宗教二世の幼児虐待が問題になっているけれど‥‥
最近、いわゆる宗教二世の幼児虐待の問題がしばしば取り上げられている。
統一教会による「恋愛の禁止」、エホバの証人の「鞭打ち」「輸血禁止」などが話題になっている。
そういう問題について、ワイドショーのコメンテーターたちは、「自分で判断ができない子供に信仰を強要するのはおかしい」と口をそろえるが、そうだろうか? これにはかなり複雑な問題があると思う。
まず、子供に信仰を強要することを禁止すべきという意見だが、それでは、キリスト教の幼児洗礼はどうなのか? 初詣は? お盆は? 法事は? 墓参りは? クリスマスは? これらも禁止しなければダブルスタンダードだ。もちろん、祇園祭の稚児などとんでもない。神社の祭りもアウトだ。そういうことをわかった上で言っているのか?
「いやいや、仏教や神道やキリスト教はカルトじゃないから」と言うかもしれない。あるいは「宗教じゃなくて習俗だから」とも。それは、明らかに、メジャーな宗教によるマイノリティーへの差別、抑圧だ。それがわかっているのか?
我々は、自分の宗教性に無自覚すぎる。これは日本だけではない。テレビでは、例によって「アメリカでは幼児虐待のケアの制度がある」なんて賞賛しているが、それでは、アメリカの子供は、食事の時に十字を切らなかったり、学校で「神なんかいない」と言えるのだろうか? イギリスの子供は「God save the king」と歌わなくてもいいのだろうか?
それからもう1つ。
「子供に宗教を強要するな」と言うが、それでは、子供はどこで育てば良いのか?
信仰を持つ親に「宗教抜き」の家庭を求めるのは不可能だ。宗教者にとって、「教え」は、正義であり、真理であり、全ての価値の源泉だ。そもそも、統一教会信者の親が自由恋愛を禁じるのは、子供のためであり、エホバの証人の親にとっては、鞭打ちは、正しいしつけであって、虐待などではありえない。それは、たとえば、「ウソをついてはいけません」「人の悪口を言ってはいけません」と子供にしつけるのと全く同じだ。それを禁じられることが想像できるだろうか? それを禁じられて、子育てや家庭生活が送れるか?
あらゆる宗教には、戒律や禁忌というものがある。それを虐待と言うなら、イスラム教徒の子供が豚を食べられないのは虐待ではないのか?
ことほどさように複雑な問題なのだ。「信仰の自由は大切だけど、子供に強要するのは‥‥」なんてお気楽に考えられる問題ではない。
そういう複雑さを考慮した上で、慎重に解決の方策を図るべきである。