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『個性』が認められれば、『みんなと一緒』という安心はいらない。

友人とランチをした。

お互いのこと、ぴぃのことについても色々話した。

そして友人が「テレビかなんかで見て、なるほどって思ったことなんだけど・・・」と言う前置きの後に言った。

小学校「個性を消しなさない」
中学校「個性を消しなさい」
高校「個性を消しなさい」
大学「個性が少しかっこいい」
就活時「個性を出しなさい」
会社「個性を消しなさい」

友人「これ、怖くない?日本では、ずっと一様でいなさいと言われ続けて育って、会社に入る時だけ個性を出せって言われるの。結局、会社は個性を求めていないのに。
じゃあなんで、選ばれる時だけ個性が求められるんだろう。」

うむ、確かに。

なんのために個性ってあるのだろう。

昔はアイデンティティなんて言葉すらなかったけど、数年前からこれを主張する人も多くなってきた。

でも、認められるところはまだ少ない。

小学校では基本、右にならえ。

みんなと一緒に、みんなと同じことをしましょう。

そしてみんなと一緒に、みんなで同じ目標に向かって、みんなで達成しましょう。

今まで、それに違和感を持つことはなかったけど、ぴぃが不登校になって、学校に戻ることがゴールなのかと考えた時に、初めて違和感を覚えた。

みんなと一緒が難しい子がいる。
みんなと一緒ができなくなってしまった子もいる。

『みんなと一緒』はそんなに重要なことなのか。

それができなくて劣等感を抱えたり、自己否定してしまう子は変わり者なのか、かわいそうな子なのか。

違う。それも一つの個性なんだよな。

それでもいいんだと、認められる場所が増えたら、不登校の子も生きやすいのにな。

ぴぃを見ていて、一番苦しんでいるのは、『みんなと一緒』じゃないこと。

「ぴぃのペースでいいんだよ」「ぴぃにはぴぃに合ったやり方、進み方でいいんだよ」は、『みんなと一緒』がいいぴぃには、なかなか伝わらない。

だって『みんなと一緒』が安心だもんね。

私もそうだな。

みんなと一緒に育ってきたから、みんなと一緒じゃないと不安だし、他の安心を見つけにくい。

みんなと一緒じゃなくて、一人一人の個性が、しっかり尊重しあえて認められる世の中になってくれたら嬉しいな。

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