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まだまだ回り道。結局日本のパン屋さんで働いてみた。

石橋を叩いてたら壊れて急いで渡る。
考えて考えて、悩んで恐れて、妥協案を探しつつ、折衷案を練りつつ、それでもやりたいことを真ん中にして生活したい、けど、やっぱ怖い、、、けど、やりたいことはやりたい。じゃあ、どうすれば、、、
あーーーーー!!これだ!!!と、案と結果が出る頃には突っ走っている自分。
一般人。という自覚があるからこそ、未来が不安で極限までリスクを軽減したくなるんです。。。

ワイン屋さんでパンを焼く→全く果たせず転職。。。
食品広告会社さんで働きながら週末パンを焼く→目標の100個販売達成!

さぁ、開業だ!!!

って勢いはあったんです。

なぜ日本のパン屋で働くことにしたのか


それは、

本当にオーストラリアのパン屋しか知らない自分が日本で店を開いて良いのかな、、、。

ってまた不安になったんです。。。

不安になると解消したくなるのが自分の性格。。。

自分にため息がでてしまいますが、最大の目標、パン屋さんを開くためを考えた結果、浮上した不安や懸念は自分らしく遠回りしてでも、ちゃんと解消して(潰して)おこう!

日本のパン屋さんで日本らしい商売感覚を掴んでおくのは悪くない。

自分のサワードウブレッドが美味しいと自信をつけたのに、いまだに頭の片隅に残る不安を取り除こうとしている、ビビリというか、遠回りながらリスクを潰して経験値を増やそうとする性格をどうにかしたくも思います。。。

結果的には日本のパン屋で気づきも成長にもなったことはたくさんあったので良しと思うことに今はしております。。。

いずれにしても、遠回りして、遠回りして、結局、

ご縁あったパン屋さんで職人生活をスタートさせます。

そして、

日本のパン屋さんでパン屋さんで働いてみて、

1年と数ヶ月で辞めて、開業をついに志すことができました。

つまり、

自分でパン屋、サワードウブレッド専門店を開く。

決心ができました。

短くね?と思う方はいらしゃると思います。
けど、自分の不安を解消するため働くことを決めて、次の段階に進もうと思うには十分な時間になりました。

日本のパン屋さんでの生活を総括すると、

日本でパン屋さんを開業したければ間違いなく必要な過程だと思います。

当たり前ですけど、日本のパンの技術はたくさん学べます。
お付き合いする業者さんとも仲良くなれました。いろんな情報も共有収集することもできました。とても良い時間でした。

ただ、自分はそのお店で日本の経験がないからこそ、
予想していた通り、

「見習い」
「オーストラリアだけの技術じゃ通用しない」
なんて言われてしました。
日本の技術も経験もない僕は何も言い返しませんでした。正直、悲しかったですけど。

オーストラリアの職場ではわからないこと、自分の今できること、できないことをしっかり伝えて、直接ぶつかってでも糸口を見つけていくことの大切さを学んだつもりでした。(というか、母国語が違うからこそ、共有の大切さはあったと思います。)

なので、日本の働いたパン屋さんでもわからないことや悔しいことでも今自分の現状は表現してしまったのですが、

とある日に呼び出されて、

「みんなやりづらいと言ってるよ、気をつけてね。」
「みんなに謝ってみない?」
「技術がないから従ってみようよ!」
なんて言われてしまった苦い思い出があります。
言う側も心苦しい指摘だとは思いまして、伝えてくれて感謝する気持ちは合ったので、謝りました。

僕の言葉の荒さや表現の仕方も、オーストラリア(勝手)流に大きくしてしまっていたのかなと振り返って反省する点はあります。

ただ、「技術がないから従う」というのは、「オーストラリアでの技術は通用しない」に関連しているようでそこだけは解せなかったです。。

働いていた小さなパン屋さんで「みんな」って誰?という。
全員か。ということに加えて、誰一人、僕と直接向き合わず、僕のいない場所で相談し合っていたことが悲しくも思いました。
伝えて頂いた方だけに負担を与えて、罰ゲームだったのかなとも悲観してしまい。。。

そして、僕は心の中で膨らんでいく思いが生まれてしまいました。

やっぱりサワードウブレッドを焼きたい。
オーストラリアで出会った大切な人たちに囲まれて得た技術と酵母で勝負したい。

働けば働くほどオーストラリアでの経験を否定されてる気がして、嫌になってしまったのも事実でした。

色々、感じることがある日々を送っている中で、

1年と数ヶ月働いて、もう十分だと思ってしまった一番の理由は、

そのお店で幸運にも無茶振りにも、入店してすぐ、自分1人で営業するようになれたことです。

仕込みから焼き、発注まで、すべて任される環境でした。
一生懸命やれることをやりました。

だけど、

パンの形が汚いとか下手だとか、
写メを撮りたいようなパンを焼いて。とか、
もっと売れるようにたくさん作ってとか、
オープンまでにもっ焼いてとか、
新しいレシピできたから来週からよろしくね。とか、
とかとかとかとかとかとかとか、、、、

「とか」が多くなってしまいましたw

強く生きる経験であり、日本でキャリアのない自分が言われて同然の指摘とフィルターを通していますが、ほんとに色々言われて滅入ってしまいました。。。

加えて、レジスタッフがいないからという理由で3ヶ月ほどは接客やレジ打ちまでしました。

任される責任に充実も感じていました。
けれど、
働く先の思う壺のような、万能機械になってはいけないとは強く感じました。
心も体も壊しそうになるくらい全力で働いていた新卒入社での会社生活の二の舞になってはいけないと。

いずれにしても、この日本のパン屋での経験は本当に貴重になりました。

与えてくれた仕事、1日のルーティンが開業した後に自分が想像して覚悟していた仕事量と内容だったことも働き続けるべきかを考えるきっかけにもなりました。

心からパン作りを楽しく感じず、忙しいとだけ感じるようなら、開業して自分の焼きたいパンを焼いて忙しいほうが幸せ。
と思ったんです。

お金の管理の工面や設備を揃えたり、物件を探す大変さを今まさに痛感している最中ですが、働いていた時よりワクワクしている(物件が見つからない焦りはもちろん。。。)のでよかった判断でした。

メロンパンやあんぱんやコロネ、クリームパンなどの技術も覚えられました。
けど、日本のパンも捏ねてみて思ったんです。

サワードウブレッドがやっぱり好き

離れてみて再認識することってありますよね。

改めて確信もしました。
パン職人生活を続けるならば、僕はサワードウブレッドで勝負するべきだと。

自分はこだわりは貫いて表現したい性格なんだなと改めて自覚しました。未熟なお子様性格と言われるかもしれません。頑固親父になっていく自分が怖いですが、良いと思う大切にしたいと思うことは貫いていこうと思います。

そして、やっぱり、オーストラリアの無茶無理無謀の中で、店主や友に支えられて掴んだチャンス。持ち帰れた酵母に感謝して、恩返しする。ってよくわからない使命感と責任感も大事にしていきたいと思ってます。。

そんな経験を小馬鹿にされたことで見返してやる。という気持ちも芽生えましたけどw

そんなこんなして僕は、
やっと。
本当にやっと、
自分の武器であり、誇りであり、生きた証である、
サワードウブレッドの専門店開業に向けた準備を始めます。

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