庄司薫ってまだ生きてるのかな?


ふと夜中に気になって、ググってみたら、現在85歳。亡くなったとは書いてない。

庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」に始まる赤、白、黒、青シリーズの小説は、私の青春の指南書だった。

高校生時代、アナクロな文学青年だった私は、文学史の教科書に載ってる本を片っ端から読んでいた。幸田露伴の「五重塔」とか高山樗牛の「滝口入道」とか、誰も読まないような古色蒼然とした小説を愛読する変態で、いっぱしの文士気取りで悦に入っていた。自分でも文語体風の晦渋趣味の文章を書いたりして、イマドキの軟弱な文体の小説なんか馬鹿にしていた。当時、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」なんかが話題になっていたが、読んではみたものの嫌悪感しか感じなかった。現代小説で読むのは三島由紀夫ぐらいなものだった。

そんな時、知人が「赤頭巾」を貸してくれた。「これ、面白いよ」と言うので、読んでみた。冒頭から、軟弱極まる文体に面食らった。ただ、当時「全共闘マニア」だったので、その時代を知る参考ぐらいにはなるか?と我慢して読み進めた。もう1つ、三島由紀夫が絶賛していたという理由もあった。ところが、読むうちに何とハマってしまったのだ。一気に4作全部を読んでしまった。そして「もののねうちは形ではなく中身だ」という当たり前のことに気づかされた。後に、たぶんなだいなだの言葉だったと思うけれど、「難しいことを難しく書くのはそれなりにできるが、難しいことをやさしく書くのは難しい」という言葉に出会って、それ以来、それが私の人生の課題になった。

話を戻すが、庄司薫は、その後、「総退却」してしまって、ほとんど作品を書いていない。彼が文壇から消えて約半世紀。相当猛烈に変な人物だ。

それで、思い出したのだが、私が当時バイブルかコーランのように愛読していたエッセイ「狼なんかこわくない」の中に、自分の老後についての記述があった。手元に本がないので正確ではないのだが、確か「自分が70か80歳ぐらいの老人になったら、また別のペンネーム(福翁なんとか?)で、素知らぬ顔をして、全然違うタイプの小説を書いたりするかもしれない」みたいなことが書いてあった。

今老境にある福田章二氏(庄司薫の本名)に、是非ともそれを実行していただきたい。おそらくもうそんなに先は長くないだろうから、1作でいいから、森鴎外みたいな小説を残しておさらばしてほしい。

夜中にそんなことを考えた。(夢十夜 其の一 完 →ウソ)

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