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You Know My Name【戯曲】
【これは、劇団「かんから館」が、2023年6月に上演した演劇の台本です】
いわゆる「自分探し」の話ですが、「私が私である」とか「あなたがあなたである」というのは、そんなに確かなことなのかな? みたいな話です。
〈登場人物〉 父 夫 妻
1
スポットライトに男(父)が浮かび上がる。
赤いヘルメットに「叛」の字。丸いサングラス。プラスチック・オノ・バンドのジョン・レノンの出で立ち。メガホンマイクを持っている。
父 本会場に結集した労働者、学生の諸君。今こそ我々は米帝、日帝の策動に対して満身の怒りを以て立ち上がらなければならない。彼らは国際協調、平和主義を僭称し、それをあたかも免罪符として、その軍拡の野望を絶叫し始めたのである。彼らはもはや、その凶悪なる策動を微塵も隠そうとさえしない。これを人民への愚弄、挑戦と呼ばずして何と言おうか。敵がそこまで我々を嘲弄するのなら、我々はそれに対して正義の鉄槌を以て応えるのみである。安保粉砕! 闘争貫徹! 我々は闘うぞー! 最後の最後まで闘うぞー!
舞台全体に明かりがつく。
下手から妻が出て来る。
妻 はいはい、お父さん、そろそろおしまいにして下さい。ごはんにしますから。
父 あ。‥‥ああ、もうそんな時間か?
妻 はい。‥‥だから、片付けて下さいね。
父 あ、ああ。
父、ヘルメットやメガホンを妻に渡す。
妻 ちゃんと、手を洗っといて下さいよ。
妻、話しながら下手にはける。
父 ああ‥‥そやな。
父、手を見つめながら上手のドアを開けようとする。
入れ替わりにドアから夫が入って来る。スマホでゲームをやりながら。
父 おい。
夫、気にせずそのままイスに座る。
父 おい。
夫 ‥‥‥。
父 おいって。
夫 ‥‥‥。え? オレ?
父 そや。
夫 ‥‥何?(ゲームをやり続けてる)
父 何って‥‥何してんねん?
夫 何って‥‥ゲーム。‥‥見てわかんない?
父 いや、だから‥‥メシやぞ。晩ご飯。
夫 ‥‥うん。
父 いや、そやからな‥‥メシ食う時ぐらい‥‥。
夫 ‥‥‥。
妻が食器を持って戻って来る。
妻 お父さん、手は?
父 あ、いや、だから、今から行こうと思って‥‥。
妻 もう、さっさとして下さいよ。
父 ああ、ごめん。
父、ドアの向こうにはける。
妻、夫からスマホを取り上げる。
夫 あ。何すんだよ!
妻 はいはい、あなたも運びなさいよ。
夫 ちょっと、今、大事な時だった‥‥。
妻 ほら、早く!
夫 ‥‥‥。
夫、しぶしぶ立ち上がって下手へはける。
夫婦で食事の準備をする。
父が戻って来る。
父 あのな。
妻 ‥‥‥。(食事の準備)
父 あのな、チヒロさん。
妻 え? ‥‥何ですか?
父 あのな、飛沫感染に比べて接触感染の割合はどのくらいか知ってる?
妻 さあ? 知りません。
父 何と一万分の一以下なんやて。
妻 へぇ。
父 そやのに、未だに店とかの入り口にアルコールとか置いてあるやん?
妻 はい。
父 まあ、さすがにテーブルやイスをアルコールで拭いてる店はほとんどなくなったけどな。
妻 ‥‥‥。
父 まあ、初めの頃は、お札にはウイルスが数週間生き続けるとか言って、お札を袋に入れたり、硬貨をアルコールで拭いたりしてたやんか。
妻 ああ、ありましたね、そういうの。
父 こないだ散髪屋に行ったら、まだ硬貨をビニール袋に入れてたんや。
妻 へぇ。
父 ‥‥‥。
妻 はい、できました。座って下さいよ。
父 あ、ああ。
全員、イスに座る。
妻 ‥‥それで、お父さん。
父 え?
妻 何をおっしゃりたいんですか?
父 え? いや‥‥だから、手を洗うとか‥‥。
妻 え? 食事の前、手を洗わなかったんですか? お父さんは。
父 いや‥‥いや、そういうわけでもないけど。
妻 そうですか。‥‥そりゃ、そうですよねぇ。
父 ああ‥‥うん。
妻 はい。では、いただきます。
父・夫 いただきます。
全員、食事を始める。
夫がスマホを取り出す。
妻 やめてよ。
夫 え?
妻 食事中、ゲームはやめて。
夫 別にいいじゃん。
父 そや。食事中ぐらいゲームはするな。
夫 何だよ? それ?
父 いや、だから‥‥とにかく、メシに集中しろよ。
夫 メシに集中って、わけわかんねーよ。
父 わけわかるわ。
夫 どうわかんのさ?
父 いや‥‥だから、ほら、気が散ってこぼしたりするやろ?
夫 ‥‥パパにそんなことは言われたくないな。
父 え?
夫 新聞読んでたり、ナイター見たりして、ボロボロこぼしてママに怒られてたじゃん。
父 あ。
妻 ‥‥やっぱりねぇ。
夫 やっぱりって何だよ?
妻 遺伝?
夫 そんなの遺伝するかよ?
妻 ていうか、やっぱり子供の時のしつけが大事なのよねぇ。
夫 何だよ、それ?
妻 子供は親の背中を見て育つって言うし。
父 ‥‥‥。
夫 何だよ、それ? そんなの関係ねーよ。オレはオレだし、パパとは関係ねーよ。
父 (小さい声で)それは‥‥そうだ。
妻 関係あるわよ。大いに関係あるわ。
夫 え? 何?
妻 ユウイチだってずーっとゲームばっかりしてたじゃない?
夫 え? 何でユウイチの話になるんだよ?
妻 だから、しつけの話でしょ?
夫 しつけだったら‥‥お前にも責任あんじゃん。
妻 だから、いつも叱ってたでしょ?
夫 ‥‥‥。
妻 でも、いくら言っても、あなたがそんなんだから‥‥。
夫 そんなんって、何だよ?
妻 ゲームよ、ゲーム。
夫 大人と子供じゃ立場が違うんだよ。
妻 何が違うの?
夫 だから‥‥オレは仕事で疲れて、息抜きなんだからさ。
妻 何、それ? だったら、子供も、勉強で疲れてるって言うわよ。
夫 仕事と勉強は違うだろ? 全然。
妻 何が違うの?
夫 それは‥‥違うんだよ。
父 まあまあ。
夫・妻 パパ(お父さん)は黙ってて(下さい)。
父 ‥‥はい。
しばらく、黙って食事。
妻 ‥‥ずっと思ってたのよね。
父・夫 ‥‥‥。
妻 デートの時も、ずっとゲームしてたし。
夫 え?
妻 でも、友達に聞いても、「男はそんなのしかいないわよ」って言うし‥‥。
夫 おい、いつの話してんだよ?
妻 昔々の話。‥‥そして、今の話。
夫 おい。しまいに怒るぞ。
妻 怒る? 怒ってるのはこっちなんですけどね。‥‥ずーっと怒ってるんですけど。
夫 ずーっと?
妻 二十年? 二十五年?
夫 おい!
父 まあまあ。
夫・妻 パパ(お父さん)は黙ってて(下さい)。
父 ‥‥はい。
しばらく、黙って食事。
夫 ごちそうさま。
夫、スマホを取り出す。
妻 また。
夫 食べ終わったから、いいじゃん。
妻 自分の食器は、自分で片付ける。
夫 え。
妻 ‥‥‥。
夫、立ち上がって片手でゲームをしながら食器を持つ。(意地になってる)
妻 何やってんの? 落とすわよ。
夫 ‥‥‥。
夫、下手に去る。
妻 ‥‥もう。
父 ‥‥‥。
妻 ‥‥ガキ。
父 ‥‥‥。
しばし、食事。
父 ごちそうさま。(と、食器を手に取る)
妻 あ、そのままにしておいて下さい。
父 いや、自分で片付けるから。
妻 お父さんはいいですから。
父 いや、しかし‥‥。
妻 いいですから!
父 あ。‥‥そう?
妻 はい。
父 ‥‥‥。すまないねえ。
妻 ‥‥‥。いや、そういうんじゃなくて。
父 え? そういうんじゃないって?
妻 ‥‥世間の目ってあるんですよ。あそこの家は老人を虐待してるとか。‥‥いや、別にうちが言われてるわけじゃないんですけどね。
父 へぇ‥‥。でも、誰が見てるんだろ? 家の中のことなのに。
妻 さあ?
父 ‥‥まさか、監視カメラとか盗聴器とか?
妻 まさか。‥‥芸能人でもセレブでもないのに。
父 だよなあ。‥‥何か、どんどん窮屈になって来てるよなあ。
妻 ‥‥‥。
父 ‥‥ちょっと恐い感じだよな。
妻 恐いって? 何です?
父 いや、だから、世の中っていうか、日本っていうか。
妻 そうですか? そんな大げさに考えなくても‥‥。
父 え‥‥そうかなあ?
妻 はい。
父 ふーん。そっか。
妻 ‥‥‥。ごちそうさまでした。
妻、自分と父の食器を片付け始める。
父 あの、チヒロさん。
妻 何です?
父 さっき、すまないねえって言っただろ? あんたに。
妻 そうでした?
父 うん、言ったんだよ。
妻 はあ。
父 あれ、そういう意味じゃなかったんだよ。
妻 え?
父 だから、食器の話じゃなかったんだ。
妻 ああ、そうなんですか? へぇ。
妻、食器を持って下手に去る。
父 あれはね、実はね、
妻、完全に消える。
父 ‥‥迷惑かけてすまないね。子供のしつけができてなくて‥‥とか。
‥‥うん。‥‥とかとかね。‥‥うん。
父、前を見つめてしばらくボーッとしている。
やがて、客席の方に語り始める。
父 あ。‥‥やっぱり困ったはります? ‥‥笑ってええのんか、あかんのか? ようわかりませんよねえ。こういうの。そら、そうですよねえ。「コメディなんかな? ここ、笑ったらええのかな?」とか思てたら、実は思いっきりシリアスなシーンやったりして。ほら、お芝居って、そういうややこしい演出とかやらはるから、かなんですよねえ。テレビやったらそういう心配ありませんやん。ほれ、テレビでもしそういうのやったら、「わけのわからん番組作んな」って、もう絶対苦情の電話とか鳴りまくったりて‥‥いや、今はもう電話はしーひんですね。そしたら‥‥ええっと‥‥ほれ、あれですわ。ツイッターとかネットとかに、ボロクソ書かれて、「大炎上」!ですよね。「こんなドラマやめてまえ」とか「死ね」とか「殺すぞ」とか‥‥まあ、そうなるに決まってます。でも、なんでか知らんけど、お芝居ちゅうのは不思議な世界で、そうはなりませんわな。お客さんも、そういうややこしいお約束?みたいなんがわかってんと恥ずかしいみたいな。マニアのプレッシャーとか、演劇ファンのたしなみ?みたいなん、何かそういうのがありますやん? そやから、変なとこでうっかり笑たりしたら、「ああ、あの人、全然わかってへんなあ」とか思われてしまうちゃうやろか? とか、いろいろ気ー使わなあかんし。なかなか大変ですわ。これって、あれに似てますねえ。ほれ、歌舞伎で、素人さんが「高島屋!」とかスカタンに掛け声をかけたら顰蹙買ってしまうみたいな。ああいう感じですよね。ほんま、もっと気楽に見られるようにしてくれたらええのにねえ。どうしても、何か「私らエンタメと違ごてアートですさかいに。」みたいな、何かそん
な空気みたいなんありますやん? やってる人もお客さんにも。そやから、どうしても「演劇はめんどくさい」とか「難しい」とか思われてしもて、敷居が高いっちゅうんか、親しい友達なんかでも、なかなかチケット買うてくれへんし。これがバンドとかやったら、「今度ライブ出るし、来てな」「うん、行くわ」って気楽に売れるのにねえ。
妻が出て来る。
妻 お父さん。
父 え?
妻 誰にしゃべってるんですか?
父 え? いや、そやから。
妻 もしかして、テレビですか?
父 え。
妻 テレビにしゃべってもダメですよ。テレビの人はお父さん見に来てるんじゃないんですから。
父 ‥‥‥。
妻 テレビの人が見られてる側の人なんですから。
父 いや、だから。
妻 わかってます?
父 わ、わかってるよ。それぐらい。
妻 ほんとに?
父 あたりまえやろ? あれはテレビで、こっちがオレ。そのぐらいわかってるって。そんなんわからんかったら、もうボケ老人やて。
妻 ああ、そうですか。それはよかった。
妻、リモコンでテレビを消す。
父 あー。
妻 もう飲まれました? 食後のお薬。
父 あ、ああ‥‥。
妻 え? ‥‥お薬ですよ。
父 いや、今から飲もうかなって‥‥。
妻 ああ、そうなんですか。じゃ、忘れないうちに早く飲んで下さいね。
父 あ、ああ。
しばしの間。
妻 いや、だからお薬。
父 わかってるって。飲むし。
妻 ‥‥‥。
しばしの間。
妻 ‥‥お願いしますよ。
父 わかってる、わかってる。今、飲みに行くから。
妻 じゃ。(行って下さい)
父 うん。すぐ行くし。
妻 ほんと、お願いしますよ。
父 ああ、わかってるって。
妻、下手に去りかけて、父を見る。
父は動く様子がない。
妻 だから、お父さん。
父 わかってるって。
妻、去る。
父、しばしボーッとしてる。
父 ‥‥はあ。(とゆっくりと立ち上がる)
♪遠い世界に 旅に出ようか
それとも赤い風船に乗って 雲の上を歩いてみようか
太陽の光で虹を作った お空の風をもらって帰って
暗い霧を吹き飛ばしたい
歌いながら、父、上手に去る。
入れ替わりに変な声(合成音声?)が聞こえて来る。
途中から中華風の音楽も鳴り始める。
声 腰を右に回しながら右手が上でボール。前足を引き寄せて下さい。腰を左方向に回しながら斜め方向にかかとから着地します。ゆっくり分け開いて野馬分?(イエマーフェンゾン)です。胸の前でボールを抱えて、後ろ足を引き寄せて、腰を右へ回します。斜め右方向にゆっくりかかとから着地。後ろ足で押しましょう。ゆっくり分け開いて、二回目の野馬分?(イエマーフェンゾン)が完成します。次、単鞭(タンビェン)です。前の手首を返して、手のひらで軽く押して行きながら軽くつまんで、下の手をゆっくり持ち上げましょう。後ろ足をゆっくり引き寄せます。腰を左方向に回して、かかとから柔らかく着地しましょう。小指側でゆっくり押し出して単鞭(タンビェン)。‥‥‥
夫が、下手からゴーグルをつけて登場。太極拳みたいなのをしている。
しばらくすると、妻も下手から太極拳みたいなのをしながら出てくる。(アイマッサージャーをつけている)
二人で、へんてこな太極拳もどきがしばらく続く。
妻 あのさ。
夫 何?
妻 前からちょっと気になってるんだけど‥‥。
夫 だから、何?
妻 お父さん。
夫 ああ。
妻 大丈夫なのかな?
夫 大丈夫って? 何が?
妻 え? 思わないの?
夫 え?
妻 自分の親なのに。
夫 ‥‥あのさ。
妻 え?
夫 ずっと前から思ってたんだけどさ。
妻 え? 何の話?
夫 お前、何かよくわかんないんだよ。
妻 わかんない?って、何?
夫 だから、話がさ。
妻 話?って何?
夫 何が言いたいのかさ。
妻 ああ‥‥そういうこと? もう別れたいとか?
夫 いや、だから、それだよ。それ。
妻 それって何よ?
夫 ほら、文法?とかあんじゃん。日本語にはさ。
妻 何言い出すの? 突然。
夫 だから、あるんだよ。主語とか述語とか。目的語とか。
妻 何言ってんの? 全然わかんない。
夫 わかんないのは、お前だよ。
妻 はあ?
夫 いや、だからさ、何か話が飛んじゃうんだよ、いつも。‥‥あ、そうそう、論理の飛躍ってやつ?
妻 話が飛ぶ?
夫 結局、何が言いたいの? 言いたかったの?ってさ。しょっちゅう思ってて。
妻 ああ、それで別れ話なわけ?
夫 もう! それが飛躍なんだよ!
妻 えー。‥‥そんなの怒る所じゃないでしょ?
夫 もう。‥‥もういいよ。やめた。
妻 何よ、それ? あんたの話の方がよっぽどわけわかめじゃん。
夫 ごめん。オレが悪かった。‥‥これでいいんだろ?
妻 え? じゃあ、別れないってこと?
夫 そんな話はしてないから! 初めっから!
妻 ふーん。
しばしの間。
妻 ‥‥それで。
夫 え?
妻 何の話だっけ?
夫 そんなの知るかよ。お前から話して来たんだろ?
妻 いや、違うわよ。あなたが言い出したのよ。
夫 違うって。また、わけのわかんないこと言って。
妻 えーー?
夫 ‥‥ああ、わかったよ。ごめん。ごめん。ごめん。オレが悪かった。
妻 それ言ったら許されるとか、思ってない?
夫 違うよ。
妻 ごめんで済んだら警察はいらんで。
夫 うるさいな。
夫、顔をそむける。
しばしの間。
妻 あのさ。
夫 ‥‥‥。
妻 あのさあ。
夫 ‥‥‥。
妻 ‥‥ひょっとして、すねてんの?
夫 ‥‥すねてなんか‥‥ないよ。
妻 ふーん。
夫 ‥‥で、何?
妻 何でそんなの着けてんの?
夫 え?
妻 その、宇宙人みたいなの。
夫 宇宙人? ‥‥ああ、ゴーグル?
妻 前、見えないじゃん。そんなの着けてたら。
夫 ふふふ。
妻 何よ?
夫 ふふふふ。愚かな。
妻 だから、何よ? 気持ち悪いな。
夫 見えるの。
妻 え?
夫 だから、見えるんだよ。前。
妻 ウソ!
夫 ほんと。
妻 何で見えんのよ? え? どうなってんの?
妻、夫のゴーグルをさわりまくる。
夫 おい。おい、よせ。やめろよ。
妻 穴とか空いてないみたいね。‥‥何で見えるの?
夫 これはね、MRゴーグルって言ってね、カメラが付いてんの。
妻 カメラ?
夫 それでバーチャル映像と合成してだな。‥‥ウワサのメタバースってやつだ。
妻 何か知らないけど、高そうね、それ。‥‥いくら?
夫 うーん、一番安いとこを探したから‥‥。
妻 だから、おいくらなんですか?
夫 ご‥‥万円‥‥ぐらい?
妻 五万円!
夫 いや、だから、普通はもっと高いんだから。
妻 わかりました。別れましょう。今すぐ離婚しましょう。そんなヘンテコで金食い虫の宇宙人と一緒に生活するのは、金輪際ごめんです。
夫 おいおい。
妻 私が間違っていました。もっと早くに気づくべきだったんです。少なくとも、二十年、いや二十五年前までに。
夫 おい、ふざけんなよ。
妻 ふざけてなんかいませんから。私は正気で本気ですから。さあ、離婚届をもらいに行きましょう。
夫 おい! いい加減にしろ!
妻 わあ。今度は、アレですか? 恫喝ですか? 大きな声を出したら女は黙るとか、そんなアナクロな信仰、どこで覚えて来たんですか?
夫 もう! ああ言えばこう言うし‥‥。
妻 もう限界です、私、こんな気持ち悪いヘンテコメガネを着けてるアナクロDV宇宙人とは、一分一秒一緒に暮らせません!
夫 だったらさ、そのゴーグルは何だよ?
妻 は?
夫 お前のその黒いゴーグルは?
妻 ゴーグル?
夫 自分もそんなの着けてて、よくもまあペラペラと言えるよなあ。変態メガネとか宇宙人とか。
妻 変態メガネなんて言ってません。
夫 それは、まあいいんだけど。
妻 よくありません。言葉は正確に言って下さい。
夫 ああ、もう! わかったよ。訂正するよ。確かに変態メガネは言ってない。
妻 あと、もう一つ。
夫 え? もう一つって何?
妻 これは、ゴーグルなんかじゃありませんのことですわよ。
夫 え? (妻のアイマッサージャーをしげしげと見て)‥‥ゴーグルじゃん?
妻 違います。これは、アイマッサージャーです。
夫 アイマッサージャー? 何それ?
妻 読んで字のごとく、アイをマッサージするマシンです。
夫 はあ? ‥‥あの、ちょっと意味がわからないんですけど。
妻 ホット・アイマスクってご存知ですか?
夫 ああ‥‥何となく。目をあっためるやつでしょ? 目隠しみたいな。
妻 イエス イティ イズ。そのホット・アイマスクにマッサージ機能とかいろいろ付けてアップデートしたのがアイマッサージャーでーす。ドゥ ユー アンダスタン?
夫 イ、イエッサー、マダム。
妻 Orulok, hogy megertetted.
夫 え? 何?
妻 Orulok, hogy megertetted. それはよかったわって、ハンガリー語。
夫 何でハンガリー語?
妻 あら? 忘れたの? 私、若い頃、バックパッカーだったのよ。
夫 ああ、それは一応知ってるけど。‥‥そんなとこまで行ってたんだ。
妻 Nos, mert sok helyen jartam.
夫 へぇ‥‥。ハンガリーねぇ‥‥。どのくらいいたの?
妻 一年半ぐらいかな?
夫 一年半でしゃべれるようになるの?
妻 うん。まあ、日常会話ぐらいなら。
夫 へぇ‥‥。ハンガリーかあ‥‥。ハンガリーってどこだっけ?
妻 イタリアの隣の隣。
夫 え? イタリアの‥‥?
妻 セルビアの上。スロバキアの下。
夫 ああ、セルビアね。‥‥セルビア?
妻 まあ‥‥どこだっていいじゃん。
夫 ああ‥‥。
しばしの間。
妻 ‥‥で。
夫 ん?
妻 話、思いっきり戻しちゃうけどさ。
夫 話?
妻 こんなコントみたいなのやっててもキリないじゃん。
夫 まあ‥‥それは、そうだ。
妻 ‥‥お父さん、どう思う?
夫 どう思うって?
妻 ヤバくない?
夫 ヤバいって? 何が?
妻 さっきだって、またヘルメットかぶって演説やってたのよ。
夫 ああ‥‥。でも、まあ、あれは趣味みたいなもんだから。
妻 趣味? 趣味で演説する人なんかいるわけ? しかも、家の中でよ?
夫 まあ‥‥あんまり、いないだろうな。
妻 あんまりじゃなくて、絶対いません!
夫 一人か、二人ぐらいはいるかもよ? 一億二千万人もいたらさ。
妻 それは屁理屈です。もし、いたとしたら、それは頭のおかしい人です。
夫 え? パパがおかしいってか?
妻 おかしいっていうか、ほら、あれよ。認知症?
夫 え? 認知症? そんなトシか?
妻 そんなトシよ。十分。元気そうにしてるから、忘れちゃったりするけ
ど。‥‥あなたの親でしょ?
夫 ええっと‥‥確か、昭和二十五年生まれだから‥‥。えっと‥‥昭和二十五年って、何年だっけ?
妻 昭和二十年が一九四五年だから‥‥一九五〇年!
夫 そっか、一九五〇年か。‥‥とするとだな、今年が二〇二三年だから‥‥二十三+五十で‥‥ああ、七十三歳か。今年の誕生日で。
妻 ほら、もう適齢期よ。認知症適齢期。
夫 認知症適齢期って何だよ? それに‥‥七十三だと、まだちょっと早くない?
妻 十分適齢期よ。こないだダンコンの世代がそろそろ危ないってニュースに書いてあったわよ。お父さん、ダンコンの世代でしょ?
夫 アッハハ!(吹き出す)
妻 何よ?
夫 ダンコンじゃねーよ。ダンカイだよ! 団塊の世代。
妻 あ。
夫 それ、間違えるヤツ、結構いるんだよなあ。
妻 ‥‥‥。何かうれしそうね。‥‥私が間違えると、そんなにうれしい?
夫 いや‥‥そういうわけじゃないけどさ。
妻 ふーん。
夫 ‥‥そっかあ。‥‥でも、元気じゃん。
妻 ああいうのは、急になるんじゃなくて、だんだんなって行くのよ。それに、元気と認知症は関係ないから。元気な認知症は一杯いるから。
夫 ああ、そうなの?
妻 うん。
夫 へぇ。
妻 演説だけじゃなくってさ、時々反応がにぶかったり、おかしかったりするからさ。
夫 そっかな? オレは気にならないけどな。
妻 ちゃんと観察してないからよ。‥‥自分の親なのに。
夫 お前、そればっかだな。‥‥別に、自分の親だからって、観察したりしないだろ?
妻 そんなんだから、現代社会は家族が崩壊しちゃったのよ。
夫 崩壊しちゃったって‥‥過去形で言うなよ。物騒だな。
妻 とっくにしてるのよ。あなたが気づかないだけ。うちだってそうよ。
夫 おいおい‥‥どさくさに何言い出すんだよ。
妻 だったら、せめて私のことぐらい、ちゃんと観察してなさい。
夫 何だよ? それ?
父が上手から登場。
ヘルメットをかぶり、ギターを弾いて歌い出す。
父 ワン・ツー・スリー・フォー。
♪さみしいぜ 死にたいぜ
孤独だよ 死にたいよ
まだ死んでないから
生きてるってことだ
朝が来て 死にたいよ
夜が来る 死にたいよ
まだ死んでないのは
生きてろってことか
母親はピンボケで
父親はDV親父で
俺は臆病者だけど
どうだっていいんだ
I'm lonely wanna die
でも死んでないのは
死んでないってことだけだ
(ビートルズ「ヤー・ブルース」)
父 サンキュー、エブリバディ!
夫 パパ!
妻 お父さん、何やってるんですか?
父 ノーノー。私はパパでもお父さんでもありません。
夫・妻 はあ?
父 私はジョン・オノ・レノンです。
夫・妻 ‥‥‥。
妻 ほら、やっぱり。
夫 あのさ、パパ。
父 ワット? アンコールですか?
夫 いや、だから。
父 アンコールなら、手をたたきましょう。こうやって。‥‥アンコール。
アンコール。アンコール。ほら!
夫・妻 ‥‥‥。
父 オーケー! じゃあ、アンコール行きます!
♪戦争が終わって 僕らは生まれた
戦争を知らずに 僕らは育った
大人になって
妻 お父さん!
夫 パパ、いい加減にしてよ!
父 ‥‥‥。何だよ。今日の客はノリが悪いなあ。シケシケだぜ。
父、イスに座る。(ギターを持ったまま)
父 やっぱり、地球の音楽はお気に召しませんか?
夫・妻 はあ?
父 それで、お二人さん。どちらの星からお越しになられました?
妻 え?
夫 星?
父 What planet are you from ?
夫 いや、だから。
父 宇宙人の方でしょ? 宇宙服を着ておられる。
夫 宇宙服?
妻 ‥‥‥? あ! これよ!(と、ゴーグルに触る)
夫 え? ああ、これ?(と、ゴーグルをはずす)
父 ああ。‥‥何だ、地球の人でしたか。
妻 地球の人って‥‥。
夫 ボクですよ。あなたの息子。
父 息子? あなたはジュリアンなんですか? それともショーン?
夫 え?
妻 ‥‥確かね、ジョン・レノンの子供がそういう名前だったわよ。
夫 えー。‥‥もう、めんどくさいおっさんだなあ。‥‥はいはい、私はジュリアン・ショーンです。
父 おお、ジュリアン・ショーン! 会いたかったよ!
妻 はいはい。
父 ♪Beautiful,Beautiful,Beautiful,Beautiful Boy.
夫 もう! 歌わなくていいから!
父 遠慮しなくていいから。
夫 遠慮なんかしてません!
父 ああ‥‥そうなの?
夫 はい。
父 ちぇっ。
妻 ‥‥それで、お父さん、じゃなかった、ジョン・レノンさん。何でそんなヘルメットなんかかぶってるんですか? しかも何か漢字が書いてあるし。
父 え? 知らないの?
妻 知らないって、何です?
父 これは全共闘のヘルメットだよ。そして、この字は「叛乱」の「叛」。帝国主義の圧政に対して人民は叛乱を起こすんだ! ♪パワー トゥ ザ ピープル!
夫 だから、歌はいいですから。
父 え? そう?
夫 はい。
妻 ゼンキョウトウって‥‥もしかして、学園紛争ですか?
父 そうだよ。あれは青春だったなあ。
妻 学園紛争って日本の話でしょう? ジョン・レノンと関係ないじゃありません?
父 ちっちっちっ。わかってないなあ。これだから、イマドキの若いもんは‥‥。
夫 いや、もう若くないですから。 ゛
妻 ありがとうございます。
夫 え? 何でお礼なんか言うの?
妻 だって、若いとか言ってもらえたらうれしいじゃない?
夫 え? そうなの?
妻 そりゃ、そうよ。
夫 へぇ。
父 思い出すなあ。あれは一九七二年。ヨーコと一緒にこのヘルメットをかぶって、マジソンスクウェアガーデンのステージで歌ったんだ。
♪みんな言うんだ、自由主義、民主主義、法治主義、国際主義、協調主義、なんとか主義、かんたら主義、主義、主義、主義、主義
僕らは言おう 平和にもチャンスを みんな言おうよ 平和にチャンス
All we are saying is give peace a chance.
All we are saying is give peace a chance.
サンキュー! ありがとう!
夫 だから。
父 え?
夫 隙あらば歌うんだから。
父 え? 歌ったら楽しいじゃん。君らも歌えよ!
夫・妻 ‥‥‥。
父 ‥‥そう言えば、ヨーコは?
夫・妻 え?
父 ヨーコは元気にしてるのかな? 知らない?
妻 さ、さあ?
夫 まだ生きてるの?
妻 さあ? 死んだらニュースになるんじゃない?
夫 ああ、そっか。
父 えーっと、いくつになるのかなあ?
妻 え? ヨーコさん?
父 うん。ええっと‥‥昭和八年生まれだから‥‥。
妻 え? 昭和ですか? イギリス人なのに?
夫 昭和八年だったら、パパが二十五年だから‥‥十七歳年上だよ。だったら、えーっと、七十三+十七だから‥‥。
夫・妻 九十歳!
父 サンキュー。‥‥そっか、ジャスト九十か。
夫 なんだかすげー。よくわかんないけど。
父 ほんと、月日の経つのは早いもんだな。歳月人を待たず。光陰矢の如
し。諸行無常の響きあり。
妻 あなた、何人なんですか?
父 国境なんてないのさ。想像してごらん。
♪Imagine all the people living for today Ah
夫 だから歌はいいですから。
父 えー。
夫 ほんと油断も隙もありゃしない。
父 (妻に)この人がいじめるー。
妻 この人じゃないでしょ? 息子さんでしょ? えっと‥‥。
父 ジュリアン・ショーン。
妻 そうそう。‥‥でも、国境なんてないのさって、良い言葉ですね。
父 でしょ? でもね、これはほんとはヨーコのアイデアなんだ。想像の世界には境界なんてないし、どこにでも行ける。彼女は生来の自由人だからね。
妻 素敵な話ですね。‥‥実は、私も昔は自由人‥‥のつもりだったんで
す。どこにだって行って、何だってできるって思ってた。
父 今はそうじゃないの?
妻 今は‥‥翼の取れた鳥‥‥かな? 空から墜ちたイカロス? そんなかっこいいもんじゃありませんけど。
三人 ♪ウー 翼の折れたエンジェル
あいつも ウー 翼の折れたエンジェル
みんな翔べないエンジェル
父 ‥‥そうかな?
妻 え? 何ですか?
父 いや、だから、もう翼が取れちゃった、とかさ。
妻 え?
父 だから、さっき、あなたは、「自分は翼は取れた鳥だ」って言ったでしょ?
妻 ああ、それですか?
父 うん。それ。
夫 変なとこで歌なんか歌うからわけがわかんなくなったんだよ。
父 お前だって歌ってたじゃないか。
夫 そりゃ、あれは流れっていうか‥‥。
父 何が流れだ。
妻 ‥‥あのう、それはいいとして、何がそうかな?なんですか?
父 え? ‥‥あれ? 何だっけ? もう、お前がいらないこと言うから。
夫 えー。オレのせいじゃないだろ?
父 おほん。‥‥こんなこともあろうかと思ってだな‥‥。(カンペを取り出す)
(思いっきりかっこつけて)想像力の翼は取れたりしないさ。ただ、たたんでるだけじゃないのかな? もう若くないからとか、自分に言い訳をしてさ。
妻 あ‥‥。(なぜか本気で衝撃を受ける)
夫 そんなのいつの間に用意したんだ?
父 若い頃、オレにもそういう知り合いがいてね。そいつは「自分の生きている意味を見つけるんだ」とかかっこのいいことを言って、いろんなところに旅に出て、好き勝手にいろんなことをやってたんだ。
妻 あ‥‥。実は‥‥。
父 え?
妻 実は‥‥私もそうなんです。
父 ああ‥‥そうなんだ。‥‥。そいつは奇遇だね。
妻 奇遇?
父 お恥ずかしい話なんだけど‥‥その知り合いっていうのは、実は私のことでね。
妻 え?
父 若かったんだよなあ‥‥って。これも言い訳だよね。自分に都合の良い言い訳。‥‥そういうのばっかり覚えちゃってさ。ダメだな。そんな言い訳を考えるためにトシをとって来たはずじゃなかったんだけどなあ。(と、遠くを見る)
妻 ‥‥‥。(なぜか本気で感動して、一緒に遠くを見る)
夫 ‥‥あのう‥‥その臭いお芝居、いつまで続けるつもりですか?
父 え? さて、何のことかな?(と、あわててカンペをしまう)
夫 いやいや、続けてもらってもかまわないんですよ。しばらく続くんだったら、ちょっとトイレに行こうかな?と思っただけで。
父 ‥‥ジュリアン・ショーンよ。
夫 ‥‥‥。
妻 呼んでるわよ。
夫 え? ああ‥‥何ですか?
父 お前には迷惑をかけて悪かったと思ってるよ。
夫 え? ‥‥え? あの、話が見えないんですけど。
父 ママのことだよ。
夫 ママ? ‥‥って、ヨーコさん?
父 違う。‥‥お前のママだ。
夫 え? でも、パパはパパじゃなくて、ジョン・レノンじゃ?
父 ジョン・レノンは、今日はおしまい。営業終了。
夫 もう、ややこしいな。
父 すんませーん。
夫 ‥‥で、オレに迷惑をかけたって?
父 いや、そやから、ママのことって言うたやろ?
夫 いや、それはわからなくもないけど‥‥でも、いったいどういう文脈でママの話が出てくるわけ?
父 そやから‥‥さっきの、翼の折れたエンジェルの関係。
夫 はあ? 何それ? いよいよ以て話が見えない。
妻 ‥‥ねぇ、ねぇ、お父さんとお母さんって、どこで出会ったの?
夫 え? 何、それ? お前まで見えない話をするわけ?
妻 いや、なんかその辺に関係があるような気がして。
夫 うーん。オレもよく知らないけど‥‥見合いではなかったんじゃないかな?
父 さすが、チヒロさん。なかなかするどい。
妻 え? じゃあ、当たりですか?
父 ピポピポピポーン。
妻 やったー!
夫 え? これ、クイズ番組だったの?
父 まあ‥‥ちょっとかっこつけて言うと、「自分探し」の旅の道連れかなあ?
夫 「自分探し」の旅の道連れって‥‥何それ? かっこつけすぎ。
父 若かったんやなあ、二人とも。
妻 「自分探し」の旅の道連れかあ‥‥。(ちょっと感動してたりする)
夫 「自分探し」の旅の道連れねぇ‥‥。
父 そや。「自分探し」の旅の道連れ。
夫 ‥‥‥。あ。
妻 え? 何?
夫 もしかして、ひょっとして‥‥その旅の途中ではぐれちゃったとか?
父 あ。
妻 え? そうなんですか? お父さん。
父 うーん。‥‥まあ、当たらずと言えども遠からず、かな。
妻 あなた、すごいじゃない! 大当たり!
夫 ああ。
妻 それで、旅の途中ではぐれたって、どういうこと?
夫 え? いや‥‥それは適当に言っただけで。‥‥まあ、離婚なんだから、そんな感じじゃないの?
妻 なーんだ。
父 ‥‥じゃ、オレはそろそろおさらばするぜ。
夫 おさらば?って、どこに行くの?
父 旅に出るのさ。
夫 え?
妻 「自分探し」の旅?
父 風の吹くまま、気の向くまま、あてない旅の三度笠。止めてくれるなおっかさん。背中のイチョウが泣いてるぜ。
(妻に)お嬢さん。
妻 (平然と)はい。
父 たたんだ翼。大事にしときなよ。また、いつか役に立つ時が来るかもしんねーからよ。
妻 はい。
父 じゃ、また、いつか。どこかで会おう!
妻 お元気で!(手を振る)
夫 ‥‥‥。(あきれている)
父 ♪私たちの望むものは 生きる苦しみではなく
私たちの望むものは 生きる喜びなのだ
私たちの望むものは 社会のための私ではなく
私たちの望むものは 私たちのための社会なのだ
私たちの望むものは 与えられることではなく
私たちの望むものは 奪い取ることなのだ
私たちの望むものは あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは あなたと生きることなのだ
今ある不幸せに とどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ
父、去る。
夫・妻、見送る。
音楽。(「Rip It Up / Ready Teddy」ジョン・レノン)
暗転。
2
イスに夫と父が座って酒を飲んでいる。
夫 ママが、今どこで何をしてるかって、パパは知ってるの?
父 知らん。‥‥昔は、たまに連絡したりもしてたんやけどな。
夫 それ、いつの話?
父 ‥‥お前が小学生の頃は、たまに手紙のやり取りとかもしてたんやけ
ど。
夫 ふーん。そうなんだ。‥‥何でやめちゃったの?
父 再婚してな。ママが。
夫 再婚? 誰と?
父 よー知らん。
夫 え? 何で?
父 何でって‥‥? まあ、それぞれ別の人生を送ってるんやさかい。
夫 ‥‥ひょっとして、お互いに干渉したくない、とか?
父 まあ、そういうことになるんかな?
夫 ふーん。
父 ‥‥‥。ま、オレたちはそれでよかったんやろけど。
夫 え?
父 お前には悪いことしたなあって思ってんねん。これでも。
夫 これでもって‥‥。案外わかってんじゃん。
父 え? 何が?
夫 自分がどういう人間かってさ。
父 え? どういう人間なん?
夫 まあ、あんまり普通でもないかな? とびきり変ってわけでもないけ
ど。
父 ああ‥‥そうなんや。
夫 え? それ、自覚して言ったんじゃなかったの? 「これでも」って。
父 いや‥‥特に意味はなかったんやけど。
夫 何だよ、それ! あははは。
父 あははは(つられて笑う)。
間。
父 ‥‥向こうも向こうで、気ーつかってたみたいやけどな。
夫 ママ?
父 ああ、うん。
夫 ふーん。
父 ‥‥お前、全然ママと会ってへんやろ?
夫 ああ‥‥うん。
父 実はな‥‥運動会とか、見に来てたりもしてたんやで。
夫 え? ほんと?
父 ああ。
夫 全然知らなかった。
父 そやから、会ったりーなって言うたんやけどな。
夫 うん。
父 何かいろいろ理由付けてなあ‥‥。
夫 ‥‥うん。
父 まあ、そういうことや。
夫 うん。
父 ‥‥冷たい母親とか、思てたやろ?
夫 うーん。‥‥思って‥‥なくもなくもない‥‥かな?
父 どっちなん?
夫 ちょっと思ってた。
父 そやろなあ。‥‥やけど、あいつなりに考えて、それがええって、そう思たんやろな。たぶん。
夫 ‥‥‥。
父 ‥‥そこんとこ、お前にもわかってもらえたら、オレとしてもありがたいんやけど。
夫 ‥‥変なの。
父 え?
夫 変なんだよ‥‥団塊の世代って。
父 え? ‥‥どういうこと?
夫 頭でっかちっていうか、不器用っていうか‥‥。
父 頭でっかち?
夫 ほら、オレもそんなに知ってるわけでもないけど、あの頃、学園紛争とか、反戦運動とか、ウーマンリブとか、いろいろあったじゃん?
父 ああ。
夫 以前、ネットでちょっと調べたことがあったんだけど。
父 調べるって、何を?
夫 団塊の世代。
父 何で? 何でそんなん調べるん?
夫 そりゃ、一応親の世代だからさ。‥‥何で離婚したんだろ?とかわかんないかな?とかも思ったりしてさ。
父 ああ‥‥そんなこと考えるんや。
夫 そりゃ、自分のことでもあるからさ。
父 ああ。それは、そうやな。
夫 何て言うんだろ? とにかく、団塊の世代って理屈が好きなんだよね。「社会はどうあるべきか?」「何が正しいのか?」って、そういう理屈が立たないと動けないみたいな。
父 え? そうかなあ? そういうやつはいつの時代でもいるんちゃう?
夫 それはそうなんだろうけど‥‥ほら、例えば「ニューファミリー」ってあったでしょ?
父 え? ニューファミリー? ‥‥ああ、ああ、あった、あったわ、そういうの。それって、むちゃくちゃ昔の言葉やがな。
夫 うん、たぶん一九七〇年代?
父 よう、そんなの調べたなあ。
夫 でさ、それって、よくは知らないんだけど、「友達家族」とか「仲良し家族」みたいな感じなのかな?
父 うん、まあ、そんな感じちゃう?
夫 だよね。‥‥ああいうの、気持ち悪くて、苦手。
父 え? 家族が仲良しなんがあかんのか?
夫 いや、そうじゃなくてさ‥‥ほら、そのニューファミリーってさ、「ボクたちは古くさい亭主関白なんか絶対やりません。夫と妻は平等であるべきです」みたいな?
父 え? そうか? ‥‥まあ、言われてみたら、そういう感じも多少あったかもな?
夫 何かね、青年の主張とか、選挙の時のテレビの政見放送みたいな感じがしてさ‥‥それがすごく気持ち悪いんだよ。
父 うーん。それって、ちょっと考えすぎちゃう?
夫 ママだって、そうなんじゃないの?
父 え? ママが?
夫 何かね、子育てのあり方っていうか、親のあり方っていうか、そんなの考えなくていいんじゃない? ていうか、ぶっちゃけそんなのどうでもよくなくない?
父 え?
夫 会いたかったら会ったらいいし、抱きしめたかったら抱きしめたらいいじゃん。ごちゃごちゃ言ってないでさ。‥‥人間ってそうじゃないの?
父 ああ‥‥まあな。
夫 ドント・シンク・フィールだよ! 人生は。
父 え? 何や、それ?
夫 え? 知らないの?
音楽。「燃えよ、ドラゴン」
夫 アチョーーー! だよ。
父 はあ? 何じゃ、それ?
夫 「考えるな! 感じろ!」ブルース・リー先生のありがたいお言葉。
父 へぇ。「考えるな! 感じろ!」ねぇ。‥‥何を感じるんや?
夫 もう! それを感じるんだよ!
父 えー?
妻が下手から登場。
オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」風のファッション。
妻 お待たせ!
父 おう。
妻 はい。(と、ジェラートを渡す)
父 グラッチェ。
夫 ‥‥‥。
妻 (ジェラートを食べながら)この人は?
父 さっき会った。
妻 もしかして‥‥ホームレスとかの人?
父 かもな。
夫 おいおい!
妻 アー・ユー・チャイニーズ?
夫 何で中国人やねん!
妻 あ、日本語しゃべれるのね?
父 みたいだよ。
妻 日本語、お上手ですね。
父 ほんと、ネイティブ並みなんだよ。
夫 お前ら、ええかげんにせーよ!
妻 ‥‥ひょっとして、お母さんが日本人とか?
夫 え? ああ、そうですよ。
妻 やっぱり!
夫 お父さんも日本人ですけどね。
妻 え?
父 どういうこと?
妻 ‥‥ああ、ひょっとして。
父 ひょっとして?
妻 戦災孤児で、養子に出されたとか?
父 え? 何、それ?
妻 何かね、戦後すぐに、バチカンが日本の戦災孤児を救うために募金活動をしてたとか、本で読んだことがあるわ。
父 ああ、それではるばるローマに‥‥。いろいろ苦労したんだね。
夫 何やねん、それ! 勝手に話を作るな!
父 ところでさ。
妻 何?
父 ジョン・レノンが新しいアルバム出したって知ってる?
妻 ああ、今、話題になってるやつね。
父 聴いた?
妻 まだ。
父 絶対聴かなきゃダメだよ。特に、タイトル曲がすごくいいんだ。
妻 タイトル曲? ‥‥えーっと、イマジンだったっけ?
父 そう。イマジン。‥‥ちょっと、歌ってあげるよ。‥‥えっと、君、これ食べて。(と、食べかけのジェラートを夫に差し出す。)
夫 え?
父 お腹すいてるんだろ?
夫 いや、いや。それに、こんなの食べてもお腹はふくれませんやん。
(と、食べ始める)
父、ギターを取りに行って、戻って来る。
父 こういう曲なんだよ。
妻 もう覚えたの?
父 あまりに感動して、何十回も聴いたから。
妻 へぇ。すごいね。
父 ♪天国なんてないのさ 想像してごらんよ
地獄もないんだ ただ空があるだけ
イマジン オール・ザ・ピープル みんな今日を生きている
国境なんてないのさ 想像してごらんよ
憎しみはいらない 殺し合うこともない
イマジン オール・ザ・ピープル みんな平和を生きている
夢物語だと 言われてもいいさ
みんなで思えば 世界はひとつになる
妻、拍手。
父 サンキュー、ありがとう。
妻 さすがね、グレゴリーさん。
父 まあ、これでも、昔はアンダルシアのジョン・レノンって呼ばれてたんだ。
妻 素敵!
夫 あの、ちょっといいですか? アンダルシアのジョン・レノンって?
アンダルシアって確かスペインでしょ? さっき、ローマって言ってませんでした?
妻 え? 知らないの? ここはローマのスペイン広場よ。
夫 えー! 何か適当すぎません? それに、グレコリーさんって‥‥もしかして?
父 そして、彼女はオードリーだ。
夫 えー。ひょっとして、これ、「ローマの休日」ごっこなんですか?
父 まあ、細かいことは気にしない。国境なんてないのさ。
妻 そうそう。大事なのは想像力。夢見る力よ。ドリームズ・カム・トゥルーよ。
夫 えー。‥‥ボク、ちょっとついて行けないんですけど‥‥。
妻 ‥‥それにしても、ほんといい歌ね。感動的だわ。
父 だろ?
妻 うん。‥‥帰りにレコード買って、すぐ聴くわ。
父 買わなくても、うちで聴けば?
妻 あ、そっか。
夫 ‥‥でも、みんなで思えば世界はひとつになるって‥‥やっぱり夢物語って言うか‥‥。
父・妻 え。
夫 いや、ほんといい曲ですねえ。ほんと、名曲だ。うん。
父 わかってもらえてうれしいよ。
妻 私もうれしいわ。
夫 いやあ、それほどでもないっすよ。へへへ。
父 ‥‥それにしても。
妻 え。
父 いつになったら終わるんだろ? 最近は北爆はないみたいだけど。
妻 ああ、ベトナム戦争?
父 うん。
妻 そうね。
父 こうやって僕たちがのんびりしてる今、この時にも、ベトナムでは人が殺されてるんだ。
妻 そうよね。
父 どうして、人間は、愚かな戦争を繰り返すんだろうか?
妻 ほんと、戦争なんか、この世からなくなったらいいのに。
父 人間には、知性や想像力があるのに。
妻 ほんと、そうね。‥‥悲しくなっちゃう。
夫 あのぅ‥‥。
父・妻 え?
夫 お言葉ですが‥‥戦争はなくなりませんよ。
父・妻 え?
夫 だって、本能ですから。
父 え?
妻 本能?
夫 いや、ちょっとね、以前、野暮用で、人類の歴史をザーっと調べてみたことがありましてね。
妻 人類の歴史?
夫 ほんと、ずーっと戦争ばっかりやってるんですよ。あきれるぐらい。紀元前の大昔から、それこそ、古今東西、戦争だらけ。
父・妻 ‥‥‥。
夫 何かね、最近、一万五千年前の遺跡から、武器で殺された人骨が一杯出て来たらしいですよ。
父・妻 ‥‥‥。
夫 それから、戦争じゃなくても、権力争いとか民族対立とかで虐殺とかしまくってますからねぇ。‥‥もう、人類の歴史は、殺しの歴史と言ってもいいぐらいですわ。
父・妻 ‥‥‥。
夫 もう、ここまで来ると、人殺しは人類の本能と言ってもいいんじゃないですか?
ほら、三大欲求ってあるじゃないですか? ええっと‥‥食欲と性欲と睡眠欲ですか? 僕はあれに殺害欲も加えて、四大欲求にしたらいいと思うんですがね。‥‥でも、まあ、そんなの、学校で子供に教えるわけにいかない‥‥か? そりゃそうだ。アハハハ。
父・妻 ‥‥‥。
夫 ‥‥いや、まあ、そういう見方もできるって話で‥‥。
父・妻 ‥‥‥。
夫 ごめんなさい。私が悪うございました。ごめんなさい。ごめんなさい。
ごめんなさい。(土下座)
妻 ‥‥ごめんで済んだら警察はいらんで。
夫 え?
父 じゃあ、そろそろ出かけようか?
妻 そうね。
夫 出かけるって、どこに?
父 中古のベスパが手に入ったんで、それで彼女とローマの街中をドライブしてるんだ。
夫 ああ、まだ映画が続いてるんですね。
父 悪いけど、君、バイクを運ぶの、手伝ってくれないかな?
夫 ああ、いいっすよ。で、そのベスパはどこに?
父、イスを運んでくる。
夫 え? それがベスパですか?
父 もう一つ運んで。
夫 ああ、はい。
イスを縦に二つ並べて、ベスパの完成。
父 じゃあ、オードリー、前に乗って。
妻 えー。私が運転するの?
父 平気、平気。自転車みたいなもんだから。
妻 私、自転車もうまく乗れないんだけど。
父 平気、平気。エンジンが付いてるから。
妻が前に、父が後ろに乗る。
父 さあ、出発だ!
夫 あの!
父・妻 え?
夫 ボクはどうすればいいんでしょう?
父 着いてきたら?
夫 えー、どうやって?
妻 走ればいいじゃない? 若いんだから。健康にいいわよ。
夫 えー。
妻がエンジンをかける。(エンジン音)
父 出発進行!
バイクの発進音。
妻 キャー!
父 ハンドルは死んでも離すなよ!
妻 キャー!
音楽。(「ローマの休日」の映画音楽)
夫 ちょ、ちょっと待って!(と走るしぐさ)
父が指さしたりして、ローマ市内を楽しく走る感じ。
夫は必死で走り続ける。
父 オードリー。
妻 え? 何?
父 それで、見つかったのかな?
妻 え? 何が?
父 その「生きてる意味」みたいなの?
妻 あ。
父 「自分探しの旅」とか言ってなかった?
妻 ああ‥‥うん。
父 あちこち行ったんだろ?
妻 うん‥‥まあね。
父 いろいろやってみたんだろ?
妻 うん‥‥まあね。
父 それで、どう? 見つかったのかな?
妻 ‥‥‥。
父 ‥‥‥。
妻 それが。
父 ん?
妻 なかなか見つからなくって。
父 そっか。見つからないか。
妻 うん。
父 そりゃそうだ。それは良かった。
妻 え?
キキー。急ブレーキ。
父 うわっ。
妻 ごめんなさい。大丈夫?
父 大丈夫。大丈夫。‥‥ごめん。僕が変なこと言ったから。
妻 ほんと、ごめんなさい。
父 いやいや、こちらこそ。
妻 ‥‥見つからなくて良かったって‥‥どういうこと?
父 うーん。何て言うんだろ?
妻 うん。
父 何かね、最近、見つかるわけなんかないって思うようになってさ。
妻 え?
父 「自分が生きてる意味」とか、「自分が何者か」なんてね。
妻 ‥‥‥。
父 実は、僕も見つからなくってねぇ。
妻 え? じゃあ、あなたも?
父 うん。学園紛争で、大学やめちゃって‥‥。
妻 ああ‥‥そうなんだ。
父 オレ、何やってるんだろ? 何がしたいんだろ? ってわかんなくなって‥‥。
妻 ああ。‥‥それって、何か、わかるような気がする。
父 それで、僕もあっちこっち行って、いろんなことやってたんだけど‥
‥。
妻 うん。
父 それで、その結論が「見つかるわけない」ってこと。バカみたいな話だよね。
妻 それって、どういうこと?
父 考えてみたらさ、自分が生まれて来たこととか、生きてることには意味があるはずだ、なーんて、相当傲慢な考え方だと思わない?
妻 あ。
父 そういうのって、人間しか考えないよね?
妻 ‥‥‥。
父 死んでないうちは生きてる。死んだら生きてない。他の動物はみんなそうだろ?
妻 ‥‥‥。
父 意味なんかなくても生きてるんだよ。ていうか、意味があるから生きてるんじゃない、ってね。
妻 ‥‥言われてみたら、確かにそうね。
父 そういう人間の傲慢さが、戦争なんかを引き起こしちゃうのかなあってさ。‥‥さっきのあいつの話じゃないけど。
妻 ああ‥‥。
父 あれ? あいつは?
夫、へばって倒れている。
父 おい! 大丈夫か?
妻 大丈夫?
夫 あんまり‥‥大丈夫じゃ‥‥ないっす。
父 救急車を呼ぼうか?
夫 それには‥‥及びません。‥‥ただ。
父・妻 ただ?
夫 過ぎたるは及ばざるがごとし、ですね。
父・妻 え?
夫 健康に良いことをやり過ぎると、健康に悪いっす。
父 何、それ?
妻 あ。‥‥ごめんなさい。
夫 いや‥‥。
夫、フラフラと立ち上がる。
父 おい。無理すんなよ。
夫 ちょっと、休憩してきます。
妻 休憩って‥‥どこで?
夫 まあ、どこかで。
妻 え。
夫、フラフラと下手に退場。
父と妻、見送る。
やがて、父、ベスパの後部座席(イス)を持って、上手に向かい、コートを着て戻って来る。
父 じゃあ、僕も、ちょっと行って来る。
妻 え? どこに?
父 今は言えない。それを聞いたら、君は一生後悔することになるだろう。
妻 え? どういうこと?
音楽。(「カサブランカ」の映画音楽)
父 僕にはやらなければならないことがあるんだ。悪いけど、君と一緒じゃできないんだ。
妻 ‥‥‥。
父 僕はこんな男だけど、それでもこんな壊れかけた世界を黙って見てるわけにはいかない。‥‥やがて、君にもわかるさ。
妻 わからないわ。もったいぶってないで、今教えて!
父 いや、だから。
妻 ねえ!
父 ‥‥ちょっとお手洗い。
妻 何よ、それ!
父 (去りかけて)僕たちには、いつも思い出のパリある。夕べ思い出したんだ。‥‥君の瞳に乾杯。
父、上手に去る。
妻 ‥‥何か、映画が違わない?
妻、イスに座ったまま、正面を向く。
妻 私が中学生とか、高校生の時、学校の教室がとっても狭かったんです。いや、教室自体の大きさは変わんないんですけど、一クラス四十七人とか四十八人とかが普通で、机が縦七列、横七列で並んでるから、ほんとにギチギチって感じで、机の横に荷物も置けないし、授業の時も、太った先生なんかは、机の間を通れないから、ずっと前でしゃべってるだけとか、それでも無理矢理教室の中を動いて授業をやろうとすると、先生の通り道を少しずつ机をずらして行ったりとか‥‥。そんなだから、受験の方も大変で、大学の偏差値なんかは軒並みインフレ状態になって、当時はまだ短大とかあって、女の子で行く子も多かったんですが、そこに入れなくて浪人する子とかも友達でもいたりして‥‥ほんと今の人には信じてもらえないような時代でした。それで、がんばってがんばって何とか大学に入れても、卒業する時には、就職氷河期だったんです。少し上の先輩なんかは、バブルの時代で、内定拘束っていうのがあったらしくって。‥‥内定拘束って知ってます? 内定した学生がよその会社を受けないように、会社が高級リゾートホテルに連れて行って、毎晩フルコースを食べさせたり、ドンチャン騒ぎをさせてたらしいんですよ。‥‥それなのに、私たちと来たら、いくつ受けても全然受からない。そもそも求人自体がものすごく少ない。もうねぇ、これはもう、生まれた時代が悪いとしか言いようがないですよね。何で私たちだけが、こんな目に遭わなくちゃならないの? 何か悪いことした? 神様の意地悪なの? っておんなじ世代の人は絶対思ってますからね。だからねぇ‥‥世の中なんて不公平に決まってるって、もうそりゃ子供の頃から刷り込まれてますよ。それなのに、親の世代は、学園紛争とかの世代ですからね、「世の中は正しくなくちゃ」とか「平等でなくちゃ」とか根っこのところで思ってますからね。だから、うちのお父さんなんかも、「イマドキのわかいもんはどうして怒らんのだ? 闘わんのだ?」とかしょっちゅう言ってますし。そんなんで世の中が変わるんだったら、どうしてあんたたちが変えてくれなかったの? とか、まあ、言ってもしょうがないから言いませんけどね。‥‥そうそう「イマドキの若いもんは」って、ずーっと昔から言われ続けてて、何か、何千年も昔のエジプトのピラミッドとかにも書いてあったんですって。‥‥でも、そう言われてた「わかいもん」が、トシを取って、またまた
「イマドキのわかいもんは」って言うわけでしょ? 何か、バカみたい。人間って、進歩ってしないんですかね? そんなことを言ってる私なんかも、「イマドキのわかいもんは」とか、そろそろ言い出すお年頃で‥‥。いや、言いませんよ。言いませんけど、でも、ちょっと言いたい気分なんかはわかりかけてる今日この頃。ホント、トシは取りたくないですねぇ。
ギリースーツ(毛むくじゃらのカモフラージュ服)の男が、下手から出て来る。
気配に気づいて、妻が振り返る。
妻 キャー!
妻、必死でテーブルの背後に隠れる。
声を聞きつけて、上手から父が走って出て来る。
なぜか日本軍のヘルメットのようなものをかぶっている。手には水鉄
砲。
父 どうした!
妻 ば、ば、ばけもの!(と、男を指さす)
父 何!(と、見る)‥‥うわっ。
男がゆっくり近づいてくる。
父 敵兵襲来! ‥‥く、来るな! 寄らば、撃つぞ!
男は、なお近づいて来る。
父 来るなって言ってるだろう? ほんとに撃つぞ!
男、止まる。
しばしの間。
父・妻 ?
男 わしは‥‥。
父・妻 ‥‥‥。
男 この森の妖精じゃ。
父・妻 え?
父 森?
妻 妖精?
父と妻、顔を見合わせる。
しばしの間。
父 う、うそつけ! この森って、いったいどこに森があるんだ?
妻 そ、そうよ。森の妖精って、そんなんじゃないわ。みどりの帽子とかかぶってて、ちっちゃくて、すっごくファンタジックなんだから。
男 わしは、この森に住む妖精じゃ。
父 たわごとをぬかすな! お前、ひょっとして敵の斥候か?
妻 ? 敵の斥候って?
父 だから、敵が攻撃を仕掛けて来る前に、こちらの陣容を確認するんだ。どのくらいの兵員がいて、どのくらいの装備があるか。
妻 え? 何を言ってるんですか?
父 そんなことより、今はあいつだ。‥‥敵の斥候とあらば、生かして帰すわけにはいかん。
妻 敵って、何?
父 貴様、それでも日本人か! ねぼけたことを言うな!
妻 ‥‥‥。
男 わしは、この森に住む妖精じゃ。
妻 ‥‥あなた、そればっかりなのね。(ちょっと笑う)
妻、立ち上がり歩き出す。
父 おい! 貴様、どこへ行く! 勝手な行動は許さんぞ! 戻れ、戻るんだ!
妻、男のそばに行く。
妻 あなた、気持ちは悪いけど、手荒なことはしなさそうね。
‥‥あっちのじいさんの方が、わけわかんないこと言ってて、なんだか恐い
わ。
男 わしは、この森に住む妖精じゃ。
妻 はいはい。妖精さんなのね。‥‥その森ってどこにあるの?
男 ‥‥ここじゃ。
妻 え? ここ?
男 そうじゃ。
妻 え? どういうこと? 言ってる意味がわかんないんだけど。
男 昔々、このあたりは、広い広い森じゃった。
妻 ‥‥昔々って、いつのこと?
男 お前たちが来る前じゃ。
妻 わたしたち? ‥‥えっと、ここに引っ越して来たのは確か‥‥。(振り向いて父に)お父さん、この家に来たのは何年前でしたっけ? 確か‥‥。
父 そいつと話なんかするんじゃない! 戻って来い!
妻 ‥‥‥。よくわかんないけど‥‥とにかく、私たちが来る前から、ここは住宅地で、森なんかなかったわよ。
男 人間たちが来る前じゃ。
妻 あ‥‥そういう意味? わたしたちって、わたしたちじゃなくって、人間ってこと? ああ、なるほどね。‥‥そっか、あなた、妖精だもんね。
男 ‥‥‥。
妻 妖精って、確か、すっごく長生きなのよね。‥‥あなた、トシはいく
つ?
男 忘れた。
妻 それって‥‥忘れるくらい長生きしてるってこと?
男 そうかもしれん。
妻 なるほどー。
男 そうじゃないかもしれん。
妻 何よ、それ?
男 わしはこの森の妖精じゃ。
妻 いや、だから、それはもう何度も聞いたから。
男 わしはわしであって、わしではない。
妻 え?
男 わしは生きてはいるが、生きてはおらん。
妻 えー? 何? ‥‥言ってることがわかんないんだけど。
男 この姿も、かりそめの姿じゃて。
妻 かりそめ? ‥‥だったら、ホントは違うの? ホントのあなたって
何? 誰?
男 ‥‥ふー。それにしても、暑いな。
妻 そりゃ、六月にその格好じゃねぇ。そりゃ暑いわよ。‥‥そのモジャモジャ脱いだら?
男 ‥‥それでは、お言葉に甘えて。
男、頭のフードを外す。男は夫だった。
妻 あ。‥‥あなたは!
男 ふー。やっぱりシャバの空気はうまいのう。
妻 ユウイチ! あなた、ユウイチじゃないの!
男 ん?
妻 ユウイチ、帰ってきたのね。もう、びっくりするじゃない! ‥‥お父さん! ユウイチですよ! ユウイチが帰って来たんですよ!
父 騙されるな! そいつは間者だ! スパイだ!
妻 もう何やってんのよ! あ、そっか、あなた、わたしたちをびっくりさせようとして‥‥。
男 はて、何を言っておるのじゃ?
妻 そう言えば、あなたサバイバルゲームも好きだったわね? そっか、このモジャモジャもサバゲーのコスチュームなの?(と、ギリースーツを触る)
男 触るでない!
妻 え? もう演技はいいのよ。ドッキリゲームはおしまい。こっちに来なさいよ。久しぶりに話がしたいわ。
男 わしはこの森の妖精じゃ。
妻 いや、だから‥‥。
男 ヤマトンチューよ。
妻 え? ヤマトンチューって何?
男 ヤマトの諸君。
妻 はあ? ‥‥もしかして、今度は宇宙戦艦ヤマト?
男 わしは、お前たちに伝えたいことがあって、ここに来た。
妻 伝えたいこと?
男 わしは、出雲の魂を継ぐ者じゃ。
妻 出雲? 出雲って、島根県のあの出雲? 出雲大社の出雲?
男 そうじゃ。
妻 出雲! 懐かしいわあ。‥‥私ね、若い頃、全国各地を旅していて、出雲大社の巫女さんのバイトをしたことがあったのよ。
男 それはかたじけない。礼を申す。
妻 え? 何であなたがお礼を言うの?
男 わしは出雲の魂を継ぐ者じゃて。
妻 え? あなたと出雲と何の関係もないじゃない? 連れて行ったこともないわよ。
男 わしは出雲の長(おさ)の百二十六代目の末裔じゃ。
妻 はあ?
男 お前たち、ヤマトの者は、大国主と呼んでおる。
妻 もう、またまたわけのわかんないこと言って。
父 なるほどな。それでわかった。
妻 えー! お父さん、わかるんですか?
父 貴様らは米軍と内通して、そんなことを企んでいたのだな。
妻 えー。もうわけわかめじゃん!
父 お前は「イナバの白ウサギ」の歌を知らんのか?
妻 「イナバの白ウサギ」? どんな歌だっけ?
BGM。(「童謡 大黒様」)
父 貴様はそれでも日本人か! 学校で国史を学んでおらんのか?
妻 コクシ?って何ですか?
父 日本の歴史だ。‥‥出雲というのはな、元々は豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)と言ってな、高天原と黄泉の国の間にあったこの世であってこの世でない異形の土地なのだ。それを大国主命が天つ神に国譲りをしたと「古事記」や「日本書紀」に書いてある。しかし、オレはそれを怪しいと前々から思っていた。
妻 あのぅ、私、日本史、苦手なんですけど。
父 しょせん、出雲の神は、日本の神ではない。ヤマトに帰順したふりをして、いつか日本を乗っ取る機会を待っていたわけだ。それをこの国難を千載一遇の機会とばかりに、憎っくき鬼畜米英の力を借りて本懐を遂げようとは、卑怯千万なり。
妻 あの‥‥それ‥‥日本語ですか? I have no idea!
男 それは‥‥当たっているようで、当たっていないな。
父 何?
男 最近、一万五千年前の遺跡から、武器で殺された人骨が一杯出て来た
と言っただろ?
妻 え? 何、それ? ‥‥え? あなたは、あなたなの? ユウイチじゃないの?
男 ‥‥‥。
妻 あなた‥‥いったい誰なの?
父 そうだ。お前は何者だ?
男 わしは、この森に住む妖精じゃ。
妻 えー。‥‥何か、気持ち悪いわ。
妻、ゆっくりとテーブルに戻る。
父 それでいい。‥‥だから言っただろ? 異形の者にみだりに近づいてはならん。
妻 イギョウノモノ?
父 わけのわからんやつのことだ。
妻 あの‥‥お父さんも、結構わけがわかんないんですけど?
男 その一万五千年前の恨みと怨念が我々の土地には染みついているの
だ。
父 何だと? 日本の神々が出雲を滅ぼしたとでも言うのか?
男 当たらずと言えども遠からず、だな。
父 でたらめを言うな!
男 でたらめなどではない。ただ。
父 ただ、何だ?
男 安心しろ。我々は、その恨みや怨念を晴らすとか復讐しようなどとは
思ってはいない。お前たちとは違うからな。
父 違う? 何が違うんだ?
男 殺しの歴史しか持てなかったお前たちとはな。
父 何を言っている? どういう意味だ?
男 ただ、その遠い先祖の無念の思いを鎮めたいと思うばかりだ。「たま
しずめ」、つまり鎮魂だな。わしは、そのためにここに来た。
男が合図を送る。
神楽のような音楽が鳴り始める。
妻が、鈴を手に取り、ふらふらと歩き出す。
父 貴様! どこへ行く! 勝手な行動はするな!
妻、中央で、鈴を持って踊り出す。
父 !
男 ♪○△*#@&(アイヌ語みたいな意味不明の歌)
神楽と踊り、終わる。
男 日本人よ。‥‥いや、ホモ・サピエンスと呼ばれる呪われた者たち
よ。
父・妻 ‥‥‥。
男 お前たちは、殺しの遺伝子、サイコパスのDNA以外、いったいこの
世に何を受け継ぎ、残して来たのだ?
父 ホモ・サピエンス? だったら、お前は?
男 お前たちは、いったい何のために生まれて来たのだ? 何のために生
きているのだ? ひたすらにお互いに殺し合い、滅びるためか? そのためだけなのか? ‥‥まあ、それもよかろう。それもお前たちの選んだ運命じゃて。
父 お前は、何者なのだ? 誰なんだ?
男 ならば、聞くが‥‥お前は、誰だ?
父 え? オレは‥‥。オレは、オレだ!
男 ふーん。‥‥では、そろそろ行くとするか。
父 行く? どこへ?
男 風の吹くまま、気の向くまま、あてない旅の三度笠。止めてくれるな
おっかさん。背中のイチョウが泣いてるぜ。‥‥あばよ。もう会うこともないかもしれないが。
妻 待って!
男・父 え?
妻 思い出したわ。‥‥全部、思い出した。
父 え? 何を?
妻 ‥‥ユウイチは、死んだのよ。
父 え‥‥。
男 ‥‥‥。
妻 ユウイチは、ゲームが大好きで、サバゲーが好きで、その趣味が高じて自衛隊に入って‥‥そして‥‥二年目の冬に寮の部屋の中で‥‥。
父 思い出したんか‥‥。そっか、思い出してしもたんか‥‥。できたら、死ぬまで忘れていてほしかったんやけどなあ。そやから、わざわざこんな遠く離れた知り合いもいん縁もゆかりもない土地に引っ越して来たのになあ。‥‥そっか。思い出したんか。‥‥まあ、それやったら、それで、しゃあないわな。
男・妻 ‥‥‥。
長い沈黙。
男 ママ。
妻 え?
男 まあ‥‥そういうことだから。
妻 そういうことって‥‥。あなたは誰なの? あなたなの? ユウイチなの?
男 ‥‥わしは、この森に住む妖精じゃ。‥‥なんつって。ハハハ。
妻 ‥‥アハハハ。(泣き笑い)
男 ‥‥それで。
妻 え?
男 それで、見つかったのかな?
妻 え?
男 だから、「生きている意味」とか、「自分は何者なのか」とか。
妻 え? ‥‥グレゴリーさんが言ってたじゃない?
男 グレゴリーさん?
妻 意味があるから生きてるんじゃない、って。
男 ああ。
妻 死んでないうちは生きてるんだって。‥‥まあ、とりあえず、まだ死んではいないみたいだから。
男 ああ。まあ、確かに。
父 ♪ウー、翼の折れたエンジェル
三人 あいつも ウー 翼の折れたエンジェル
みんな翔べないエンジェル
音楽。(シンディ・ローパー「トゥルー・カラーズ」)
男にサス明かり。
男 私は、この森に住む妖精です。妖精ですから、名前もなければ、性別
もなく、トシもなければ、老いもなく、死ぬことすらありません。いわゆるジェンダーフリーで究極のアンチ・エイジングで、かつ不死身なわけで、誰もがうらやむ理想の身の上なはずなのですが‥‥。これって、ひょっとすると、最近、世間を騒がせている「無敵の人」というのとあんまり変わんないんじゃないかとか思えて来て‥‥。人間って、不思議ですね。
妻にサス明かり。
妻 昔、「私は誰?」「ここはどこ?」みたいなお芝居がいっぱいあって、あんまりありすぎたものだから、テレビでギャグやパロディになんかにもされていましたけど、最近は全く見かけなくなりましたね。今の若い人は、子供の頃から妙に悟り済ましてる感じだから、そういう青臭い問題に迷ったりしなくなっちゃったのでしょうか? いやいや、まさかそんなことはありませんよね? ‥‥だったら、みんな、どうしてるのかな? もしかしてバズったり、映えるのが生きる目的だとか意味だとか思ってたりするんでしょうか? ‥‥まさかねぇ‥‥と思いたいところですが。
父にサス明かり。
父 ♪私は今日まで生きてみました 私は今日まで生きてみました
私は今日まで生きてみました 私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして行きて行くだろうと
男 私は誰?
女 ここはどこ?
父 どこから来て
男 どこへ行くのか
女 ここじゃないどこかへ
父 あなたじゃない誰かと
男 ここかもしれないどこかで
女 私じゃないかもしれない私と
音楽、止まる。
全員 ユー・ノー・マイネーム。
音楽。(ビートルズ「ユー・ノー・マイネーム」)
暗転。
おわり
※ ビデオもありますので、よかったら御覧下さい。