的な憲法」と呼ばれたワイマール憲法、ワイマール体制が、ナチスやヒトラーを生み出したことについては、昔から気になっていて、いろいろと何度も調べたりもした。それで「歴史の流れ」自体は頭に入ったのだが、どうしても今ひとつ腑に落ちない感じもしていた。「なるほど、そうか」と思えなかった。
それが、この番組を見て、やや納得が入った。
第一次大戦後、ドイツは天文学的な賠償金請求とそれに伴うハイパーインフレに喘いでいた、と思い込んでいた。しかし、実態は少し違ったようだ。確かにそういう時期もあったのだが、アメリカ資本の導入が功を奏して、1920年代のドイツは、思いの外、自由を満喫していたようだ。その中で、現代のLGBTQを先取りするようなジェンダーフリーの風潮もあったらしい。そのあたりの事情は、日本の大正デモクラシーに似てるような気もした。
だから、ドイツの窮状の原因は、直接的には世界恐慌によるアメリカ資本の引き揚げにあったようだ。
ワイマール憲法制定から10年、その中で、ドイツ国民の中には「行きすぎた自由と決められない民主主義」に対する不満と怨嗟が育ちつつあったらしい。
失業者が600万人も発生する中で、精神科クリニックにも人々が押し寄せた。
元々、ゲイやレズビアンたちの相談にのるために精神科クリニックを開設していた精神科医のフランツ・アレクサンダーが以下のように述べている。
これを聞いて、私は正直ぞっとした。まさに「歴史が繰り返している」と思った。
これは、まさに、現在のリベラルとグローバリズムへの反感と瓜二つではないか。ちょっと話ができすぎてやしないか?と疑いたくなるくらいだ。
そして、今、フランスを始め、ヨーロッパやアメリカで起こりつつあるポピュリズムの台頭を想起せざるを得ない。
「自由からの逃走」か‥‥。
これは確かに似ている。似すぎている。
だからと言って、すわ、ルペンやトランプがヒトラーになるぞ!と予言するのは早計だろう。なるかもしれないし、ならないかもしれない。結局、その時にならないとわからないのだ。
そして、わかった時は常に遅すぎる。
これも、厳然とした「歴史の教訓」である。